« July 2022 | Main | September 2022 »

Wednesday, August 31, 2022

MONKEY vol.19 「特集 サリンジャー ニューヨーク」雑誌・柴田元幸責任編集(書評)

【8月31日 記】 2019年10月に発売され、2021年6月に買ったまま放ってあった本。仕事を辞めて時間ができた、と言うより精神的な余裕ができたので、漸く読むことができた。

全部は読んでいない。J・D・サリンジャーの短編『いまどきの若者』(The Young Folks)と『針音だらけのレコード盤』(Needle on a Scratchy Phonograph Record)、F・スコット・フィッツジェラルドの『真珠と毛皮』(The Pearl an the Fur)。訳は当然3篇とも柴田元幸である。

それから柴田元幸による R・O・ブレックマンとニコラス・ブレックマンへのインタビューも読んだ。イッセー尾形の小説は冒頭を読んだものの途中で投げ出してしまった。川上弘美の短編は最後まで読んだ。

これで僕が読んだサリンジャー作品は(訳によってタイトルが違ったりするので原題で書くと)年代順に、

  • The Young Folks
  • The Long Debut of Lois Taggett
  • Last Day of the Last Furlough
  • A Boy in France
  • This Sandwich Has No Mayonnaise
  • The Stranger
  • I'm Crazy
  • Slight Rebellion Off Madison
  • Needle on a Scratchy Phonograph Record
    (発表時のタイトルは Blue Melody)
  • The Catcher in the Rye
  • Nine Stories (9篇)
  • Seymour: An Introduction Stories
  • Franny and Zooey(2篇)
  • Hapworth 16
  • Raise High the Roof Beam, Carpenters

の24作ということになった。いろんな人の翻訳で何度も読んだ小説もあれば、翻訳と原文の両方で読んだ小説もある。

Continue reading "MONKEY vol.19 「特集 サリンジャー ニューヨーク」雑誌・柴田元幸責任編集(書評)"

| | Comments (0)

Tuesday, August 30, 2022

I'm into Netflix

【8月30日 記】 最近になって Netflix をよく観るようになった。立て続けに観ている。

そもそも、最初に加入したのは山田孝之主演の『全裸監督』を観るためだった。それ以前には加入する気はなかった。

何故なら僕のドラマ鑑賞の中心は日本の作品であり、そのスケジュールは映画とテレビで目いっぱいであり、他にも WOWOW と Amazon Prime にはお金を払っており、そんな調子でどんどんサブスクリプションが増えて行ったらえらいことになると思っていたからだ。

『全裸監督』は、当時 Netflix が設けていた最初の1か月の無料期間内で全話を見終えた。そして、そこですぐに退会しようと思っていたのに、うっかり過ぎてしまい1か月分の会費を払ったが、とにかく一旦退会した。

ところが、しばらくして、これは僕は全く予想していなかったのだが、『全裸監督』第2シーズンが制作され公開されたのだ。仕方なく僕は Netflix に再入会した。

幸いなことに、退会中に僕は転居しており、登録する際の住所が変わっており、メールアドレスも前とは別のものを登録したので、再び1か月の無料期間が適用され、再び無料期間内で全話を見終わって再び退会した。

次は『浅草キッド』だ。これは内容(若き日のビートたけしの伝記)や配役もさることながら、劇団ひとりが監督を務めたということもあって是非とも見たかった。

それで3度目の入会をしたのだが、今度は住所も変わっていないのでいきなり有料もやむなしだなと思っていたのだが、どちらにしてもすでに1か月無料の制度はなくなっていた。

Continue reading "I'm into Netflix"

| | Comments (0)

Monday, August 29, 2022

ちょっと待ってください

【8月29日 記】 先日、つきあいのあった(と言っても男女の交際ではないので、念のため)アメリカ人女性との別れがあり、急にある歌を思い出した。

それは『ちょっと待ってください』である。カタカナで『チョット・マッテ・クダサイ』と書かれることもある。原題は Chotto Matte Kudasai であり、1970年代初頭に Sam Kapu が大ヒットさせたハワイアン・ミュージックである。

日本ではゴールデン・ハーフがカバーしてスマッシュヒットしたが、僕が一番好きなのは Petty Booka のバージョンである(彼女たちの音源は今ではほとんど手に入らないと思うが)。

で、久しぶりに聞いて、この歌が見事に脚韻を踏んでいるということに今ごろになって気づいたのである。

日本語には漢詩のような厳密な押韻のルールがあるわけではないし、いや、そもそも漢詩や英詩のような韻を踏む習慣さえもなかったのだが、近年の日本語のラップの浸透によって、日本語でもかなり韻を踏むということが広まり、認められるようになったと思う。

しかし、僕が若かったころ、小さかったころには韻というものを教えてくれる人もいなかったので、知らないまま通り過ぎて来てしまった。

だから、The Beatles の Abbey Road の You Never Give Me Your Money の最後の部分で

1, 2, 3, 4, 5, 6, 7
All good children go to heaven

と歌っているのを聴いても、「日本だったら『一から十まで数えたら』と言うようなところで、1から7までで止まってるな」と思っただけで、seven と heaven が韻を踏んでいることに長らく気づかなかった。

同じく seven の例で言うと、セブンイレブンと聞いても「ああ、7時から11時まで開いてるからセブンイレブンか」と思っただけで、seven と eleven が完全な脚韻を踏んでいることに長らく気づかなかった。

脚韻はまだましで、頭韻となると、例えばミッキーマウスもミニーマウスも、ドナルドダックもデイジーダックも、キングコングもマイティマウスも、ハンサム・ハリー・レイスもキラー・カール・コックスも(以上2人はプロレスラー)、みんな頭韻になっているということに全く気づかないまま長い時間を過ごしてしまった。

Continue reading "ちょっと待ってください"

| | Comments (0)

Saturday, August 27, 2022

映画『アキラとあきら』

【8月27日 記】 映画『アキラとあきら』を観てきた。

池井戸潤の本は1冊も読んだことがないが、彼の小説が原作となったドラマや映画は、『半沢直樹』や『七つの会議』をはじめとして、そこそこ観ている。

今回の作品は、山崎瑛(竹内涼真)と階堂彬(横浜流星)というタイプの違う銀行員(前者は潰れた町工場の息子、後者は同族経営の大会社の御曹司)が、入行直後からライバルとしてしのぎを削る話である。

どれも同じだなどと書くと池井戸ファンは怒るだろうが、しかし、ま、僕からするとどれもこれも同じ構造なのである。耐えて耐えて最後に一発逆転する。──日本に古くからある、例えば忠臣蔵みたいな、あるいは高倉健のヤクザ映画みたいな世界だ。

そして、ヤクザ映画で言えば極悪非道の組長みたいな役柄がユースケ・サンタマリアと児嶋一哉が演じた彬の叔父2人であり、その悪役に取り込まれてしまう獅子身中の虫が、彬の弟の龍馬(高橋海人)である。

でも今回の特徴は、悪役退治ではなく、アキラとあきらの友情ががっちりと確立するところを集結点に持ってきているというところだ。

原作ではアキラとあきらは仲が良くて対立構造はないのだそうだ。映画では、相手のやり方にお互いに相容れないものを感じて対抗意識を持つ2人という設定にしたのは大正解だったと思う。池田奈津子の脚本も大変良かった。

Continue reading "映画『アキラとあきら』"

| | Comments (0)

Wednesday, August 24, 2022

映画『サバカン SABAKAN』

【8月24日 記】 映画『サバカン SABAKAN』を観てきた。知らない監督だったし、予告編を見てもそれほどそそられなかったのであまり観る気はなかったのだけれど、4人の知人が観て4人ともが褒めていたので急に観たくなった。

2人の小学生の夏休みの話。語り部はそのうちの一人、大人になって物書きをしている久田(草彅剛)。

とりとめもない話だ。と言うか、2人の行動があまりに脈略がない。イルカが来ているから見に行こうと、それまで別に親しくもなかった同級生の竹本(原田琥之佑)に半ば脅されるように誘われて、久田(番家一路)は朝の5時に自転車の2人乗りで家を出発し、山を越え、海を泳いで渡って小さな島に着く。無茶苦茶な行程だ。

でも、自分の少年時代もこんな風に脈略のない行動をしていたことを突然思い出してしまった。

僕は豊中市に住んでいたのだが、「今日はパンアメが来てるから」とみんなで伊丹空港まで飛行機を見に行った記憶がある。パンアメとはパンアメリカン航空のことで、当時は日本未就航だった。今ではみんなパンナムと略すが、僕ら小学生は英語がリエゾンするなんてことは全く知らなかったから、勝手にパンアメと呼んでいた。

みんなで脈略もなく歩いていたら、園田の競馬場に着いてしまって、土手の上からしばし競馬を見ていたこともある。

この映画の中でも、竹本が内田のじじい(岩松了)の畑からみかんを盗んで追っかけられるシーンがあるが、僕らもある日山道を歩いていたら、筍掘りをしている人たちがいて、勝手に参加して取っていたら、「何してんの、あんたら! これあげるから帰り!」と筍の小さな切れっ端を投げつけられたことがあった。

この映画を観ていると、そんなことを順番に思い出してしまうのだ。

僕の少年期とは 20年ほどの開きがあるはずなのに、大阪同士の比較ではなく大阪と 20年後の長崎だからなのかもしれないが、共通なものがたくさんある。だからノスタルジーがある。

そして、生まれて初めて貧富の差というものを実感したのも小学生時代だった。

この映画では子だくさんの母子家庭でボロボロの家に住んでいて、年中ランニングシャツで学校に通っている竹本が級友たちのからかいの的になっていたが、僕も同級生の松本くんの家に行って、「この家は二間で終わりなのか! あの壁の向こうはもう隣の家なのか」と驚いたことがある。松本くんとは特に親しくもなかったのに、何故突然家に呼ばれたのかはいまだに謎だ。

久田もどうして竹本に誘われたのかが分からない。しかし、それは終盤の竹本の台詞で説明される(ここには書かないでおく)。

Continue reading "映画『サバカン SABAKAN』"

| | Comments (0)

Sunday, August 21, 2022

足と尻の話

【8月21日 記】 ここ数年、家でヨガをやっている。最初は YouTube の動画を見ながらやっていたのだが、今はアプリを入れている。で、このアプリの日本語が微妙に気持ち悪いのである。

元々は英語で作られたアプリを日本語化したものらしいのだが、時々翻訳のミスがあって「足」と言うべきところを「手」と言っていたりするので、画面を見ずに音声だけ聞いてやっているとワケが分からなくなったりもする。

でも、気持ち悪いのはそこではない。もっと微妙なところである。

足を前後に開くポーズで、例えば右足を前に出して左足を後ろに引いているような場合に、右足のことを「前足」と言っているのである。

しかし、犬でも馬でも何でも良いからこれを動物に当てはめてみると分かるように、「前足」とは四肢のうちの前の2本であり、二足歩行をする人間の場合は手に当たる部分だ。だから、右足を前足と言われると微妙に気持ち悪いのである。

じゃあ、どう言えば良いかと言うと、「前の足」である。「前の足に重心をかけて」とか「後ろの足を伸ばして」とかであれば何の問題もない。ただ「の」の1字/1音を節約するためだけにこんな変な日本語になっているのを大変残念に思うのである。

Continue reading "足と尻の話"

| | Comments (0)

Friday, August 19, 2022

好きじゃない女優

【8月19日 記】 僕が長年やってきた twitter を見てもらえば、あるいは、このホームページに書いた映画評をいくつか読んでもらうと分かると思うのだが、僕には好きな女優がたーくさんいる。

主演級もいれば名脇役もいる。ものすごい美人女優もいるけど、そうでない人(誰とは書かないけど)もいる。

で、その一方で好きじゃない女優もいっぱいいる。女優に限らず、僕には好きじゃない映画監督、好きじゃない小説家、好きじゃないシンガーソングライターなど、どの分野にもそういう人は必ずいる。

周りの人と話しているとあまりそういう話を聞かないので、みんな嫌いな人いないのかなと時々不思議になる。

Continue reading "好きじゃない女優"

| | Comments (0)

Wednesday, August 17, 2022

『日本人の英文法』(T・D・ミントン)書評

【8月16日 記】 高校で習って以来、さすがに英文法の知識もかなり薄れてきたなあと思って選んだ本。著者はケンブリッジ大学卒業で、現在は慶應義塾大学の教授。

如何にも何ごとにおいても厳格なイギリス紳士が書いたという感じの本で、かなり理屈っぽい。そういうのに嫌悪感を覚える人にはお勧めしないが、僕は嫌いではない。

で、学校を出てから何十年も経つと、その間にネイティブが使っている英語自体も多少は変わってくるだろうし、当時日本の教科書に書かれていたことが間違いだったてなことも発覚するだろう。

しかし、一番の問題は、卒業してしまうと、もう誰もそんなことを教えてくれないということだ。今回この本を読んで非常に驚いたことが2つある。

ひとつは、

(A) Bill is shorter than me.
(B) Bill is shorter than I.

という2つの表現のうち、(B) はほとんど使われないということ。

え、そんなはずはない。shorter than I am の省略形だから (B) でなければならないと学校では教わったが。現代口語英語ではほとんど常に直接目的格が来るとのこと。これは as ~ as の後でも同じで、Bill isn't as tall as me. となるのだそうだ。

しかし、となると、(こういうのは日本の文法教科書が喜々として取り上げる比較例なのだが、)

(A) I like you better than her. (私は彼女より君のほうが好きだ)
(B) I like you better than she. (彼女より私のほうが君が好きだ)

の区別はどうするんだ? どっちも than her になってしまって区別がつかないじゃないか? ということになるが、著者によるとこういうのは単なる頭の体操みたいなものであって、実際には (B) はやはり全く使われない表現であり、こういうケースでは省略せずに、 I like you better than she does. と言うのだそうだ(笑)

それからもうひとつは、僕らは学校では「2人のときは each other、3人以上の場合は one another」と教わったが、現代英語では3人以上であっても each other を使い、one another はめったに使われないとのこと。

これも、えー、早く言ってよ!という感じの例だった。

Continue reading "『日本人の英文法』(T・D・ミントン)書評"

| | Comments (0)

Tuesday, August 16, 2022

映画『野球部に花束を』

【8月16日 記】 映画『野球部に花束を』を観てきた。

映画館でこの映画の予告編を観たときには、よくもまあこんなつまらない映画を作ろうと思ったものだなあと思ったが、これが敬愛する飯塚健監督の作品(脚本も)だと知ると観ないわけには行かない。

それでもあまり期待しないで観に行ったのだが、いや、こんなバカバカしい題材を全く上滑りすることなく最後まで構成し切った飯塚健って、本当に才能溢れる人なんだなあと改めて感心した。

予告編だけ見ると結構滑っているように見えるので、かなり損していると思う。

予告編では現代に残っている理不尽な時代錯誤ワールドみたいな部分を前面に押し出しているが、この映画はもっと単純に「野球部あるある」を繋いでコント風のドラマにしたものだ。原作はクロマツテツロウの漫画。

で、本編内でもたびたび丸いワイプで元ロッテの里崎が登場して「野球部あるある」を短く語る。

丸坊主にしなければならないという制約があったためか、高校生役ではあまり顔の知れたタレントは出ていない。僕が最初から顔と名前が分かったのは駒木根隆介だけ。しかし、彼、もう不惑ですよ(笑)

主役・黒田を演じた醍醐虎汰朗は、『天気の子』の主人公だったと言われてもあれは声優だったし、2.5次元の『弱虫ペダル』でも主演だったらしいが僕は観ていないし…。

そして、黒羽麻璃央は後から「あ、あれは黒羽麻璃央だったのか!」という感じで、市川知宏は「なんか名前に記憶がある」程度である。みんな1年生役だが5人の平均年齢は約29歳!

そんな1年生部員たちが恐れをなす上級生役には、間違いなくわざとだが、とても高校生には見えないおっさんたちが多く扮していて、それでもなお迫力不足と考えたのか、「1年生にはこう見える」という設定では小沢仁志が出てくる。この辺の思いつきがおかしい。

Continue reading "映画『野球部に花束を』"

| | Comments (0)

Sunday, August 14, 2022

学校給食

【8月14日 記】 今でも時々学校給食のことを思い出す。とにかく不味かった。

給食というものは各地で別々に作るものだから、地域によっては美味しいということもあるのかと思って妻に訊いてみたら、やっぱりどれもこれも不味かったと言う。

あの時代の給食は総じて不味かったのかもしれないと思ったりもするのだが、しかし、自分の小学生時代に、少しでも量の多いお椀を奪い合っていた同級生のことを思い出すと、どうにも納得が行かない。

大きな鍋で教室に運ばれてきた給食を小学生がお椀などに取り分けて行くわけだから、そんなに均等にはならない。それで、少しでも量が多いお椀を見つけて、そこにペッとツバを吐いて、「もう、ツバつけたから、これは僕のもの」などと言っている同級生たちが何人かいた。

そうまでして取りたいのか!と小学生の僕は驚愕した。僕には理解できなかった。僕は少しでも量の少ないものを選びたかった。人の味覚というのはそれほどまでに違うのだろうか?

給食の話をすると、「でも、○○だけは美味しかった」とか「○○は大好きで楽しみにしていた」とか言う人がいるのだが、それも僕には分からない。僕にはどれもこれもただひとつの例外もなく悉く不味かった。

Continue reading "学校給食"

| | Comments (1)

Saturday, August 13, 2022

政府広報

【8月13日 記】 映画を観に行ったら、上映前にこれまで見たことがない CM が流れた。

若い男女が大麻について肯定的に語っている。曰く、大麻には依存性がない、自然のものだから安心、海外では合法、等々。

するとそこに別の人物が出てきて、そんなことはない、騙されるな、仕方なく合法にしている外国の真似をすることはない、みたいなことを言う。

これを見ていてむかっ腹が立った。

大麻が有害か無害か、あるいは有益か無益か、という議論はここではとりあえず措くことにする。

問題は、いやしくも政府広報(正確に言うと警察庁の広報)であるにも関わらず、その根拠をひとつも示していないことである。

Continue reading "政府広報"

| | Comments (0)

Friday, August 12, 2022

映画『TANG タング』

【8月11日 記】 映画『TANG タング』を観てきた。

これまで『管制塔』を除く 14本の作品を観てきて、見慣れた三木孝浩監督の映画だと思っていたら、冒頭の、荷物運搬用のドローンが飛び交う街の俯瞰があまりにきれいで驚いた。──そうか、CG は白組がやっているのだ。

札幌空港や福岡空港、深圳の繁華街、そして宮古島の田舎道など、ものすごくきれいな画、すばらしい構図が多い。

しかし、それにしても三木監督はこの3年間で6本、コロナの影響で公開スケジュールが前後してたまたま重なってしまったということもあるかもしれないが、今年の7月8月で3本連続公開とは、なんという多作!

今回は原作がある。デボラ・インストールの『ロボット・イン・ザ・ガーデン』。僕は読んでいないが、これは昨年の『夏への扉』を思い出させる。

しかし、どれほど原作に忠実なのかは分からないが、映画を観た限りでは、この話は『夏への扉』ほど複雑な話でもないし、SF の観点からしてもそれほど完成度の高いものではないように思える。

なんとなく設定がゆるく、特に武田鉄矢が演じたロボット科学者の部分が茶番っぽいのだが、まあ、その辺を狙った映画でもないのだろうから、それはそれで良いのかも知れない。

なにしろタングの容貌は多分 20世紀の人たちが頭で考えていたようなデザインだ。おまけに金属の角の部分が悉く錆びている。そのタングを白組が自在に動かしてとても可愛らしい画ができあがった。

さらに随所に挿入されるタング目線の映像が良い。三木監督はこういう撮り方が非常に巧いなあと思う。タングの目に映る人間たちの表情がとても良い。

思うにタングの身長をこの高さに設定したのは大正解だった。人間を見るときに必然的にちょっと上目遣いになる。二宮和也との2ショットの構図が絶妙に愛らしい。そして、タング目線の映像は逆に下から少し煽った構図になる。そこに映る人間たちのタングをいたわるような表情が的確に表される。

Continue reading "映画『TANG タング』"

| | Comments (0)

Thursday, August 11, 2022

『ミーツ・ザ・ワールド』金原ひとみ(書評)

【8月10日 記】 金原ひとみを初めて読んだ。

『蛇にピアス』で芥川賞を獲ったときには、同時受賞者の綿矢りさとともにまだ20歳かそこらで随分話題になったが、僕は綿矢りさの純文学的な魅力に惹かれ、金原ひとみのほうはキワモノ的な感じがして読まなかった。

しかし、あれから 20年近い月日が流れる中で、金原ひとみが書いた小説以外の文章を読む機会が1回か2回あり、なんか悪くない感覚の持ち主だと思った。それが一体何だったのかはっきりとは思い出せない。映画のパンフレットか何かに彼女が文章を寄せていたのかもしれない。

そして、そんな中で今年の4月に NHK が放送した『言葉にならない、そんな夜。』のレギュラー化後の最初のシリーズに彼女が出演して、言葉について語るのを聴いているうちに、これは何がなんでも読まなければという気になってきた。

それで適当に選んだのが、一番出版日が新しかったこの本だったのだが、それが良かったのかどうかは分からない。ただ、想像したのとは随分違った。

なんと言うか、もっと研ぎ澄まされた文章を期待していたのだ。

ここにあるのは、意識してなのかしないでなのか分からないけれど、初めて小説を書いた人のような、会話が延々と続いたあと、時々内省的な独白が挟まれる小説で、風景描写のようなものが極端に少なく、そういう点では全く僕の好みではない。

Continue reading "『ミーツ・ザ・ワールド』金原ひとみ(書評)"

| | Comments (0)

Wednesday, August 10, 2022

It never rains in California

【8月10日 記】 アルバート・ハモンドの『カリフォルニアの青い空』という歌がある。1972年のヒット曲だ。

1972年と言えば僕は中学3年生だったから、当時の自分の英語力ではこの歌の詞は充分に理解できなかった。

当時思ったのは It never rains in Southern California というタイトルの曲に『カリフォルニアの青い空』という邦題をつけたのはとても巧いなということ。

それから、これはあくまで歌の世界であって本当にそんなことはないのだろうけれど、もし本当にカリフォルニアでそんなに雨が降らないのなら日常生活用水はどうやって調達しているのだろうか、ということだった。

中学生の頭で考えられるのはその程度だろう。

それから何十年、この歌は大ヒットだったし、僕もとても好きな歌だったので、その後も折に触れて耳にする機会はあったのだが、最近改めて歌詞をじっくり読んでみて、いろんなことに気づき、あの当時自分が全く詞を理解せずに聴いていたということが分かって愕然とした。

長調のペンタトニック・スケールだけで構成された、この一見明るい曲はなんと物悲しい歌だったんだろう。この歌を聴きながらカラッと晴れた青空を想像していた僕はバカだった。

Continue reading "It never rains in California"

| | Comments (1)

Monday, August 08, 2022

名前考

【8月8日 記】 一概にキラキラネームが悪いと言う気はないのだが、でも、やっぱり最近の若い(あるいは幼い)人たちの名前を見ると、いろいろ考えることがある。

一番思うのは、読みにくい、どう読むのか分かりにくい名前が随分増えたということ。

太郎とか花子とか、そこまで極端な例でなくても、僕らの世代周辺によく見られた名前、例えば健一とか克彦とか雅弘とか、優子とか真由美とか薫とか、そういう名前は大抵の人が間違わずに読めたものだ。

ところが最近では本人に確かめないことには本当にそう読むのかどうか確信が持てない名前が多いし、同じ漢字の組み合わせでも読み方がたくさんあったりする。

例えば男の子の名前によく使われる「翔」という字だが、これは音読みのショウが採用されることもあるし、「かける」と読ませることもあるし、「と」と読ませることもある。例えば 2021年に生まれた男の子の名前で多かった第2位は「陽翔」(はると)なのだそうだ。

「と」は「翔ぶ」から来ているのだが、本来この漢字に「とぶ」という読みはなく、これは司馬遼太郎が『翔ぶが如く』を書いて以来定着したと言われていたりする。

しかし、僕らの世代はなんとなくこの字が「と」と読まれることに抵抗感がある。その感じをうまく説明できないなと思っていたら、先日読んだ平山瑞穂の『ドクダミと桜』の中に見事に説明し切った箇所があったので、少々長くなるが引用してみようと思う。

これは主人公の咲良(さくら)が中学時代の同級生である多実に 19年ぶりに再会するストーリーなのだが、以下に引用したのはシングルマザーになっていた多実の娘の萌愛(もあ)が咲良に対して、自分にこんな名前をつけた母親のひどさを語るシーンである。

Continue reading "名前考"

| | Comments (0)

Sunday, August 07, 2022

3 inches をどう訳すか?

【8月7日 記】 またしても STRANGER THINGS がらみの話なのだが、劇中の台詞の中に 3 inches という表現があり、それを字幕では「7センチ」と訳していて、とても気になった。

その場面はこうだ: 自分が親代わりになって養っているエルが、家の自室で同級生のマイクとイチャイチャしているのが警察署長のジム・ホッパーは気になって仕方がない。そこで部屋の様子が見えるように「3インチでいいから、ドアをあけておくように」とエルに言うのである。

1インチは約2.5cm、3インチなら約7.5cm である。これを7センチに丸めてしまっているのが、まず僕は気になる。7センチ開けただけだと3インチ開けたことにはならないではないか?

小数点以下の端数を翻訳者は話し言葉としては不自然と感じたのだろう。しかし、それを言うなら7センチだって半端な数字だ。

僕ならいっそのこと「10センチ」と訳すかもしれない。7センチと 10センチを並べると差が大きいように感じるかもしれないが、ここでは3インチの3にはとりたてて意味がなく、要は「中が見えるように少しだけ開けておけ」ということなのだから、7センチでも 10センチでも構わないと僕は感じる。

訳者はひょっとしたら 10センチだと約4インチになってしまうことを気にしたのかもしれない。

しかし、日本人が「少しだけ」という意味を込めて言うとしたら、それは7センチではなく、数値としては多分5センチか 10センチ、表現としてはそれらを合せて「5センチか 10センチ」、あるいは「7、8センチ(しちはっせんち)」だろうと思う。

Continue reading "3 inches をどう訳すか?"

| | Comments (0)

Saturday, August 06, 2022

映画『コンビニエンス・ストーリー』

【8月6日 記】 映画『コンビニエンス・ストーリー』を観てきた。

三木聡は僕とは相性の悪い監督で、3本ほど観たが、2010年以降は1本も観ていない。ひとことで言うと、僕とは趣味が合わない。具体的な何かがダメということではなく、結果的にできあがった作品が全体として僕の趣味に合わない。

脚本家の加藤(成田凌)は同棲中の女優・ジグザグ(片山友希)が飼っている犬のケロベロスを山中に捨てに行って、そこで車がエンコしてしまう。近くにコンビニがあったので行ってみたのだが、そこに車が突っ込んできて異世界に飛ばされてしまう。

そこは同じコンビニで南雲(六角精児)と妻の恵子(前田敦子)が切り盛りしていた…。

とにもかくにも非常に作り物感の強い作品で、今回もしんどいなと思って観ていたのだが、しかし、最後まで見通すとそれなりの感懐はある、とだけは言っておこう。

謎解きをして最後には全ての辻褄を合せてしまおうという監督ではないので、当然なんだか分からないところは残るし、それはそれで良いのだが、しかし、この映画はもっとプリミティブな次元で分かりにくいところがある。

例えば、南雲は胸に人面のタトゥーを入れているとのことだが、これが人の顔を象っているとは俄に分からなかったり、他にもそれは誰で、それがどうなったのか、みたいなことがあんまりうまく伝わっていない部分があった気がする。

Continue reading "映画『コンビニエンス・ストーリー』"

| | Comments (0)

Thursday, August 04, 2022

She's So Unusual

【8月4日 記】 何年も前から、仕事を辞めて暇ができたら何をしようかとあれこれ考えてきたが、その中のひとつが買い溜めた音楽CD を聴き直すことだ。

僕の場合はせっかく買ったのに一度も聴いていない CD というのは1枚たりともないが、2~3回しか聴いていないのは結構あるように思う。

あるいは、間違いなく 100回以上聴いている CD でもここ 10年間は一度も聴いていなかったりもするはずだ。

そういうのを順に聴き直して行こうと思う。

最近は特に好きな楽曲だけ選んで Walkman に入れてランダム再生して聴くことが多く、アルバムで聴く機会がほとんどない。

アルバムというのは1曲目は何にして次は何で最後は何という構成がちゃんと考えられているので、それを頭から順に聴くことには大きな意味がある。

そして、僕が Walkman に入れているのは日本の楽曲ばかりなので、外国曲のアルバムを今こそ聴き返したいという気にもなった。

Continue reading "She's So Unusual"

| | Comments (0)

Monday, August 01, 2022

Play Log File on my Walkman #149

【8月1日 記】 またしても随分間が空いてしまったプレイログ披露。今回も5曲。

  1. 君は心の妻だから(三條正人)
  2. ロンリー・チャップリン(鈴木聖美 with Rats & Star)
  3. 世界中の誰よりきっと(酒井法子)
  4. Exotica Lullaby(細野晴臣)
  5. マイ・ロスト・ラブ(小川みき)

Continue reading "Play Log File on my Walkman #149"

| | Comments (0)

« July 2022 | Main | September 2022 »