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Saturday, September 17, 2022

映画『ブレット・トレイン』

【9月17日 記】 映画『ブレット・トレイン』を観てきた。

予告編を見て、なんでブラット・ピットが新幹線に乗ってるの?と思ったのだが、これは伊坂幸太郎の小説をアメリカ人の監督デビッド・リーチが映画化したものだった。

伊坂幸太郎は何作か読んだが、そんなにたくさんではないし、最近作は全く知らない。ただ、伊坂幸太郎原作の映画は結構観てきた。しかし、外国人がこれをどう解釈しどう作り変えるのかは想像のつかないところだ。

で、見終わって言えることは、これはケッサクだということ。そう、カタカナのケッサクが一番ふさわしい表現ではないかと思う。

てっきり東海道新幹線ののぞみ号かひかり号だと思っていたのだが、そうではなくて日本高速電鉄のゆかり号だし、他にも映画内にはたくさんの間違った日本のイメージ(物心両面)が散りばめられている。僕はこういうインチキ・エキゾチシズムが大好きだ。笑えるのなんの。

ストーリーは暗号名レディバグ(てんとう虫)のブラット・ピットがブレット・トレインに乗り込んでブリーフケースを盗んで次の駅で降りるだけという簡単なお仕事を引き受けたつもりが、車内には同じようにブリーフケースを狙っていたり、あるいは彼の命を狙っていたりする危ない奴らがうじゃうじゃいた、というお話。

こういうのは分類としてはクライム・アクション・ムービーと言うらしいが、まあ何というか、殴る、蹴る、刺す、撃つのオンパレードで、ゴリゴリの a gory movie だし、新幹線がこれほどまでにぶち壊されるとなると、日本で JR の協力を得て撮影するのは、そりゃ無理でしょうね(笑)

制作者はそんなことおかまいなしに、自分たちのブレット・トレイン、自分たちの日本と日本人を自由に捏造して、何の制約もないブチ切れ映像を見せてくれる。金かかってますわ(笑)

で、ブラット・ピットを含めて出てくる人物の強いこと。最終的に死んでしまう人物も結構いるが、死んだかと思ったら生きていたという人物も多いと言うか、いやはや、いくらやられても死なないのはどうなっているのか! ダイ・ハードどころではない。

あ、そうか、これ多分ダイ・ハードを意識してるね。レディバグはいつも「俺は不運を背負ってる」みたいなこと言ってるし。

でも、僕はこの映画の面白さとしては会話劇の側面を上げたい。出てくる人物の多くは生命の危機にさらされている状況でも結構軽口を叩いている。悪ふざけばっかりしているアメリカ人。そう、英語で言うなら bantering というやつ。これが面白い。

そして、真田広之が扮するエルダー(長老)の、絵に描いたような古風なサムライ像。見てるだけでちょっと笑けてくるが、その真田が杖に仕込んだ日本刀でバッタバッタと斬り殺す。いや、人だけじゃなくて、新幹線の座席もまっぷたつ──って、そんなアホな。ルパン三世の十三代目石川五エ門か!

アーロン・テイラー=ジョンソンが扮するタンジェリン(みかん)なんぞはホームにいる間に新幹線が発車してしまったのに、走って追っかけて飛び乗ってガラス割って乗り込んでくるって、あんた、それマンガですがな。

そう、一事が万事マンガ。でも、それが面白い。

何故こんなに危ないやつばかりがここに集結したかという謎が解けると、いくらなんでもそれは無理筋の設定だろうがという気もするが、そんなこたぁどうでも良いと言えばどうでも良い。

結局これはドタバタ喜劇だと思った。そう、バスター・キートンが何かにぶつかってびゅーんとどこかに飛ばされてしまうような(そんな映画があったかどうかは知らない。今テキトーに作った話だから)。

なんかここまで振り切ってくれると、伊坂幸太郎は一体どんなふうに書いていたのか知りたくなる。恐らくもっと抑制が効いていたはずだ。結局これは伊坂幸太郎ではないのかもしれない。でも、楽しかったからそれで良いか(笑) 少なくとも深く考える映画ではない。

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