『残月記』小田雅久仁(書評)
最初の『そして月がふりかえる』が怖い。
主人公は成功した大学教授・高志。最近ではテレビ出演もあって知名度も上がってきた。そんな彼が家族とレストランで食事をしていて、途中でトイレに立つ。
帰ってくると、何か雰囲気が変だ。レストランの客も従業員も、全員が窓の外の満月を見ている。そして、誰も動かない。時間が止まっているのだ。
しばらくして時間が動きだしたので、元の席に就こうとしたら、妻に「どなたですか?」と訊かれる。何を言っているんだ?と思うが、どんなに説明しても妻も子供たちも自分のことを全く知らない人と見ている。
そうするうちにトイレから「本物の自分」が戻ってくる。彼は夫として父として自然に家族に迎えられる。では、自分は何者なのか? その後で、自分は「本物の自分」と同姓同名のタクシー運転手なのだと判明する。
どうです? 怖い話でしょ? でも、しばらく読み進むと、ここからどう展開する?と心配になる。主人公はあまりに手詰まりなのだ。
巧い作家である。自分の母と妻である詩織を比べて、
もし母と詩織を並べて指ではじいたら、きっと同じように淋しく澄んだ音色を響かせたに違いない。
などと書く。こういう比喩がとても巧みである。
不幸はいつだって幸福が力尽きるのを待っている。
そう、まさに高志はそういう状況に追い込まれる。彼はもう一度無理やり妻と直接対面し、理路整然と彼女を説得しようとするが、それが一気に解決に繋がるはずもない。もうその辺りが限界なのだ。
彼は途方に暮れる。そして、小説としても、もうこの辺から先に進めなくなる。そんな感じになったところで、この小説は唐突に終わる。最後に短い、しかし劇的に大きな展開があって、とても怖い終わり方をする。
この切れ味と余韻が非常に見事な掌編である。
その次の『月景石』も月にまつわる話。月景石を見つけた女性が、枕の下にそれを入れて寝て悪夢を見る。そして、もう一度同じことをしてその夢の続きを見る。『そして月がふりかえる』よりもかなりファンタジー色が強い。
そして、最後の『残月記』が一番長い、本格的な小説だ。僕はこういうジャンルに疎いので、こういう小説をどう呼べば良いのか知らない。日本ファンタジーノベル大賞を受賞した作家だから、やはりファンタジーノベルと言うのだろうか?
多分このジャンルのファンはこの最後の力作長編に一番満足するのかもしれない。だが、僕は違った。
この小説はあまりにも作家が世界を構築している感が強すぎる気がする。「月昂」という病気をテーマにどんどん空想領域に広がって行く世界の描写の奥に、それを一生懸命考えている作者の姿が透けて見えるのである。
それが今イチ好きではない。世界は作者が構築するものではなく、最初からそこにあるものであって、単に作家がそれを写し取れば良いのだと思う。つまり、なんだか描きすぎている感があるのである。
だから、最初の2作のような小説が好きだ。短い叙述の中に、鋭い切れ味がある。
皆さんはどうだろうか?
Comments