映画『百花』
【9月13日 記】 映画『百花』を観てきた。
川村元気と言えば数々の映画をヒットさせてきた敏腕プロデューサーである。僕の周りには彼をボロカスにこき下ろす人もいるが、僕自身は彼の手がけた作品は全部面白かったし評価もしている。
ただ、この映画は彼の(長編としては)初監督作品であり、監督としての手腕は未知数である。
また、この映画は彼の小説を映画化したものだが、今回は平瀬健太朗と共同で脚本も物しており、こちらも長編としては初めてなのではないかな? そういう意味で脚本家としても未知数である。
そもそも僕は脚本家やカメラマンなど監督の周辺にいた人が監督業に乗り出すことにあまり好印象を持っていないこともあって観るかどうか迷っていたのだが、しかし、予告編では多くの人が、しかもかなり名だたる人が激賞したメッセージが紹介されている。
へえ、ほんまかいな、と思って見に行ったのだが、しかし、正直なところ、僕としてはそれほど褒める映画だったかなという気がした。いや、ひどい映画ではない。よく撮れた映画なのだが、しかし、そこまで褒めるような何かがあったか?と。
僕は自分の母が認知症だし、阪神淡路大震災の被災者でもあるので、その辺りのことでちょっと僕の経験や記憶にそぐわないことが引っかかったのかもしれない。
具体的に言うと、百合子(原田美枝子)が息子の泉(菅田将暉)に向かって、「(そんなことしなくても)いいわよ、あなたも子供ができるんだから」みたいなことを言うシーンがあったが、確かに前のシーンで泉から妻の香織(長澤まさみ)が妊娠したことは聞いていたが、しかし、認知症が始まっている人間に、少し前に一度聞いただけの記憶が定着しているのは如何にも不自然だ。
また、これは上に書いたのとは逆の話になるのだが、認知症というのは右肩上がりのグラフで一気に進行するものではなく、かなりまだらで行ったり来たりするものである。
映画の中で百合子は泉が誰なのか分からなくなるが、最初に分からなくなってそのままということはあり得ない。思い出して、忘れて、と言うか、あるときは知っておりあるときは分からなくなっており、それを繰り返しながらいつしか完全に分からなくなるのだ。
この映画ではその辺りの描き方があまりに一辺倒だったと思う。
それから、阪神淡路大震災の揺れはあんなに短時間では治まらなかったし、外はまだあんなに明るくなかった。
ま、それはこの辺にしときましょうかね。
この映画は、どんどん忘れて行く母と、いつまでも忘れられない息子という構図をテーマに書かれたものなのだが、上記の通り認知症の描き方が一直線であることもあって、非常に作り物感の強いものになったと思う。
発想は悪くなかったが、単純化しすぎて「一生懸命頭で考えました」風のドラマになってしまっていたと僕は感じた。
そんな中で原田美枝子という人は若いときから巧かった女優で、今回もやっぱり巧かった。彼女の身勝手さと、それとは裏腹の苦悩、人は毎回何かを選んでいかなければならないのだという宿命みたいなものを非常に丁寧に演じていたと思う。
また、経験者として、息子・泉がついついイライラしてしまうところなどは非常に良く分かった。
この映画の構成は非常に凝っていて、過去と現在のシーンがころころ入れ替わるのだが、それが、何というかシームレスに繋がっているのだ。逆にそのために少し分かりにくくなったりもしているのだが、しかし、とても面白い試みだと思った。
つまり、「このカットの後はこのカットでそこから次の時代の次のシーン」みたいな形ではなく、時間こそ違え同じ場所での同じようなシーン(しかし時代は何十年か遡っていたりする)で繋がっているのだ。それは、登場人物の記憶が辿ったシーンとして描かれる。
さらに、現在と過去と言っても、そこには母・百合子の過去もあれば、息子・泉の過去もある。現在のシーンにも、百合子の頭の中で見えている「現実」と、他の人にとっての客観的な現実がある。それら全部が縦横無尽に、しかもシームレスに繋がって広がって物語は展開して行く。
多分この映画を激賞した人たちはその辺りに魅かれたのではないかなと思う。
不思議だったのは、この映画では北村有起哉、岡山天音、河合優実、長塚圭史、板谷由夏らが共演していたのだが、いずれも後ろ姿であったり、オフフォーカスであったり、暗がりの中のシーンであったり、かなりの引き画であったりして、しっかり顔の分かるカットがなかったことだ(正面からのアップがあったのは神野三鈴ぐらいかな)。
僕は北村、岡山、河合は声で一瞬にして分かったが長塚と板谷は家に帰ってパンフレットで確認するまで分からなかった。よくこれで事務所ともめなかったものだ。今までのプロデューサーとしての実績が物を言ったとか、そういうこと…?
いずれにしても、僕の個人的な体験がこの作品を拒んだ面もあるのかもしれないが、「半分の花火」の種明かしについても一輪挿しの由来についてもそれほどの驚きも共感もなかったし、いろんな面でちょっと違うなという印象のほうが強い映画だった。
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