映画『すずめの戸締まり』
【11月12日 記】 映画『すずめの戸締まり』を IMAX で観てきた。
誰かがアニメを語る時にその作画についてほとんど触れていなかったりすると、僕は大変驚く。と言うか、むしろ憤慨してしまう。
今回も『天気の子』のときと同じようなことを書いてしまうことになるが、アニメにおける最大の要素は画だと思うし、新海誠監督作品の卓越性はまずその圧倒的な作画能力にあると思う。
それはひとつには細かさであり、そして構図の斬新さでありダイナミズムである。
細かさという意味ではそれは水面に映る空であったり、そこに生ずる波紋であったり、あるいは水面に反射する昼の光であったり、真昼の雲と夕暮れの雲の差異であったり──という辺りがまず思い浮かぶが、今回は『天気の子』の時ほど細かくは書き込まれていない気もした。
だが、新海作品の画の特徴はそこに独特のゆらめきやうつろいがあるところだと思う。それに加えて今回は「後ろ戸」での風圧であったり、「ミミズ」の質感であったり、やっぱり枚挙に暇がないと思う。
そして、構図のほうは、これは前にも書いたことだが、今のアニメが僕等の小さい頃、職人がセルに手描きしていた時代と異なるのは、全ての構図がカメラの構図で捉えられているということだ。そして、アニメの場合は実写では現実にカメラが入り込めないようなところにカメラが入って構図を切り出して行ける。
例を挙げれば、鈴芽が車に轢かれそうになりながら車道を横切るシーンでは、カメラは鈴芽を背後から追って高速で走っている自動車の下に潜り込んでそこから抜け出てくる。
こんなことができるのは今の作画ソフトではカメラ位置はここ、光源はここ、と設定して作画することができるからで、そのおかげで人間の肉体を超えていろんなところにカメラを置き、人間の身体能力では不可能なスピードで移動し、不可能な角度からの映像を描くことができる。
新海作品においては特にこの技術とセンスが抜きん出ていると思う。
そして、それに加えてどういう画を観客に見せるかというセンス!
いなくなってしまった草太の部屋で鈴芽がシャワーを浴びたあと制服のリボンを締め、そして髪の毛をポニーテールに結んで髪ゴムで止める画。少なくとも髪ゴムのカットはストーリー上絶対必要ではない。でも、それは鈴芽の心情を雄弁に語っているではないか。
映画が始まってすぐに鈴芽が自転車で登校する途中、長い下り坂に差し掛かるシーンが来る。朝の光にきらめくきれいなきれいな海の眺望が開ける。そして、予告編で使われていたあのシーン──“閉じ師”の草太とすれ違って呼び止められる──が続く。
草太に呼び止められて鈴芽が自転車にブレーキをかけ、体が少しガクンとなる。ポニーテールも揺れる。なんという繊細なシーンだろう。最初から一気に引き込まれてしまう。
後ろ戸が開くとそこから災いが吹き込んでくるので、草太は全国を旅して扉を閉じて回っていると言う。
初めの出会いではそこまで語られないが、登校した鈴芽が窓の外を見ていると、近所の廃墟となった温泉宿から「ミミズ」が吹き出しているのが(クラスメートには見えていないのに彼女にははっきりと)見える。慌てて駆けつけたらそこで草太が必死で扉を押えていた。
その場はふたりで協力して後ろ戸を閉じられたのだが、最初に(登校前に)鈴芽がそこを訪れた時に「要石」を抜いてしまったことによって災いの連鎖は断ち切れないことが分かる。やがて、鈴芽の家に現れた白い可愛い子猫(後にダイジンと呼ばれる)が「お前は嫌いだ」と言って草太を椅子の姿に変えてしまう。
逃げるダイジンを椅子になった草太が追いかけ、それを鈴芽が追いかけ、ダイジンがフェリーに逃げ込んだおかげで2人(1人と椅子)は愛媛に行ってしまう。そこからさらにダイジンの足跡を追って、2人はいろんな人たちに助けられながら神戸~東京~福島へと旅をする。
奇しくも大震災のあった土地ばかりである。とりわけ最後に訪れた(そして一番最近の大震災の土地である)福島では震災がはっきりと描かれる。鈴芽が見つけ出した昔の絵日記には 3/11 という日付も記されている。
この映画のストーリーについてはいろんな箇所にいろんな解釈が可能だと思う。そういうことについてはあまりここに書く気はないのだが、1つだけ僕が印象的に思ったことを書いておくと、ダイジンのことを草太が「神だから仕方がない」と言ったことだ。
これはキリスト教やイスラム教などの唯一無二の絶対神みたいな神とは随分違う。ある種アニミズム的な日本古来の多神教的なものであり、あるいは人間にいたずらをしたりするギリシャ・ローマ神話のような宗教観だと思った。ああ、日本人はこういう風に神を捉えてきたのかもしれないと改めて思ったりもした。
今回は新海監督自身が語っているように「鎮める」物語であり、「閉じる」物語である。その展開はやっぱり圧倒的なものがあり、そこにやっぱり超絶美しい作画が重なって、結局またとんでもなく素晴らしい作品が生まれてしまった。
ただ、僕としては『天気の子』のほうがおとぎ話に終始せずに痛みがしっかり描かれていて好きだったのも確かである。
新海監督は前作に対して「共感が得られなかった」という批判が多かったことでいろいろ修正をしたようだが、その点は僕としては少し残念な気さえする。
果たしてこの作品においても、「主人公が家出をしていたり、神戸のスナックのママが未成年を働かせていたりして共感が持てない」みたいなことを言う人がいるのだろうか? それはとても悲しいことである。
十明(とあか)が歌うテーマ曲『すずめ』が、アレンジも含めて圧巻である。絶品だと思う。これまでの新海映画での野田洋次郎作品の白眉ではないかな。
結局のところ、全てにおいてこの表現力のすごさに脱帽するしかない。新海誠ってやっぱりすごいね。
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