『何が記者を殺すのか 大阪発ドキュメンタリーの現場から』斉加尚代(書評)
【10月22日 記】 今年の6月まで同じ会社で働いていたとは言え、僕は斉加さんとは面識がない。僕が東京勤務が長かったということもあるし、仕事で報道局と絡む機会もそれほど多くなかったということもある。編成部でトラフィック担当をしていたときには報道フロアですれ違っていたかもしれないが、いずれにしても直接喋ったことはなく、今どこかの街ですれ違ってもお互いに誰だか分からないだろう。
橋下徹氏とバトルをしたと聞いたときには威勢の良いお姐ちゃんだなと思ったのだが、これもそんな風に伝えられているがビデオを見ると斉加さんが橋下氏に一方的に罵倒されているに過ぎない。彼女は報道記者としてごく普通に質問をしていただけだ。
仕事でそれほど接点がなかった上に、そもそも僕はドキュメンタリではなくフィクション志向なので、月に一度の『映像』シリーズも限られたものしか視聴していない。しかし、映画『教育と愛国』は劇場に観に行った。ちょうどその日、斉加さんが舞台挨拶、というか感謝と補足のために上京して登壇していたが、思ったよりもずっと柔和な感じの人だった。
そして、今度はこの本である。どうしても元同僚という気分で読んでしまうので、ところどころ「こんなにきっぱり言い切って大丈夫か?」などと心配になってしまう。
だが、この本を読んで一番感じるのは暗澹たる思いである。日本はこのままで大丈夫なのか?
右翼か左翼か、愛国か反日か、みたいなことはそれほど大きな問題ではない。ただただ、根拠を示さずに相手を叩きに行く、主張に一貫したロジックがない、多様性を認めない、自分の気が晴れることが主眼になっていて、その影響については考えない、というか極めてお気楽である。
ネット上でたくさんのインプレッション(ビュー)を稼ぐことが手段ではなく目的になっている。「ネットを見れば誰でも分かることだ」みたいなことをよく言い、ネット上には間違った言説もたくさん流れているということには耳を貸さない。
いや、そもそも自分に都合の良い情報だけを虫食い状態で集めてくる。
そんな人たちが日本中にはこんなにもたくさんいるのである。そんな人たちが、たまたまここでは沖縄の基地反対派や、慰安婦問題を取り上げた教科書や、在日の人たちや、あるいは記者・斉加尚代を叩きに来ているということなのだ。
斉加さんの書き方が直球なので、この本は右翼が間違っていて左翼が正しいとか、愛国はダメで反日で何が悪い?などと言いたいのではないかと思ってしまう人もひょっとしたらいるかもしれない。しかし、そうではない。
結果的に人がいろいろな考えに至るのは当然のことだ。問題となるのはむしろそこに至るまでの考え方と、確信を抱いた後の行動の仕方なのである。
彼女は書いている。
国家権力や公権力(機動隊)と民衆(基地反対運動をする人びと)は「どっちもどっち」ではありません。紛れもなく非対称の関係です。
違法か適法か、二項対立で考えると本質を見誤ります。その間に大幅なグラデーションがあって両者を分けるその判断は、時の権力者しだいで変わるのです。
そういったことをちゃんと見極めた上でニュースを伝え、ドキュメンタリを作るのが報道の役割である。
まあ、ちょっと読んでやってください。本当に暗澹たる気分になります。
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