曲順の喪失
【10月30日 記】 レコードが CD になり、CD が配信になって一番変わったのは音質でも可搬性でもなく曲順の喪失だと思う。
僕らの世代は音楽は基本的にアルバムで聴くものだった。もちろんラジオやテレビの番組、あるいはライブは別扱いということになるが、そういう場合でもセットリストというのはとても大きな要素だった。
アルバムには曲順がある。1曲めには大体キャッチーな曲が充てられていた。AB両面があったレコードの時代には、A面の最後には“そこそこ良い曲”が嵌められていた。そして、B面の最後にはかなりインパクトの強い大作が据えられているのが定番だった。
もちろん(前にも書いたように)『アビイ・ロード』の Her Majesty みたいに軽い曲を持ってきたアルバムもあったが、いずれにしても曲順もそのアーティストの表現の一部であり、それは彼らのセンスであったり哲学であったりしたわけだ。
上に書いたような傾向は窺えるにしても、そこには明確なルールや規範があったわけではない。にも関わらずと言うか、だからこそ、曲順はアーティストの表現であり主張であった。僕らはそれを聴き、自分の感性でそれを読み取った。ある意味、曲順によって独特の余韻が生じることもあった。
今でもアルバムというものはあるし、アルバムをダウンロードしてその曲順で聴いている人ももちろんたくさんいるだろう。でも、あちこちからつまみ食いで好きな歌手や好きな楽曲をバラバラに集めてきて聴く機会も増えたのではないだろうか?
僕らは LP や CD のジャケットを手許に置いて、ライナーノーツや曲順や歌詞を眺めながら、あるいはジャケットの裏表のデザインを眺めながら、時には一緒に歌いながら聴いたものだ。ジャケットが失われてその習慣もなくなってきた。
今のアーティストたちはそういう現象をどう捉えているのだろうか。そして、僕も含めて、聴き手の意識はどんな風に変化しているのだろうか?
曲順の喪失に伴って(それはもちろんジャケットの喪失によるところも大きいのだが)、音楽は少しアート性を失ったようにも思うのだが、皆さん、如何だろうか?
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