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Tuesday, September 27, 2022

コロナ雑感

【9月27日 記】 昨日銀座を歩いていたら、マスクをせずに歩いている人を何人か(つまり複数名)見た。

端的に言って、「あ、そうなのか」という感じ。僕自身は聞き流していたが、オープン・スペースを歩くような場合はマスクをつけなくても良い、みたいなことをどこかで聞いたような気がする。外国ではすでにそんな感じになっているとも聞く。

僕はてっきり、少なくとも自分が死ぬ頃まではマスクをせずに外出することはないのではないかと思っていた。それだけに、あ、そうなのか、という感じはある。

確かに至近距離で話しかけられたりするのではなく、外を歩いているのであれば、すれ違う人がマスクを着用していなくても、僕自身がマスクをしている限りはそんなには気にならない。

逆に言うと、僕自身はまだマスクを外す側にはならないということなのだが、しかし、自らマスクを外す側に立っている人がすでにいるのか、と思うと少し感慨深い。

良いとも悪いとも書いていないので、これを読んで「お前はどっちなんだ?」と思っている人もいるかもしれないが、どちらでもない。ただ、そういう人が出てきたのか、と思う。それだけ。

それは何かが変わってきた証拠なのかもしれない(し、そうでないのかもしれない)。

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Saturday, September 24, 2022

映画『犬も食わねどチャーリーは笑う』

【9月24日 記】 映画『犬も食わねどチャーリーは笑う』を観てきた。市井昌秀監督。

市井昌秀は僕の好きな監督だ。特に映画『箱入り息子の恋』、WOWOW『十月十日の進化論』、映画『僕らのごはんは明日で待ってる』の3本が僕のお気に入りである。その後の『ハルチカ』はやや残念、『台風家族』は新井浩文の逮捕絡みで限定公開となったため見逃した。

いずれにしても、常にいろんなものがどんどん繋がってくる、目配りの効いた脚本を書く人である。この映画も例外ではない。

設定は他愛もないもので、夫の悪口を書く投稿サイト「旦那デスノート」で人気のチャーリーという投稿者が実は自分の妻であると知った夫の物語である。夫・裕次郎を香取慎吾が、妻・日和を岸井ゆきのが演じている。

裕次郎にこのサイトを見せたのは裕次郎と同じ職場(ホームセンター)に勤める簑山さん(余貴美子)で、彼女自身がそのサイトの実名投稿者だったのだが、彼女もこの時点ではまさか日和がチャーリーだとは知らなかった。

簑山さんが少し離れたところからキャスター付きの椅子に座ったまま裕次郎のところまで滑ってくるところとか、自分の休憩時間はおもう終わりだと気づいて席を蹴飛ばして出ていったら、蹴られたキャスター付きの椅子だけが手前に滑ってくるとかいう辺りが妙にリアルで妙に笑える。

そして、簑山さんが「もう5年も夫婦生活がない」と言ったら、同僚の若月(井之脇海)に「てことは、5年前まではやってたってことですか?」と言われるシーンも、単に客を笑わせるためだけのものではなく、後のシーンに繋がってくる。

この辺りがまことに市井昌秀である。

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Friday, September 23, 2022

Her Majesty

【9月23日 記】 エリザベス女王が亡くなって不意に記憶に甦ってきたのはビートルズの Her Majesty でした。

1969年発売のアルバム『アビイ・ロード』の最後の曲で、The End が終わった後しばらく無音が続くので、これで終わりかな?と思った頃にこの歌が始まります。当時は曲名が表記されていなかったので、世界初の「隠しトラック」という指摘を受けました。

ポール・マッカートニーがギター1本で歌っている、わずか 20秒ほどの楽曲です。

僕はこの歌で初めて、国王のことは His Majesty、女王のことは Her Majesty と呼ぶのだということを知りました。

この歌はまさにエリザベス女王のことを歌っています。彼らは 1965年に勲章をもらった際に女王に謁見してますからね。

本当は歌詞全文をここに引用したいのですが、全文を引用すると著作権法上の“引用”と認められない可能性があるのと、そんなものはググればすぐに見つかるので一応やめておきます。知らない人は歌詞を検索してみてください。

歌詞は表示されませんが、YouTube の動画(実は静止画ですがw)をエンベッドしておきます。

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Wednesday, September 21, 2022

最近の英語

【9月21日 記】 会社を辞める3ヶ月ぐらい前から、中学時代からずっと好きだった英語をもう一度学び直し始めているのですが、僕が中学生だった頃から考えてみると約半世紀も過ぎているわけで、その当時教科書に載っていた英語は今ではちょっと古臭いものになっていても仕方がありません。

逆に、今の英語では、昔の(日本の)英語の授業だったら間違いなく誤りだとされたものが、ごく当たり前の表現になっていたりします。

例えば、kind of の使い方。

昔の a kind of ~ は、「~の一種」「ある種の~」という意味にしか使われなくて、~の部分には当然名詞[句]が来て、その名詞[句]を修飾する形容詞的な使い方でした。それが今では a を伴わない形で副詞的に形容詞や動詞を修飾して、

You look kind of tired. ちょっと疲れてるみたいだね。
I kind of like that idea. その考え方、好きかも。

みたいな使い方をします。「少し」「幾分」「ある程度」「ある意味」みたいな意味ですよね。外国人、とりわけ米国人と英語で話していると、この kind of がめったやたらと出てきます。書いた文章にも出てきますし、ちゃんと辞書にも載っています。

sort of も同じような使い方をしますよね。単独で使うことも可能で、何か訊かれた時に、

Sort of. まあね。

なんて答え方もあります。縮まって kinda や sorta になっていることもあります。

でも、こういった表現、今は中学校で教えてるんですかね?

of の後に形容詞や動詞が続くのはどう見ても文法的には誤りですから、わりと理屈で教えている中学英語の現場にこういうのが入ってくると、教えるほうも教わるほうも混乱するかもしれません。

でも、これだけ使われているフレーズを教えないのもどうかという気がします。

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Tuesday, September 20, 2022

映画『夏へのトンネル、さよならの出口』

【9月20日 記】 映画『夏へのトンネル、さよならの出口』を観てきた。

僕は大体において監督で映画を選んでいるから、アニメについては自分があまり詳しくないので結構良い作品を見逃しているのではないかと思う。アニメを観ないわけではないのだが、監督についてはかなりの大御所しか名前を憶えていない。

そういうわけで、この作品の監督・脚本を務めた田口智久のことは全く知らなかったし、制作を担当した CLAP というプロダクションも初耳だった。マッドハウス出身の人が作った会社のようだ。

だからこの映画は全くのノーマークだったのだが、知人が褒めていたので観てみようと思った。

主人公の塔野カオル(CV:鈴鹿央士)が暮らす片田舎の町・香崎にウラシマトンネルの伝説がある。そこに行くと何でも欲しい物が手に入るがその代わりに100歳も年をとってしまう、というものだ。そのトンネルの入り口をカオルが見つけてしまう。

トンネルに入ってみて、カオルは死んだ妹・カレンのサンダル片方と、昔飼っていたインコを手に入れる。そして、本人はごく短い時間そこにいたつもりだったが、戻ってきたら1週間後だった。つまり100歳も年をとるというのは、トンネルの中では時間が早く流れているということだった。

そして、2度めにトンネルを訪れた時、カオルの跡をつけてきた(と思われる)転校生・花城あんず(CV:飯豊まりえ)に出くわして、2人はその謎を共有し、「共同戦線」を張ることにする。

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Monday, September 19, 2022

『ヴィネガー・ガール』アン・タイラー(書評)

【9月19日 記】 肩タイトルに「語りなおしシェイクスピア3 じゃじゃ馬ならし」とある。これはウィリアム・シェークスピア作品のリメイク・シリーズであるらしく、この本は『じゃじゃ馬ならし』の翻案であるらしい。

何となく惹かれて買ったのだけれど、しかし僕はシェイクスピアを読んだことはない。かろうじて2つの劇団で『から騒ぎ』と『真夏の夜の夢』を観たことがあるだけだし、それも随分前のことだ。

その上、このアン・タイラーという作家は全米批評家協会賞やピューリッツァー賞を受賞した上に、作品が何度か映画化もされている有名作家であるらしいのだが、全然知らなかった。

いやあ、知らないことだらけである。

でも、知らなくても全く困らない小説だった。巻末の解説を読んでいたら、「シェイクスピアを知らなくても楽しめるところが多く」という表現が出てきて、改めてほっと安堵した次第である(笑)

で、解説を読むとさらに知らないことだらけで、まず、原作の設定やあらすじが紹介してあったのだが、言われなければ2つの戯曲/小説の関連性に全く気づかないほど違う作品である。

さらに、研究者の間では『じゃじゃ馬ならし』は女性蔑視的な視点が強すぎると非難を浴びている戯曲なのだそうである。アン・タイラーがこの企画に取り組んだのも、シェイクスピアのこの作品が嫌いだから自分で書き直してみようと思ったとのこと。

いやあ、ますます知らないことだらけである。

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Saturday, September 17, 2022

映画『ブレット・トレイン』

【9月17日 記】 映画『ブレット・トレイン』を観てきた。

予告編を見て、なんでブラット・ピットが新幹線に乗ってるの?と思ったのだが、これは伊坂幸太郎の小説をアメリカ人の監督デビッド・リーチが映画化したものだった。

伊坂幸太郎は何作か読んだが、そんなにたくさんではないし、最近作は全く知らない。ただ、伊坂幸太郎原作の映画は結構観てきた。しかし、外国人がこれをどう解釈しどう作り変えるのかは想像のつかないところだ。

で、見終わって言えることは、これはケッサクだということ。そう、カタカナのケッサクが一番ふさわしい表現ではないかと思う。

てっきり東海道新幹線ののぞみ号かひかり号だと思っていたのだが、そうではなくて日本高速電鉄のゆかり号だし、他にも映画内にはたくさんの間違った日本のイメージ(物心両面)が散りばめられている。僕はこういうインチキ・エキゾチシズムが大好きだ。笑えるのなんの。

ストーリーは暗号名レディバグ(てんとう虫)のブラット・ピットがブレット・トレインに乗り込んでブリーフケースを盗んで次の駅で降りるだけという簡単なお仕事を引き受けたつもりが、車内には同じようにブリーフケースを狙っていたり、あるいは彼の命を狙っていたりする危ない奴らがうじゃうじゃいた、というお話。

こういうのは分類としてはクライム・アクション・ムービーと言うらしいが、まあ何というか、殴る、蹴る、刺す、撃つのオンパレードで、ゴリゴリの a gory movie だし、新幹線がこれほどまでにぶち壊されるとなると、日本で JR の協力を得て撮影するのは、そりゃ無理でしょうね(笑)

制作者はそんなことおかまいなしに、自分たちのブレット・トレイン、自分たちの日本と日本人を自由に捏造して、何の制約もないブチ切れ映像を見せてくれる。金かかってますわ(笑)

で、ブラット・ピットを含めて出てくる人物の強いこと。最終的に死んでしまう人物も結構いるが、死んだかと思ったら生きていたという人物も多いと言うか、いやはや、いくらやられても死なないのはどうなっているのか! ダイ・ハードどころではない。

あ、そうか、これ多分ダイ・ハードを意識してるね。レディバグはいつも「俺は不運を背負ってる」みたいなこと言ってるし。

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Friday, September 16, 2022

【note】ブログを書いていると言うと何故か外国人が感心してくれる

【9月16日 埋】 ここ2か月ほど、note に投稿した記事をここに貼り付けるのを忘れていた。まあ、全てここに貼り付ける気もないけれど、久しぶりに1つ貼っておきます。

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Wednesday, September 14, 2022

人間の記憶

【9月14日 記】 人間の記憶というのはいい加減なもので、とりわけ自分の記憶に対して僕は信頼が持てない。

不思議なのは、必ずしも「これこれについては記憶がはっきりしない」という形ではなく、「これこれは確かこうだった」という形で記憶が定着していることが多いということだ。で、そのうちのいくつかは当然の如く間違った記憶なのだ。

自分の記憶が間違っていたということには、通常は他人から指摘されないとなかなか気づかないものである。でも、時々自分が随分前に書いた文章とちょっと前に書いた文章を照らし合わせてみて、それが食い違っているという形で気がつくことがある。当然どちらかが間違っているのである。

例えば今年の1月に書いた『浅草キッド』の記事と、先月書いた Netflix全体について書いた記事がその実例に当たる。

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Tuesday, September 13, 2022

映画『百花』

【9月13日 記】 映画『百花』を観てきた。

川村元気と言えば数々の映画をヒットさせてきた敏腕プロデューサーである。僕の周りには彼をボロカスにこき下ろす人もいるが、僕自身は彼の手がけた作品は全部面白かったし評価もしている。

ただ、この映画は彼の(長編としては)初監督作品であり、監督としての手腕は未知数である。

また、この映画は彼の小説を映画化したものだが、今回は平瀬健太朗と共同で脚本も物しており、こちらも長編としては初めてなのではないかな? そういう意味で脚本家としても未知数である。

そもそも僕は脚本家やカメラマンなど監督の周辺にいた人が監督業に乗り出すことにあまり好印象を持っていないこともあって観るかどうか迷っていたのだが、しかし、予告編では多くの人が、しかもかなり名だたる人が激賞したメッセージが紹介されている。

へえ、ほんまかいな、と思って見に行ったのだが、しかし、正直なところ、僕としてはそれほど褒める映画だったかなという気がした。いや、ひどい映画ではない。よく撮れた映画なのだが、しかし、そこまで褒めるような何かがあったか?と。

僕は自分の母が認知症だし、阪神淡路大震災の被災者でもあるので、その辺りのことでちょっと僕の経験や記憶にそぐわないことが引っかかったのかもしれない。

具体的に言うと、百合子(原田美枝子)が息子の泉(菅田将暉)に向かって、「(そんなことしなくても)いいわよ、あなたも子供ができるんだから」みたいなことを言うシーンがあったが、確かに前のシーンで泉から妻の香織(長澤まさみ)が妊娠したことは聞いていたが、しかし、認知症が始まっている人間に、少し前に一度聞いただけの記憶が定着しているのは如何にも不自然だ。

また、これは上に書いたのとは逆の話になるのだが、認知症というのは右肩上がりのグラフで一気に進行するものではなく、かなりまだらで行ったり来たりするものである。

映画の中で百合子は泉が誰なのか分からなくなるが、最初に分からなくなってそのままということはあり得ない。思い出して、忘れて、と言うか、あるときは知っておりあるときは分からなくなっており、それを繰り返しながらいつしか完全に分からなくなるのだ。

この映画ではその辺りの描き方があまりに一辺倒だったと思う。

それから、阪神淡路大震災の揺れはあんなに短時間では治まらなかったし、外はまだあんなに明るくなかった。

ま、それはこの辺にしときましょうかね。

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Saturday, September 10, 2022

映画『グッバイ・クルエル・ワールド』

【9月10日 記】 映画『グッバイ・クルエル・ワールド』を観てきた。

大森立嗣は僕が好きな監督のひとりだが、今回の目当ては脚本の高田亮だ。

僕が映画館で観た高田亮作品(共同脚本も含む)は全部で 11本あるが、『さよなら渓谷』、『そこのみにて光輝く』、『オーバー・フェンス』、『さがす』など、どれを採っても絶品と言うしかない。今作も期待に違わず凄かった。

ヤクザが資金洗浄のため稼いだ金を集めているラブホテルを“たたいて”金を強奪した5人の行く末を描いている。

それにしても強奪に行くために調達した車がサンダーバードという超大型アメ車だったり、BGM がソウル・ミュージックだったり、今までの日本の犯罪映画とは一味違う。

パンフレットに載っていた対談では斎藤工がクエンティン・タランティーノを引き合いに出しているが、言われてみると確かにタランティーノに通じるところがある。それは(僕が感じたところでは)例えば衣裳や髪の毛、家具や絨毯などの色彩である。

斎藤工は続けてこう言っている:「タランティーノ作品と一番いい意味で違うのはベースにあるビターな世界観だと思います」。うーん、なるほど。

この映画の最初の設定が面白いのは、5人のメンバーは強い絆で結ばれた昔からの仲間などではなく、それぞれが薄ーくしか繋がっていないということだ。

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Friday, September 09, 2022

ジェットタオル/ハンドドライヤーの復活

【9月9日 記】 街に少しずつジェットタオルが戻ってきました。僕はとても嬉しいです。ジェットタオルって、あの、トイレなんかにある風で手を乾かすやつね。ハンドドライヤーという言い方もあります。Handjet

右の写真は都内のある映画館のトイレにあったものですが、わざわざ「ハンドドライヤーによる感染リスクは極めて小さいことが専門家からも認められております」との註釈をつけてあります。

いるんでしょうね、「これで飛沫が飛んだらどうするんだ!」みたいに大騒ぎする人。でも、リスクは極めて小さいと専門家が言ってるんですって。

そうでしょ。そうだと思ってたんですよ。

皆さんもうお忘れかもしれませんけれど、新型コロナウィルスが出てきて間もない頃に「マスクには予防の効果はない」って言ってる人結構いたじゃないですか。根拠はマスクの繊維と繊維の隙間よりもウィルスのほうが小さいから。

僕はほんとにそうか?と随分疑いました。いや、たしかにウィルスのほうが小さいかもしれないけれど、だからと言って予防の効果はないのか?と。それでこんな文章を書いたりしました。2020年2月のことでした。

そしたら6月になって漸く世界保健機構(WHO)もマスクの効果を認めて、方針を大転換しました。

思った通りでした。それで、ジェットタオルもそうじゃないかと思っていたらやっぱりそうでした。

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Thursday, September 08, 2022

映画『この子は邪悪』

【9月8日 記】 映画『この子は邪悪』を観てきた。

片岡翔という名前にはなんとなく聞き覚えがあったが、作品名まで出てこなかったので調べてみたら、僕は彼が脚本を担当した映画を3本観ていた。

『きいろいゾウ』は黒沢久子と、『町田くんの世界』は石井裕也との共同脚本で、どちらも素晴らしい映画だったけれど、共同脚本というものには実にいろいろな形態があるので、どこまで片岡翔が与って力あったのかは量り難い。だが、『ノイズ』は片岡翔の単独作品で、これは間違いなく良かった。

僕にとっては監督としての片岡翔は未知数ではあったとは言え、出演者も南沙良、大西流星、桜井ユキなど、ここのところテレビでおなじみの役者が多く、悪くないキャストだと思ったので観に行くことにした。

しかし、いざドラマが始まると、5年間も昏睡状態にあった母親(桜井ユキ)が突然目覚めて、そこまでは良いとして、その日に退院してきて普通に晩飯食っていたり、父親(玉木宏)が娘(南沙良)の背後から「顔色が悪いが」と話しかけるなど、脚本にちょっと綻びが見えて、あれれ?と思った。

しかし、考えてみればこの母親は最初から怪しい人物として措定されているわけで、まあ、それはそれで良いかと気を取り直して先を観た。

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Tuesday, September 06, 2022

『平場の月』朝倉かすみ(書評)

【9月6日 記】 全く知らない作家だったのだが、読んでその完成度の高さに驚いた。

中高年の恋物語である。2人は中学の同級生。青砥は妻と離婚して地元に戻った。病院に検査に行ったら、そこの売店に須藤がいた。須藤も今はひとりだった。

そこにあるのはある種中学時代に彼らが抱いた淡い思いの延長であると言えるのかもしれない。しかし、それが十代の恋愛と異なるのは、人は中高年ともなると癌になったり、その結果人工肛門をつける羽目になったり、挙げ句の果てに死んでしまうかもしれないということだ。

もちろん、若者だってある日突然交通事故で死んでしまうかもしれない。しかし、その可能性は 50代の人間が癌にかかる可能性より遥かに小さい。そして、それは自分にも、自分の恋の相手にもいつ起きるか分からない、とても身近な恐怖なのである。

この小説では冒頭で須藤が死んでしまったことが明かされる。しかし、つきあっていたはずの青砥は彼女の死を知らされていなかった。何故そんなことになったのか、そこまでのいきさつが肌理細かく語られる。

とても巧い作家である。

なにが「ほらな」なのか分からない。だが、すごく「ほらな」の気分だった。

なんて、これだけ読むと意味がさっぱり分からない。だが、ひとたびこういう表現が物語の文脈に放り込まれると、そこには曰く言い難い納得感が出てくる。

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Monday, September 05, 2022

家事と会社勤め

【9月5日 記】 会社を辞めてから家事をする時間が増えた。

と言ってもそれは日々の炊事・洗濯・掃除・アイロンがけ等に費やした時間ではない。それも少しは増えている気はするが、それだけだと合計としてそんなに増えたという印象はない。

増えたのは、毎日やるわけではないけれど、やるとなると多少ともまとまった時間と根気が要る仕事──例えば、使わなくなったマッサージチェアの処分、椅子のクッションの張替え、エアコンの掃除、お風呂の浴槽と壁の境目の目地の補修などである。

会社勤めをしていたらできない仕事ではない。でも、僕の場合はできなかった。時間がなかったというよりも精神的な余裕がなかったのだと思う。

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Saturday, September 03, 2022

映画『さかなのこ』

【9月3日 記】 映画『さかなのこ』を観てきた。沖田修一監督。

さかなクンの自伝みたいな映画である(ただし、「さかなクンの映画であって、さかなクンの映画ではありません」と銘打っている)。さかなクンと思われる「ミー坊」を演じるのはのんである。

予告編を観たときから思っていたのは、この色調は何だ?ということ。僕はカメラやフィルムの知識が全くないのでパンフレットを読むまで分からなかったのだが、(水中などの特殊なシーンを除いて全て)16mmフィルムで撮影したのだそうだ。

おかげで昔の自主映画みたいな風合いになっていた(今の自主映画はビデオで撮るからこうはならない)。

それから、観る前から思っていたもう一つはパスカルズによる劇伴がピッタリだなということ。で、そのパスカルズのメンバーに混じってバスクラリネットを吹いていたのがさかなクンだと言うからびっくりである。そういう流れで言うと、ドランクドラゴンの鈴木拓が出ているなと思ったら、これがなんとさかなクンの中高の同級生だとか。

さらに、今回の脚本は沖田監督と前田司郎の共同で、しかもこの2人もまた中高の同級生だと言うから驚く(しかし、このコンビは『横道世之介』以来ということなので、多分僕は『横道世之介』のときにも驚いていたはずだw)。

さて、本編の話をしよう。冒頭にトリキリ・テロップで「男か女かは、どっちでもいい」と出てくる。

僕は、「ははあ、さかなクン役に自分でのんをキャスティングしておきながら、やっぱり何か言われるのを気にして、いきなり予防線を張ってきたか」と思ったのだが、しかし、しばらく観ているとそういう思いは完全に吹き飛ばされてしまった。

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