映画『やがて海へと届く』
【4月2日 記】 映画『やがて海へと届く』を観てきた。彩瀬まるの同名の原作小説は読んだ。この1作しか読んでいないが、多分僕が好きなタイプの作家ではないかと思った。書ける作家だ。
ダイニングバーに務める28歳の真奈(岸井ゆきの)。彼女の大学時代からの親友・すみれ(浜辺美波)が行方不明になってもう随分経つが、真奈はすみれの不在をどうしても受け入れられない。
それに対して、すみれの彼氏であった遠野(杉野遥亮)やすみれの母(鶴田真由)はすみれがすでに亡くなったものとして、まるで自分たちが立ち直るために記憶から葬り去ることが必要であるかのように振る舞う。真奈にはそういう彼らの割り切りがとてもきつい。
物語が少し進んだところで、すみれがどこでどうして行方不明になったのかが明かされる。それが分かるまでは正直言ってなんだかかったるい小説だという印象もあった。それはこの小説を読んでいない人が映画を観たときも同じではないだろうか。
そして、そのことが解って初めて、この映画の冒頭のアニメーションの意味がぼんやりと(あくまでぼんやりとであるが)見えてくるのである。そうか、この作品はそういう喪失感を描きたかったのか、と。
しかし、よくもまあこんな難しいテーマに挑んだと思う。よくもまあこの小説を映画化しようなどと思ったものだ。他ならぬ彩瀬まる本人が「『えっ? できるの!?』と驚きました」と言っている。
監督は中川龍太郎。その名前に聞き覚えがあったので調べたら、2018年に『四月の永い夢』を観ていた。ああ、なるほど、あの監督ならこれを映画化しようと思うかもしれない。あの映画も喪失感の物語だった。そしてあの映画も映像が非常に美しい映画だった。
この映画も然り。長いカットと短いカットを適宜組み合わせて、ものすごくきれいな構図を作っている。
とりわけ東北の海の表情を見事に描き出している。二度出てくる、多分ドローンを使った真上からの海であり、波。そこからカメラが縦に回って遠くにかすむ水平線。真奈が羽純(新谷ゆづみ)からわらべ歌を教えてもらうシーンで、横からフレームインしてくる波しぶき。
──東北の厳しい海だ。
中川監督は原作をかなり触っている。
例えば真奈とすみれの関係にセクシュアルなものを持ち込んでいるところなどは非常に大きな改変だ。真奈とすみれがセクシュアルな関係だったとは言っていない。ただ、彼女たちの関係にセクシュアルなものを忍び込ませている。この微妙さがこの監督の真骨頂なんだろう。
すみれにムービーカメラを持たせたのも監督のアイデアらしい。真奈と国木田(中崎敏)が気仙沼に行くという設定も映画オリジナルである。
そして、これらの改変が結構効いているのである。
岸井ゆきのは中川監督のことを「キーワードのように抽象的な表現をなさる方」と言っている。浜辺美波は自分の役柄について「セリフもふんわりとした比喩みたいな表現が多い」と言っている。
そういう映画だから、ひょっとしたら見終わってから「なんだかよく解らなかった」という観客もいるかもしれない。それほどのヒット作にはならないだろう。
でも、僕はこの映画を高く評価したい。とても印象深い作品だった。
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