映画『エルヴィス』
【7月23日 記】 映画『エルヴィス』を観てきた。こんなにカット変わりの激しい映画は久しぶりに見た。CM並みのカット数だ。俳優の表情を追うようなシーンでも、途中でわざわざ他の画をインサートしてあったりする。大変疲れた。
僕の年齢だとエルヴィス・プレスリーの全盛期は知らない。知っているのは晩年のプレスリーだけだ。もみあげ伸ばしたおっさんが、中年太りし始めた身体をぱっつんぱっつんの、ひらひらの衣裳に無理やり押し込んだみたいにして歌っているのを見て、どこが良いんだろう?と思っていた。
僕の場合、ビートルズは順に遡って聴いて、その素晴らしさに魅了されたが、プレスリーに関してはそんなことにはならなかった。
実在の人物を扱った映画を見ると、よく「…だったとは知らなかった」みたいなことを言う人がいるが、僕はそこまで信じていない。本当にどうだったのかは誰も知らないのである。当時を知る人の証言があったとしてもだ。
今の坂本龍馬のイメージなんて完全に司馬遼太郎が作ってしまったものであって、もうそれ以前には戻れない、という話を聞いたことがある。ま、僕は基本的に歴史小説を読まないし、司馬遼太郎だって1冊も読んだことがないのでよく知らないが。
でも、この映画のお陰で、エルヴィス・プレスリー及びそのマネージャーであった“大佐”のイメージが完全に固まってしまう可能性はあるなと思った。それほど濃い映画だった。それにしてもちょっと長すぎたけどね。
まあ、これは大佐を演じたトム・ハンクスが主演であると言っても良い映画だった。そこに焦点を当てて、そういう作りにしようとした発想はなかなかのものだなあと思った。
大佐は悪党である以前に俗物であったという描き方は悪意を感じさせるが、それはある種エルヴィスに対する愛なのかもしれない。
そう言えば大佐の台詞で「エルヴィスを殺したのは愛だ」みたいなのがあったが、これをなるほどと思う人もいるのだろうか? 多分そういう受け取り方をする人もいるんだろうなと、映画を見ながら思った。
僕は如何にも俗物の大佐が口にしそうな噴飯ものの台詞だと思った。
そんな風に受け取り方が分かれる映画ではないだろうか。
映画自体を悪し様に言う気はない。ただ、終盤で流れた実録映像にはやっぱり作り物は敵わないなと思ったのも確かである。
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