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Wednesday, November 30, 2022

綾瀬はるか対長澤まさみ

【11月30日 記】 世間でそういう捉え方をしている人はあまりいないと思うが、僕は綾瀬はるかと長澤まさみをライバル視している。いや、僕が2人の女優を自分のライバルだと思っているという意味ではない(笑)

綾瀬はるかと長澤まさみがお互いにライバル関係にあると捉えているということだ。

それは2人がまだ随分若かった頃に同じ役を演じたからだ。

同じ役を演じればライバルなのかと言うと必ずしもそうではない。例えば今年の3月に舞台で『千と千尋の神隠し』の主役・千尋をダブルキャストで演じた橋本環奈と上白石萌音がライバルかと言えば、そんな感じはしないだろう。

橋本環奈が福岡の地元芸能事務所から『週刊ヤングマガジン』のグラビアを経て売れだしたのに対して、上白石萌音は東宝シンデレラの特別賞出身だ。その年のグランプリは妹の萌歌が受賞しており、イメージとしては彼女のライバルはむしろ上白石萌歌なのかもしれない。

いずれにしても橋本環奈と上白石萌音ではタイプも相当違うし、そもそも『千と千尋』をやった時には2人ともすでにかなり売れていた。だから、この舞台をきっかけにライバルというイメージが生まれたりもしなかったのだろうと思う。それに、僕はその舞台を見ていないのだから、それで2人をライバル視するはずもないし。

それに対して、綾瀬はるかと長澤まさみはともにデビューしてまだ日が浅く、名前もそれほど売れていなかった時期に『世界の中心で、愛をさけぶ』の主役を務めた。白血病で亡くなる少女・廣瀬亜紀の役だ。

その2つを僕は両方とも観た(ともに2004年)。そのことによって、僕の頭の中に「2人はライバル」という図式がしっかりと描かれてしまったのだ。

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Monday, November 28, 2022

【note】 新海誠、稲田豊史、平山瑞穂の作品から“共感”を考える

【11月28日 埋】 note に上げた記事をシェアしておきます:

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Saturday, November 26, 2022

映画『あちらにいる鬼』

【11月26日 記】 映画『あちらにいる鬼』を観てきた。大好きな廣木隆一監督なのだが、内容的にどうにも観る気が起こらなくて先延ばしにしていた作品。脚本は荒井晴彦。

井上光晴と井上の妻、そして当時井上と不倫関係にあった瀬戸内晴美(のちの寂聴)の3人をモデルにして井上荒野が書いた小説が原作。いずれの作家も僕は読んだことがない。しかし、なんで井上荒野がこの3人を取り上げたのか不思議だったのだが、彼女は井上光晴の長女だそうな。知らなかった。

とは言え、これは小説である。ここでは井上光晴は白木篤郎(豊川悦司)であり、瀬戸内晴美/寂聴は長内みはる/寂光(寺島しのぶ)なのだ。

だから、ここで描かれたことが必ずしも実際にあったことではないはずだ。ましてやこの2人に肉体関係があったときには荒野はまだ幼い子供である。彼女が全てを認知できたはずがない。

ただし、両親亡き後これを書くにあたって荒野は瀬戸内寂聴のもとに通ってかなりの取材をしたとのこと。個々のエピソードの真偽は分からないが、全体像としては多分このような世界だったのではないかなと想像できる。

白木はにべもない言い方をすると女癖の悪い男だ。当時の考え方からすると妻にするに最高な女性・笙子(広末涼子)と結婚していながら浮気を繰り返す。映画は白木の妻が白木に言われて(ただし、言われるところは描かれていない)、自殺未遂を図って入院している白木の愛人(蓮佛美沙子)を見舞いに行くところから始まる。

講演会でみはると一緒になった白木は初めて会った瞬間からみはるの着物を褒め、トランプ占いをしてやるなど、気があるのは見え見え。一方みはるのほうも、まずは作家としての井上の筆力に感服し、自分も若い男(高良健吾)と同棲中であるにもかかわらず、次第に井上に惹かれて行く。

一方笙子は夫の悪行にもちろん気がついてはいるが、決して咎めはしない。夫を受け入れ、そして夫が愛した女たちにある種のシンパシーを感じているフシさえある。とりわけ夫と長年の関係にあったみはるにはそうだった。

みはるも白木を妻から奪おうなどとは考えもしなかった。ときには他の若い男とゆきずりの関係になったりもしたが、しかし、そのことと白木への一途な思いは矛盾しなかった。

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Thursday, November 24, 2022

Amazon『仮面ライダー BLACK SUN』全10話

【11月24日 記】 Amazon Prime Video の『仮面ライダー BLACK SUN』全10話を見終わった。

最初のリリースを目にしたときに、僕は仮面ライダーの純粋な新作だと思った。へえ、西島秀俊がやるのか。中村倫也も出るのか。え、監督は白石和彌か、すごいな。で、脚本は高橋泉!──これはしびれた。

高橋泉は監督・脚本・編集・出演のデビュー作である『ある朝、スウプは』(2005年)の時からずっと高く評価してきた脚本家である。

そして、美術監督が今村力というのもすごい。

そんなことを思いながら読んでいたら、これは新作ではなく、タイトルから分かるように、1987年から1988年にかけて、毎日放送を発局として日曜の午前中に全国放送していた『仮面ライダーBLACK』のリブート作品であると分かって驚いたのである。

なぜなら当時の同局の営業担当が僕だったからだ。

あくまで担当営業マンだから制作内容には関わっていない。だが、折に触れて撮影現場には顔を出していたし、主役の倉田てつをが選ばれたオーディションにも同席していたし、当然放送は(次のシリーズである)『仮面ライダーBLACK RX』も含めて全回観ている。

しかし、いつもいつも書いているように、僕は何を観ても何を読んでもほとんど記憶に残らない。だから、今回も記事を読みながらすぐに気がつかなかったわけだが、主人公の南光太郎という名前には記憶があったのである。え? これは仮面ライダーBLACK ではないか!と。

すると、西島秀俊が演じる南光太郎に続いて、中村倫也が演じる敵役の秋月信彦という名前が記されていた。この名前も一気に記憶が甦った。そして、確か南光太郎が BLACK SUN で 秋月信彦が SHADOW MOON ではなかったか?

これらの名前を全部引き継いでいたのだ。そして、もう一度頭から記事を読み直すと、ちゃんとリブート作品と書いてあるではないか。見落としていた。

リブートという単語が何を指すのかは明確ではない。でも、登場人物と設定をかなり引き継いでいることは確かだ。しかし、BLACK では同年輩だったはずの2人が、西島と中村では年齢が違いすぎるではないか? ──この辺りは本編を観て初めて分かることである。

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Wednesday, November 23, 2022

映画『ある男』での小籔千豊の役柄について

【11月23日 追記】 映画『ある男』で小籔千豊が演じていた役柄について書いてみたい。城戸(妻夫木聡)の同僚(恐らく事務所の共同経営者)であり弁護士の役である。

原作にこういう人物は出てきただろうか? 度々書いているように、僕は何を読んでもすぐに忘れてしまうので、小説の中にもしっかり出てきていたのかもしれない。しかし、ここまでくっきりとキャラが描かれてはいなかったのではないだろうか?

小籔が演じた中北は、彼が演じるに相応しい、ややちゃらんぽらんな男である。主人公の城戸は映画の中の台詞にもあるように「人権派の弁護士」であり、真面目な男として描かれている。

それに対して、裁判に勝った依頼人が「先生のおかげです」と菓子折りか何かを渡そうとしたときに、城戸は一旦軽く辞退の姿勢を見せるのだが、横から「ほな、ありがたくいただいておきます」と受け取ってしまうのが中北だ。

そんな風にして誰かにもらったり、城戸が出張先で買ってきたりしたお菓子などを、中北はちょっといじましく食べて、ちょっと無邪気に喜ぶ。そういう男である。

そして、失踪した本物の谷口大祐(仲野太賀)の元恋人の美涼(清野菜名)を城戸が連れてきた時には、既婚者の城戸に「デートか? べっぴんさんやなあ。心配せんでも俺は口が堅いから」などと言って、城戸を肘でつつく。そういう男である。

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Tuesday, November 22, 2022

映画『ザリガニの鳴くところ』

【11月22日 記】 映画『ザリガニの鳴くところ』を観てきた。洋画は大抵後回しにしている僕がいち早く観たのは原作を読んでいたからだ。動物学者ディーリア・オーエンズによる同名の小説は全米ベストセラーになり、日本でも評判になった。

この話が新鮮(と言うと表現が悪いが)だったのは、僕らはアメリカにおける差別と言うと大体が黒人を迫害する白人とか、あるいは居留地に追いやられたネイティブ・アメリカン(昔で言うアメリカン・インディアン)みたいなイメージが強いのだが、ここで描かれるのはノースカロライナの湿原地帯に一人暮らしをしている極貧の白人少女だということである。そして、その“湿地の少女 = the marsh girl” を街の白人たちが徹底的に忌避する物語なのだ。

僕は原作を読んで、ああ、そうかこういう世界もいっぱいあったんだ、と不明を恥じた。ともかくこれはべらぼうなストーリーであり、読み進むに連れて主人公のカイアが不憫で不憫でたまらなくなる。

一時は両親や兄姉たちと幸せに暮らしていたのだが、アルコール依存症で暴力を振るう父親にたまりかねて、まずは母親が、そして、兄や姉たちも家を出てしまい、残されたのはカイアと父親だけになってしまう。そして、その父親もある日出かけたまま帰ってこなかった。

そこから、カイアが必死に生きて行く姿が描かれる。学校にも行っていないので読み書きができないのは当然として、誰もいなくなった家にはお金も食料もほとんど残っていなかったのだ。この想像を絶する環境を、残念ながら2時間の映画では、それほど時間をかけて描いている暇はないのである。

他にも例えば映画では冒頭から幼いカイアがひとりでモーター付きのボートを操舵しているが、このボートの操縦方法を気まぐれで強権的な父親から教わるまでにも相当な苦労があったし、家にはわずかばかりのトウモロコシ粉が残っていたのだが幼い少女にはどうやって食べれば良いのかが分からなかったりして、ともかくあんまりと言えばあんまりなのである。

そんなカイアに唯一手を差し伸べたのが湖沼の畔で雑貨店を営んでいる黒人夫婦のジャンピンとメイベル、そしてカイアと同じように湿地の自然を愛する少年テイトだった。カイアが文字を教わったのも、後に彼女が書き溜めてきた動植物のイラストを出版社に送ることを提案してくれたのもテイトである。そして2人は淡い恋に落ちる。

この2人が最初は直接に会わずに、お互いに拾ってきた野鳥の羽を切り株に置いて何度か交換するのだが、映画では当然それほどの時間は取れず、このものすごくリリカルで美しい初恋の描写がやや薄くなっているのも残念ではある。

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Monday, November 21, 2022

悪ティビティ

【11月21日 記】 iOS が 16.1.1 に上がって、iPhone にアクティビティ というアプリが実装されたが、肚が立って削除してしまった。

最初に「ヘルスケア・アプリとリンクするか?」とか何とか訊かれて何も考えずにイエスをタップしてしまった僕が悪かったのかもしれないが、こいつは本当に余計なことをしてくれる。

僕のアクティビティを計測して、勝手にヘルスケアに書き込むのである。

しかし、僕の場合を言うと、僕は iPhone を大概肌身離さず持ち歩くほうだが、運動をする時には 100% どこかに置いている。いや、運動どころかちょっとした軽作業(例えば風呂掃除など)をする時にもポケットから出してどこかに置いている。

胸ポケットなどに入れていると体を動かした時に落とす可能性が大だし、ズボンのポケットだと(特にデニムを履いていたりすると)突っ張ったり引っ掛かったりして動きにくいからである。

だから、僕の場合、このアクティビティは活動性の低い活動だけを計測して集計してくれることになる。しかも、それを自動的にアクティビティに書き込んでくれる。

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Sunday, November 20, 2022

映画『ある男』

【11月20日 記】 映画『ある男』を観てきた。

石川慶監督は特に好きな監督だというわけではないが、とても精緻な映画を作る人だ。この作品もしっかりと作り込まれている。

この作品については、僕は平野啓一郎の原作を読んでいる。と言っても、何を読んでも何を観てもすぐに忘れてしまう僕のことだから、例によってあまり記憶は残っていなかったのだが、今回は映画館に行く前に自分の書いた書評を読み直してみた。

そうそう、あれは該博な知識と多様な問題意識をぶち込んだべらぼうな小説だった。あのとき僕は「実際は彼は誰だったのかという謎を、読者を焦らせながら作家が解き明かして行くような小説ではない」と書いている。

それだけにこの映画化は、下手をすると原作の筋をなぞるだけのものになってしまうぞ、と心配したのだが、しかし、映画を観るとそれが全く杞憂であったことが分かる。長い話をよくここまでコンパクトに、そして芯を外すことなくまとめたと思う。脚本は向井康介だ。

この小説はちょっとトリッキーな構造になっていて、この小説の書き手である作家がとあるバーで初対面の男から身の上話を聞くところから始まる。しかし、そんなところから描いているととても2時間では終わらない。

映画のほうは、壁に掛かった絵の短いカットのあと、離婚して息子を連れて宮崎に戻ってきた里枝(安藤サクラ)が実家の文具店で泣いているシーンから始まる。

そして、この街にふらっとやってきた男・谷口大祐(窪田正孝)が雨の日に画材を買いに来る。やがて、2人はつきあうようになり、そして結婚し、里枝の連れ子・悠人(坂元愛登)の下に女の子も生まれ、家族4人が幸せに暮らしている。

しかし、ある日、林業に従事していた大祐が大木の下敷きになって死んでしまう。そして、その1年後、話を聞いてやってきた大祐の兄・恭一(眞島秀和)が遺影を見て、「これは大祐ではない。別人だ」と言い出す。

それで、里枝は離婚調停の際に世話になった弁護士・城戸(妻夫木聡)に調査を依頼する。──そんな筋だ。

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Saturday, November 19, 2022

【note】 コミュニケーションが面白くなってきた

【11月19日 埋】 ここんとこ全く貼っていませんでしたが、久しぶりに note に書いた記事をエンベッドしておきます。

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Friday, November 18, 2022

面白いものを観る

【11月18日 記】 会社をやめてから本格的に Netflix を観るようになった。最近では Amazon Prime Video も結構観ている。

そんなことを書くと、テレビよりも配信のほうが面白いという議論に持って行こうとする人がいるけれど、そんなことが言いたいわけではない。

だからと言って、いやいや、テレビもまだ捨てたもんじゃない、などと続ける気もない。

何で観るかということについては別に何の思いも持っていないということだ。

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Tuesday, November 15, 2022

映画『土を喰らう十二ヵ月』

【11月15日 記】 映画『土を喰らう十二ヵ月』を観てきた。

去年 NHK BS プレミアムで『ふたりのウルトラマン』を観て、おお、中江裕司監督と言えば『ナビィの恋』ではないか!と、長らく忘れていた名前を思い出した。今回中江監督が撮ると聞いて、観てみようと思っていたのがこの作品だ。

食事の映画である。「料理 土井善晴」とクレジットされている。そして、原案は水上勉である。

主演は沢田研二。往年のスーパースターとは言え、今では少し地味なキャスティングである。共演の松たか子がいて少し華やかになる。

オープニングは予想に反して軽快なジャズ・ミュージック。これは真知子(松たか子)が運転する車のカーステレオらしい。東京から高速で信州に向かい、雪道を走ってツトム(沢田研二)の家に着く。ツトムは山の中の一軒家で、庭の畑で採れるものや山に入って採ってきたものなどで自給自足の生活をしている。

真知子が家に着くとまずはお茶+お茶受け、そして酒+肴と、いきなりいろんなものを振る舞われるのだが、この2人の関係が何なのかは分からない。真知子が「原稿は?」と言っているところからツトムは物書きでもあるらしいと分かる。

少し後にツトム自身のナレーションで、彼は禅宗の寺に養子に出されて、そこで精進料理を教わったが、13歳の時に寺を飛び出してしまったことが明らかにされる。そして、現在の彼の生活が編集者の目に止まり雑誌で連載を持つに至ったのである。

野菜や山菜の料理が次々と出てくる。料理を作ってそれを食べる──そのシーンが淡々と繰り返される。そして「立春」「啓蟄」に始まって「冬至」までの二十四節気のうちのいくつかを副題にしながら、季節の収穫物と季節の料理が映される。

まるで日記のような映画だ。

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Monday, November 14, 2022

続・最近の英語

【11月14日 記】 会社をやめてから久々に英語を学び直していることもあって、少し前に「最近の英語」というタイトルで記事を書いてみました。今回はその続編みたいなものです。

僕が最近気になっていることのひとつに each other と one another の使い分けという問題がありました。

僕らの世代の人たちは多分みんな学校でそう習ったと思うのですが、当時の教師曰く、「お互いに」何かをするのが2人の場合は each other、それが3人以上になったら one another を使うべし、と。

でも、実際 one another という表記はあまり目にしないと思いませんか? そして、ちょうどそう感じているところにたまたま、「今の英語では全て each other で良い」と誰かが書いているの読んだのです。

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Saturday, November 12, 2022

映画『すずめの戸締まり』

【11月12日 記】 映画『すずめの戸締まり』を IMAX で観てきた。

誰かがアニメを語る時にその作画についてほとんど触れていなかったりすると、僕は大変驚く。と言うか、むしろ憤慨してしまう。

今回も『天気の子』のときと同じようなことを書いてしまうことになるが、アニメにおける最大の要素は画だと思うし、新海誠監督作品の卓越性はまずその圧倒的な作画能力にあると思う。

それはひとつには細かさであり、そして構図の斬新さでありダイナミズムである。

細かさという意味ではそれは水面に映る空であったり、そこに生ずる波紋であったり、あるいは水面に反射する昼の光であったり、真昼の雲と夕暮れの雲の差異であったり──という辺りがまず思い浮かぶが、今回は『天気の子』の時ほど細かくは書き込まれていない気もした。

だが、新海作品の画の特徴はそこに独特のゆらめきやうつろいがあるところだと思う。それに加えて今回は「後ろ戸」での風圧であったり、「ミミズ」の質感であったり、やっぱり枚挙に暇がないと思う。

そして、構図のほうは、これは前にも書いたことだが、今のアニメが僕等の小さい頃、職人がセルに手描きしていた時代と異なるのは、全ての構図がカメラの構図で捉えられているということだ。そして、アニメの場合は実写では現実にカメラが入り込めないようなところにカメラが入って構図を切り出して行ける。

例を挙げれば、鈴芽が車に轢かれそうになりながら車道を横切るシーンでは、カメラは鈴芽を背後から追って高速で走っている自動車の下に潜り込んでそこから抜け出てくる。

こんなことができるのは今の作画ソフトではカメラ位置はここ、光源はここ、と設定して作画することができるからで、そのおかげで人間の肉体を超えていろんなところにカメラを置き、人間の身体能力では不可能なスピードで移動し、不可能な角度からの映像を描くことができる。

新海作品においては特にこの技術とセンスが抜きん出ていると思う。

そして、それに加えてどういう画を観客に見せるかというセンス!

いなくなってしまった草太の部屋で鈴芽がシャワーを浴びたあと制服のリボンを締め、そして髪の毛をポニーテールに結んで髪ゴムで止める画。少なくとも髪ゴムのカットはストーリー上絶対必要ではない。でも、それは鈴芽の心情を雄弁に語っているではないか。

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Friday, November 11, 2022

ベルウッド・レコード50周年記念コンサート

【11月11日 記】 ベルウッド・レコード50周年記念コンサート@中野サンプラザに行ってきた。

ベルウッドを知らない人にベルウッドとは何ぞやということを語り始めるとかなり長くなってしまうので割愛するが、要するに日本のフォークの老舗レーベルである。この日はそのレーベルに属していた所謂レジェンドたちが一堂に会したコンサートだった。

まずはセットリストを入手したので、それをご覧いただこうかな。◆印は当日の歌手、その下は曲名、曲名の右はオリジナルの歌手/グループ名。

◆高田漣
『コーヒーブルース』高田渡
◆いとうたかお
『あしたはきっと』いとうたかお
『生活の柄』高田渡
◆大塚まさじ
『こんな月夜には』ザ・ディランⅡ
『プカプカ』ザ・ディランⅡ
◆中川五郎
『ミスター・ボー・ジャングル』中川五郎
『ミー・アンド・ボビー・マギー』中川五郎
◆森山直太朗
『君住む街に』西岡恭蔵
『一本道』友部正人
◆あがた森魚 supported by 鈴木慶一、武川雅寛
『赤色エレジー』あがた森魚
『冬のサナトリウム』あがた森魚
◆鈴木慶一、武川雅寛
『塀の上で』はちみつぱい
『煙草路地』はちみつぱい
◆高田漣
『ろっかばいまいべいびい』細野晴臣
◆なぎら健壱
『鉱夫の祈り』高田渡
『告別式』高田渡
◆伊藤銀次
『とめ子ちゃん』ごまのはえ
『乱れ髪』大滝詠一
◆佐野史郎
『夜汽車のブルース』遠藤賢司
◆佐野史郎 supported by 鈴木慶一、鈴木茂
『かくれんぼ』はっぴいえんど
◆鈴木茂
『氷雨月のスケッチ』はっぴいえんど
『花いちもんめ』はっぴいえんど
◆六文銭(小室等、及川恒平、四角佳子、小室ゆい)
『私は月には行かないだろう』六文銭
『キングサーモンのいる島』六文銭
『旅立ちの歌』上條恒彦と六文銭

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Thursday, November 10, 2022

『カセットテープ少年時代 80年代歌謡曲解放区』マキタスポーツ、スージー鈴木(書評)

【11月10日 記】 マキタスポーツとスージー鈴木が BSトゥエルビでやっている音楽解説番組の書籍化である。

僕もこの番組を何度か観たことがあるし、見始めると前のめりに見続けてしまうのだが、何せ普段はほとんど見ない、と言うか、その存在さえほとんど忘れている BSトゥエルビである。却々レギュラーで観るというところにはたどり着かない。

だから、こういう本が出るのは大歓迎である。大変面白かった。

テレビというのは基本的に自らを大衆メディアと位置づけているので、一部の人にしか分からないようなこと、いろいろ深い解説をしないと理解しにくいようなことは反射的に避ける傾向がある。

だから、この2人がやっているような、Jポップ・シーンを賑わした名曲をさまざまな音楽用語や音楽理論を駆使して紐解いて行くような番組は基本的に成立しないのである。成立したのはひとえに BSトゥエルビであったからに他ならない(笑)

で、多くの人にとってはあまりピンと来なかったり、そもそも何を言っているのか分からないような番組であっても、その一方で僕のようにドンピシャリ嵌ってしまう視聴者もいるわけだ。僕は常にこんな番組があれば良いなあと思っていたし、こういう番組がほとんどないことを嘆いてきた。

そんな欲求不満がこの本で爆発的に解消されたのである。

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Wednesday, November 09, 2022

映画『母性』noteクリエイター特別試写会

【11月9日 記】 抽選に当たって、映画『母性』の「noteクリエイター特別試写会」に行ってきた。

湊かなえの同名小説が原作。湊かなえは一度読んだっきり二度と読んでいない作家だ。

監督は僕の大好きな廣木隆一。今回一番驚いたのは表情のクロースアップが多く、廣木監督らしい圧倒的な引き画も超絶長回しもほとんどなかったことだ。撮影監督は鍋島淳裕。廣木監督とは何度も組んでいるカメラマンなのだが…。

さて、タイトルは『母性』だが、この話は“母性”と言うとあまりにも聞こえが良すぎる。しかし、“マザコン”と切り捨ててしまうのはあまりにも短絡的すぎる、そういう世界が描かれている。Photo_20221110125701

僕はこの映画の宣伝文句に使われている「母性に狂わされた」などという表現をこれに充てることについてはかなりの抵抗感がある。それはちょっと都合の良すぎる言い訳ではないだろうか?

3人の女優が演じる3代の母娘を描いた映画なのだが、この物語の中では、母が子供に求めたのはただただ「良い子」であることだけであった──しかも、2代続けて。

映画の中にも「子供を愛していたのではなく世間体を整えただけ」みたいな台詞があった。

そんな中で3代目の清佳(=さやか、永野芽郁)が初めてその母から娘への“愛”の伝承に反発するわけだが、それと対照的に描かれる、2代目のルミ子(戸田恵梨香)の実母(大地真央)への盲目的な追従は、僕から見るとかなり気持ちが悪い(それはこの2人の女優の名演によるものなのではあるが)。

しかもルミ子は、どう見ても性格が捻じ曲がっていてやたらと大声を張り上げる傍若無人な姑(高畑淳子、これまた怪演であった)に対しても完全服従である。清佳が祖母の前で母を庇うと、あろうことか、母のルミ子から「私の努力をあなたが台無しにした」となじられるのである。

いずれにしても、近代個人主義とも現代多様化社会とも真っ向からぶつかる“母性”(と括弧つきにしておこう)が描かれているわけで、まあ、これを観た人の中にも「母としてのその気持は分かる」みたいなことを言う人がいるのかもしれないが、僕には却々拒否感の強い話だった。

「愛能う限り」などという大時代的な表現を筆頭に、まるで昭和初期の映画のようなその台詞の口調、そして住んでいる家の外観から壁紙の色やデザイン、調度品にいたるまで。見るからに嘘の上に嘘を塗り固めたように思えて、絵に描いたような、作り物感の強い、嫌らしい家庭であると僕は感じてしまった。

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Tuesday, November 08, 2022

昇る

【11月8日 記】 僕が今の家に移る前に住んでいた中で一番高かったのは(と言っても値段の話ではない)5階である。

で、当時はまあこのぐらいの高さがちょうど良いかなと思っていた。丘の上に建ったマンションで景色も良かったし。

ところが、今はその倍以上の高さのところに住んでいる。都内の、わりとビルが多いところで、ある程度の眺望を確保しようとしたらこうなった。眺望と言ってもそんなに大したことを望んだわけではない。ただ、窓を開けたら隣のビルの壁、みたいな現象を避けたかったのだ。

でも、多分このくらいの高さが限界かなと思う。もちろん、もっと上に行けば眺望はもっと良いのだろうが、災害などでエレベータを止まった時のことを考えると、20階以上は如何にもしんどい。

東京支社勤務時代に、毎朝 28階のオフィスまで階段を昇って出勤してくる同僚がいた。

さすがに真夏の暑い時期はやっていないと彼は言っていたが、真夏でなくてもちょっと気温が上がった日には、外から見ても分かるくらい、かなりの汗だくで、シャワーでも浴びたほうが良いんじゃない?と思ったくらいだ。始業時にすでに汗だくというのは僕としては避けたいと思う。

本社勤務時代には、年始や創立記念日などには、自社ビルの2階のスタジオをホール代わりにしてそこで式典が行われた。式典終了後は出席していた社員がどっとエレベータ・ホールに押し寄せるので、僕はいつも混雑を避けて、12階の自分の職場まで階段を昇っていたのだが、これでもかなりしんどかった。

昇っているとよく後ろから南雲さんが昇ってくるのが見えた。彼は所謂シニア・スタッフだった。

そのころ僕はまだ 40代だったのだが、階段室を昇っていると、後ろから南雲さんがヒタヒタと、いやコツコツと迫ってくるのを感じて、いかん、60代に負けてはならじ、と思いながらゼーゼーハーハー言いながら階段を昇った記憶がある。

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Sunday, November 06, 2022

映画『窓辺にて』

【11月6日 記】 映画『窓辺にて』を観てきた。この映画の予告編は映画館で観た記憶がなく、従ってどんな映画なのか全く知らないまま、ただただ今泉力哉作品だというだけで観に行った。

すごかった。圧巻の今泉力哉ワールド!

いつもの会話劇、恋愛ドラマ、いつもの固定カメラの長回したっぷりなのではあるが、このはっきりしない感じ、このバツの悪さ、このアンチテーゼ感。よくまあこんな脚本を書いたものだ(今回はちょっとネタバレになっているかもしれないので、気になる人は読まないでねw)。

観ていて思ったのは、これがもし原作のないオリジナル脚本だったらすごい!ということ。だって、作中作の小説(玉城ティナが扮する 17歳の作家・久保留亜の作品)が、本当に文学賞受賞作品っぽい出来だったし…。

しかし、果たせるかな、これは今泉力哉監督のオリジナルだった。

フリーライターの市川茂巳(稲垣吾郎)が久保留亜の受賞会見で、作品『ラ・フランス』における「手放す」ということの捉え方について質問し、留亜が逆質問するやり取りの面白さ。映画の最後に出てくる、恐らく『ラ・フランス』の最後の文章と思われる部分の余韻に溢れた表現。

ちなみに、これらの小説の内容は玉城ティナが登場する前に、玉城ティナの声で朗読される。僕は彼女が出ているとは知らずに観に行ったのだが、一声聞いてこれは彼女だと分かった。

そして、留亜の前作『田端駅周辺』から引用される「知らない人とタンデムすることよりも、心も体も解放される瞬間をあまり知らない」という一節と、その朗読をバックに、留亜の彼氏・優二(倉悠貴)のバイクの後ろに市川が乗せてもらって走る後ろ姿の映像とのマッチ感(設定自体はちぐはぐなのでおかしいのだが、しかし映像と音声が妙にマッチしてしまっているw)。

最初はズケズケと物を言う留亜に市川が翻弄される話かと思ったら、話の構造はもっと複雑だった。

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Saturday, November 05, 2022

Kindle のマーカー(ハイライト)に思う

【11月5日 記】 Kindle で読書していると、本文中の気になるところにマーカーを引くことができる(Kindle での正式名称は「ハイライト」)。

僕もその機能を使っている。これは主に後に書評を書く時に引用するかもしれないところを記録しておくためである。紙ではなく電子デバイスを利用する最大の利点は検索可能性である。マーカーを引いておけば、後から探し出すのはなおのこと楽になる。

そして、Kindle では他の人がラインを引いたところも分かる。もちろん全部ではないだろう。多くの人(というのがどれくらいのところを基準にしているのか分からないのだが)がマークした箇所に(自分がマークした塗りつぶしではなく)点線の傍線が引かれ、そこに「○人がハイライトしました」みたいな註釈がついている。

これを見るといつもびっくりするのである。

僕がマーカーを引く箇所とはほとんど一致することがない。はぁ~、君らはこういうところに何かを感じたのか!と心底驚く。

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Thursday, November 03, 2022

『夜に星を放つ』窪美澄(書評)

【11月2日 記】 窪美澄の直木賞受賞作の短編集である。巧い作家だ。タイトルにあるように、全作に星や星座の話が絡めてある。

彼女の小説を読むと僕はいつも vulnerable という英語の形容詞を思い出す。通常は「弱い」とか「傷つきやすい」とか訳される単語だが、ニュアンスとしては「弱みを見せてしまっている」という感じなのだ。

英英辞書を引くと willing to show emotion or allow one's weaknesses to be seen or known という訳語に当たる(この辞書では第三義だったが)。

そう、そして、この to be willing to の主語は、もちろん小説の登場人物たちでもあるのだが、同時にそれは作者である窪美澄自身であるような気がするのである。

誰にでも弱いところはある。そして、通常はそれを隠そうとするので、他の人には本当のところが見えていなかったりする。でも、本当のところはこうなんだよと言っているのが彼女の小説であるような気がするのだ。

最初の『真夜中のアボカド』はコロナの自粛期間のテレワーク中に家でアボカドの種を水性栽培している OL・綾の一人称で語られる。綾は婚活アプリで麻生さんという男と知り合い、デートするようになる。そして、その麻生さんが星に詳しい。

綾には死んでしまった一卵性双生児の妹・弓がおり、その妹の彼氏だった村瀬くんとはいまだにちょくちょく行き来がある。ひょっとして、綾がこの2人の男性の間で揺れ動くような話かと思ったらそうではなかった。

結構悲惨なことになる。だが、それはこの小説の結末ではなく、そこから綾の語りはまだしばらく続く。そして、ひっそりと終わる。余韻たっぷりに。

2つ目の『銀紙色のアンタレス』は青春小説っぽい作りで、僕はこの中では一番好きだ。

主人公は真。高校一年生、水泳部だ。ここでも彼の一人称で話は進む。

真は夏休みに親と別れて海辺にあるおばあちゃんの家で過ごす。そこに幼馴染の朝日が訪ねてくる。朝日もおばあちゃんとは顔見知りだ。彼女は真と違って頭が良いので大学付属の私立高校に通っている。

おばあちゃんの近所に住む相川さんの娘のたえが離婚して小さな子を連れて戻ってくる。真は近くにいる朝日ではなく、年上で恋の相手としてかなうはずもないたえに惹かれる。

最初に書いたように、青春ドラマっぽい切ない進み行きである。ここでは真がたえに「夏の大三角形」について教えてあげる。そして星座占いの話をする。この話も余韻たっぷりに幕を閉じる。

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Wednesday, November 02, 2022

生まれるのが15年遅かったら

【11月1日 記】 年を取ってくると「ああ、自分がもう少し若ければ!」と思うことも全くないではないが、それよりも「ああ、生まれるのがもう 15年遅ければ!」などと思うことのほうが多い。

僕はコンピュータやインターネットが本当に、心から大好きだが、僕の人生にコンピュータが現れるのはあまりに遅すぎた。

考えてみれば、生まれてから何十年間かはコンピュータも携帯電話もなかったのだ。電話は家とか会社とかにあったが、コードで壁の穴と繋がっていたので、それを持って歩くことさえできない、そんな環境で育ってきたのだ。

僕が初めて PC を買ったのは 37歳のときだ。ブームが来て皆が買い始める少し前だったから、タイミングとしては遅くはない。だが、コンピュータを始めるには 37歳という年齢はいささか遅かった。

あれが 22歳だったら、もっともっとコンピュータに習熟して、ひょっとしたら何か資格も取得して、今とは違う人生のフェーズに立っていたのではないかと思うと無念でならない。

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