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Tuesday, October 11, 2022

映画『千夜、一夜』

【10月11日 記】 映画『千夜、一夜』を観てきた。

監督は久保田直。知らない人だ。テレビのドキュメンタリ畑でいろいろ賞も獲ってきた人で、これが2本目のフィクション(映画)らしい。

脚本は青木研次。この人は、僕の観た映画では『いつか読書する日』を手掛けた人。あの映画は良かった。そう言えば、あの映画も田中裕子の主演だった。そして、久保田監督の前作もこの人の脚本とのこと。

田中裕子と尾野真千子という、「あの年代を代表する女優は?」と問われると第一に思い浮かぶ2人の名優によるドラマだ。

登美子(田中裕子)はある日突然失踪してしまった夫をもう 30年も待ち続けている。そこに奈美(尾野真千子)が訪ねてくる。彼女も夫(安藤政信)が「ちょっと行ってくる」と言って家を出たまま帰ってこない。

が、こちらはまだ2年だ。拉致された可能性もあると考え、元町長の入江(小倉久寛)の紹介で、その手の手続きも熟知している登美子に相談に来たのだ。

それぞれに言い寄る男がいる。登美子には漁村の幼馴染の春男(ダンカン)。彼は登美子が結婚する前どころか、子供の頃から登美子が好きで、その愛はちょっと偏執的である。

「諭さん(登美子の夫)が帰ってきたら捨てていいから、それまでの間、面倒を見させてくれ」と迫るのだが、登美子には全くその気がない。「面倒を見させて」という表現に旧態依然とした男性観が垣間見える。そして、不甲斐ない春男のために余計な世話を焼く周りの人間たちが逆に関係をこじれさせる。

一方、看護師の奈美には同じ病院で働く大賀(山中崇)。彼はもっと控えめだ。そして、全く隙きを見せず、にべもない態度で追い払う登美子に対して、奈美はもう少し心を開いて鷹揚である。現代ではこういう生き方のほうが好ましいし、楽だ(と僕は思う)。

映画はこの2人の対比を軸にしばらく語られる。ところどころ台詞が妙に演劇っぽくなっているのが気になるのと、BGM で盛り上げようとしすぎの感もあるが、長回しを中心に上手い役者たちの上手い演技をたっぷりと見せてくれる。

で、このまま2人の女性の対照的な人生を描いて終わるのかと思ったら、終盤に思いもしなかったことが起き、登美子が後で自分でもちょっと反省するような底意地の悪さを見せて、僕らはびっくりする。そう、人間ってそういうところがある。

映画の冒頭で、海の画をバックに男の声が海外の地名を並べ立てていたのが、映画の最後に繋がってくる。こういう繋げ方がうまい。カセットテープが絡まって切れることか、元町長が寝たきりで恐らく認知症の母親の世話をしているという設定なども絶妙である。

そして、画作りもきれいだ。撮影監督は山崎裕。『誰も知らない』や『花よりもなほ』、『海よりもまだ深く』などの是枝裕和監督作品や、西川美和監督の『永い言い訳』、鄭義信監督の『焼肉ドラゴン』などを撮った人だ。

漁協の作業場から飛び出した登美子をある人物が追いかけるシーンで、暗くて狭い室内から突然広い外のシーンに変わり、そこを2人が縦に並んで走り、海と山を背景に奥行きが一気に広がったのが、僕にはとても印象に残った。

ある意味、陰鬱な映画であったが印象は深かった。僕は「いなくなってしまいたい」と思ったことはないが、それでもこの映画を見終わると、「もしも自分に、あるいは妻にそんなことが起きたら…」といろいろ考えてしまう。

人間は強くない。時に醜い。そして、相手のことを考えられなくなる。それが人生である。

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