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Saturday, October 08, 2022

『春のこわいもの』川上未映子(書評)

【10月8日 記】 僕にとって3冊目の川上未映子。前に読んだのは『夏物語』。川上未映子にとってもこの小説は『夏物語』に続く作品。知らなかったのだが、『夏物語』は世界何か国かで翻訳され、ベストセラーになったらしい。

この小説は春。夏の次が春なので、時の流れが逆行している。

6つの短編集である。全てがコロナ禍の下での設定。そして、題名の通り、全てがこわい。そして全てによく分からない部分がある。

もう一度読み返したら分かるのか? ひょっとして自分は何かを読み落としてしまったのか? いや、多分作家はわざとそういう構成にしているのだ。それがまた少しこわい。

でも、ざーっと読み返してみると、ああ、やっぱりそういうことだったのか、と思える箇所がいくつかある。

最初の『青かける青』は入院して手紙を書いている女性の話。

遠からず退院するようなことが書かれているのに、彼女自身はまるで今にも死ぬようなことばかり書いている。「きみ」という語り口からしても若い女性のような気がするのだが、彼女が実際何歳なのかは、客観的な形では書かれていない。

それにね、もしかしたら現実のわたしはもうとっくの昔におばあちゃんになっているのに、認知症か何かになっていて、二十一歳のわたしだと思い込んでいるだけかもしれないんだもんね。

と主人公が述懐しているが、彼女がほんとうに 21歳なのか、あるいはひょっとしたら、まさに彼女が言うように 21歳だと思いこんでいるだけなのかもしれないという気がしてくる。

それが気になって前に戻って読み返すと、作品の印象ががらっと変わってくる。一気に「春のこわいもの」が現れてくる。

2つめの『あなたの鼻がもう少し高ければ』は<ギャラ飲み>志願の女性の話。ネットで人気のセレブに憧れてオーディションを受けに行くが、痛烈に罵倒される。特に顔について。これも怖い。陰惨な話。しかし、余韻は深い。

3つ目の『花瓶』も分からないところが多い。いや、貶しているのではない。この短編集はずっとそういう書かれ方をしている。

自宅で最期の時を過ごしている女性の話。体を満足に動かすこともできない老人。その主人公が、通ってきてくれている太った汗かきの家政婦について、

わたしは彼女の性交をときどき夢想した。いいえ、ときどこどころか、彼女のありとあらゆる性交を、わたしは数え切れないほどに夢想した。

などと言うのを読んで驚く。そんな彼女が今度は自分の性交体験を語り、そして死を語る。そして花瓶に花が入っていない。──それは何を意味するのだろう? これもこわい。

4つ目の『淋しくなったら電話をかけて』が一番分からない。

喫茶店にいる41歳の女。退廃的な感じがする。隣の席でカレーを食べている老婆が気に入らない。他にもいろいろ。この女が見るもの見るものひとつずつについて愚痴みたいな文章を撒き散らす。

好きだった小説家が自殺する。その後もずっと愚痴だ。そして女は街中をうろうろする。電話をしている女性に話しかけると彼女は怖がって逃げて行く。そこで終わり。

分からない。こわい。

5つ目の『ブルー・インク』が始まり方としては一番オーソドックスな青春恋愛小説に見える。「僕」は彼女にもらった、青いインクで書かれた手紙をなくしてしまう。彼女は、

笑顔でさえ、今から笑うと決心してから笑ってみせるような、そんなぎこちなさが

ある女の子だった。手紙をなくしたことを彼女に告げると、彼女の反応は予想以上に深刻で、結局2人で夜の校舎に忍び込んで一緒に手紙を探す羽目になる。

しかし、手紙は結局見つからない。その後がこわい。そして、やっぱり結局のところどうなったのか自信を持って語れない。

最後の『娘について』は、20代のころ2年間東京でルームシェアしていた女友だちから突然電話がかかってくるところから話は始まる。

その頃、「わたし」=よしえは作家を目指して、生計を立てるためのバイトの合間を縫って一生懸命書いていた。一方見砂杏奈のほうは女優を目指すと言いながら、裕福な親からの仕送りに頼って仕事もせず、女優修行のほうもなんだか片手間な感じだった。

15年経った今、よしえはベストセラーも1作だけ出したことのある作家になっている。杏奈が電話してきたのは杏奈の母親が死んだことを伝えるようで、実は怪しげなオイルを売りつけるつもりなのかもしれないと思えた。

そこからよしえの長い回想になる。よしえは実は杏奈の母親からも頻繁に電話がかかってきて、彼女とはよく話していた。そのことは何となく杏奈には話していなかった。それから段々杏奈を妬むよしえが現れてきて、終盤一気にこわくなる。

よしえが杏奈の母に嘘をつくシーンがある。それを読むと、えっ、彼女が今は作家になっているというのは嘘だったのか?と思えて、ページを繰って前の箇所を読み返したくなる。分からなくなる。

そういう仕掛けをふんだんに散りばめた短編集である。だからこわさが二重になる。これはもう一度読み返すしかない。

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