映画『犬王』
僕は別にアニメ・オタクではないし、とりたてて湯浅監督を信奉しているわけでもないので、湯浅監督の名前しかなかったらこの映画を観なかったかもしれない。観ようと思ったのは脚本を野木亜紀子が書いていたからだ。
僕の好きなドラマの書き手で言うと奥寺佐渡子もアニメ台本を何本か手がけているが、野木亜紀子にとってはこれが初めてのアニメ作品である。
しかし、映画が始まると、湯浅政明の圧巻の画作りの前に、野木亜紀子なんかどっかに吹っ飛んでしまった。ことほどさように、これはものすごい画である。
原作小説があったわけだが、よくもまあこんな話をアニメにしようと思ったものだ。そして、よくもまあこんな画を作ったものだ。度肝を抜く構図、見たこともないタッチ、脳裏に張り付く色遣い──そのどれも、僕だったら決して思いつきもしないものだ。
冒頭の、現代の日本の雨に濡れた夜の舗道の、写真かと見紛うばかりの写実的な画から、時代は次から次へと遡り、一気に600年の昔に飛ぶ。そのときにはもう冒頭の作風はどこにもない。
そこで描かれるのは2人の若者。平家の祟りで視力を失い、都に出て琵琶法師となった友魚(ともな、のちの友一、友有)と、猿楽一座の棟梁であった父親が悪霊に魂を売り渡したために異形の者となって生まれた犬王(実在の人物であり、観阿弥・世阿弥にも大きな影響を与えたとされている)。
2人はすぐに意気投合し、路上のパフォーマンスでたちまち街中の人間を虜にする。そう、それはまさに現代で言うパフォーマンスなのであって、猿楽や能、琵琶法師のイメージとは程遠い。文字通りの正調ロックであり、そこにところどころ和楽の要素が取り入れられている。
音楽は大友良英だ。ああ、確かにこれくらいの人でないと、この音楽は作れないだろうな。歌うのは犬王役のアヴちゃんであり、友魚役の森山未來である。薔薇園アヴは作詞も手がけている。
先に音楽を作って後から画を合わせてあるのでリップシンクができている。琵琶の音程の上がり下がりと左手の動きが一致していなかったのは残念だが、琵琶の弦の振動する画などは見事にリアルである。
それに加えて犬王たちのパフォーマンスの凄さ。ああ、こういうのをこそ「表現」って言うんだろうな、と思った。
湯浅政明の描写について、野木亜紀子は言っている:
あの舞台表現、すごいですよね。土の中から大量の腕が出てくる仕掛けとか、プロジェクション・マッピングのような演出とか、最後のバレエとスポットライトの乱舞とか、脚本にはまったくありませんから。まさに完全な「湯浅演出舞台」を私たちは見せてもらっているわけで、本当にポカンとしながら見入ってしまいました。
さらに、こんなことも言っている:
そうでしょう? 奇をてらったり、驚かせようと思ってやってるわけじゃなく、たぶん素直に自分が思った世界を具現化させているんです。それが常人には思いもよらない作品世界になって現れる。「なんちゃって」ではない、本物の鬼才。
そう、この画を見ると「本物の鬼才」という表現が如何に当てはまっているかが納得できると思う。そうそう、書くのを忘れていたが、キャラクター原案を描いたのは松本大洋であることも記しておきたい。
まさに驚くべき映像芸術である。すっごい作品だった。
ちなみに、松重豊と柄本佑が声をやっていることはすぐに気づいたのだが、森山未來については「どこかで聞いたことのある声だ」と思いながら、エンドロールを見るまで思い出せなかった。
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