ちょっと待ってください
【8月29日 記】 先日、つきあいのあった(と言っても男女の交際ではないので、念のため)アメリカ人女性との別れがあり、急にある歌を思い出した。
それは『ちょっと待ってください』である。カタカナで『チョット・マッテ・クダサイ』と書かれることもある。原題は Chotto Matte Kudasai であり、1970年代初頭に Sam Kapu が大ヒットさせたハワイアン・ミュージックである。
日本ではゴールデン・ハーフがカバーしてスマッシュヒットしたが、僕が一番好きなのは Petty Booka のバージョンである(彼女たちの音源は今ではほとんど手に入らないと思うが)。
で、久しぶりに聞いて、この歌が見事に脚韻を踏んでいるということに今ごろになって気づいたのである。
日本語には漢詩のような厳密な押韻のルールがあるわけではないし、いや、そもそも漢詩や英詩のような韻を踏む習慣さえもなかったのだが、近年の日本語のラップの浸透によって、日本語でもかなり韻を踏むということが広まり、認められるようになったと思う。
しかし、僕が若かったころ、小さかったころには韻というものを教えてくれる人もいなかったので、知らないまま通り過ぎて来てしまった。
だから、The Beatles の Abbey Road の You Never Give Me Your Money の最後の部分で
1, 2, 3, 4, 5, 6, 7
All good children go to heaven
と歌っているのを聴いても、「日本だったら『一から十まで数えたら』と言うようなところで、1から7までで止まってるな」と思っただけで、seven と heaven が韻を踏んでいることに長らく気づかなかった。
同じく seven の例で言うと、セブンイレブンと聞いても「ああ、7時から11時まで開いてるからセブンイレブンか」と思っただけで、seven と eleven が完全な脚韻を踏んでいることに長らく気づかなかった。
脚韻はまだましで、頭韻となると、例えばミッキーマウスもミニーマウスも、ドナルドダックもデイジーダックも、キングコングもマイティマウスも、ハンサム・ハリー・レイスもキラー・カール・コックスも(以上2人はプロレスラー)、みんな頭韻になっているということに全く気づかないまま長い時間を過ごしてしまった。
そういうわけで、この歌(Chotto Matte Kudasai)の押韻にも気づかずに来てしまったのだが、ちょっとサビの部分の歌詞を引用してみよう:
Chotto matte kudasai
Please excuse me while I cry
Without your love I would die
Never leave me kudasai
なんと、日本語と英語で韻を踏んでいるのだ! 「ください」の「さい」と cry と die! [ai] の脚韻である。
最後の Never leave me kudasai というのはちょっとおかしな表現だが、知っててわざとなのか、それとも知らずになのか kudasai = please という理解で無理やりはめ込んだ日本語英語である。
そして、この辺のカタコト(片言)な感じが逆に泣けるのである。だから、ゴールデン・ハーフの日本語訳バージョンでもこの部分はそのまま活かされている。
僕は個人的には2行目の Please excuse me while I cry が好きだ。何度聴いてもジーンと来る良い詞であり名曲である。
そして、日本語と英語で韻を踏むという画期的な試みは大成功していると言えるのではないだろうか。
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