映画『さかなのこ』
【9月3日 記】 映画『さかなのこ』を観てきた。沖田修一監督。
さかなクンの自伝みたいな映画である(ただし、「さかなクンの映画であって、さかなクンの映画ではありません」と銘打っている)。さかなクンと思われる「ミー坊」を演じるのはのんである。
予告編を観たときから思っていたのは、この色調は何だ?ということ。僕はカメラやフィルムの知識が全くないのでパンフレットを読むまで分からなかったのだが、(水中などの特殊なシーンを除いて全て)16mmフィルムで撮影したのだそうだ。
おかげで昔の自主映画みたいな風合いになっていた(今の自主映画はビデオで撮るからこうはならない)。
それから、観る前から思っていたもう一つはパスカルズによる劇伴がピッタリだなということ。で、そのパスカルズのメンバーに混じってバスクラリネットを吹いていたのがさかなクンだと言うからびっくりである。そういう流れで言うと、ドランクドラゴンの鈴木拓が出ているなと思ったら、これがなんとさかなクンの中高の同級生だとか。
さらに、今回の脚本は沖田監督と前田司郎の共同で、しかもこの2人もまた中高の同級生だと言うから驚く(しかし、このコンビは『横道世之介』以来ということなので、多分僕は『横道世之介』のときにも驚いていたはずだw)。
さて、本編の話をしよう。冒頭にトリキリ・テロップで「男か女かは、どっちでもいい」と出てくる。
僕は、「ははあ、さかなクン役に自分でのんをキャスティングしておきながら、やっぱり何か言われるのを気にして、いきなり予防線を張ってきたか」と思ったのだが、しかし、しばらく観ているとそういう思いは完全に吹き飛ばされてしまった。
ミー坊の幼少期を演じた子役(西村瑞季)は明らかに女の子である。これが長じてのんになるのかと観ていたら、のんが出てきたらなんと男子の詰め襟の学生服を着ているではないか。え? さかなクンの設定を女性に変えたのではなく、女性ののんが男性のさかなクンを演じているのか!
そう言えば小学校時代のミー坊が同級生のモモコとの仲を冷やかされるシーンがあった! でも、のんは髪も長いままでとても男性には見えない(本人は「みうらじゅんみたいだ」と言っているがw)。
そっか、どっちでもいいんだ、そんなことは。それを最初に言ったのだ。それはすごい設定だ。
人はすぐに人を型にはめようとする。そして、そこからはみ出る者を排除しようとする。でも、そんなことは全くの無意味なのだ。どっちでもいいのだ。
さかなクンは変な奴である。のんも幾分へんな奴である。そして、僕は映画や小説でも、あるいは実生活でも変な奴が大好きだ。その変な奴が母親やクラスメイトたちにかわりばんこに後押しされて、魚が好きで魚に詳しい以外何の取り柄もない奴がちゃんと生きて行くという話である。
こんなに心地良い話はない。
そして、ミー坊を支える人たちに扮した役者たちがこれまたすこぶる良い。
先生に成績を咎められても頑として自分の子供を肯定して擁護する母親訳の井川遥。ヤンキーさん(さかなクンによる表現)の総長の磯村勇斗と「カミソリの籾」の岡山天音、そして、高校時代は「狂犬」の異名を取ったが、大学卒業後はテレビ局に勤めるヒヨ役の柳楽優弥。
小学校時代から何度となくミー坊の人生と交差するモモコを演じた夏帆、魚類のペットショップの店長の宇野祥平ら、枚挙に暇がない。そして近所の変質者っぽいギョギョおじさんはさかなクン本人である。
ヤンキーさんの乱闘シーンが脱力系だったりして、その辺の描き方がとても面白い。みんな良い奴なのだ。
そして、彼らの会話を聞いていると、自分でも何故おかしいのか明確には言えないようなシーンで笑いが漏れてしまう。
この監督でこの役者たちがやらないとこうはならないと思う。他の役者たちが他の人の演出でやったら、そこはひょっとしたら観客が笑うところかもしれないとは気づかないのではないかな。
このニュアンスてんこ盛りのこの味は、この監督、この脚本、この役者でないと決して出せないと思う。
しかし、よくもまあこんなものを映画化しようと思ったもんだ。ものすごく良かった。抱きしめたくなるような映画だった。
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