映画『ハッチング ─孵化─』
【4月24日 記】 映画『ハッチング ─孵化─』を観てきた。生まれて初めて観るフィンランド映画。
フィンランドには 2019年に夫婦で行ってきた。主目的だったオーロラはあまりはっきり見えなかったが、旅行としては大変楽しいものになった。だからか、フィンランドには何となく親近感がある。
映画の冒頭は主人公の少女・ティンヤ(シーリ・ソラリンナ)が居間で体操の練習をしているところ。そのレオタード越しに背骨の骨一つひとつをアップで映す。
こういう出だしはあまり見たことがない。が、話が身体に関するものだから、そして、見た目が骨っぽい鳥に関するものだから、もう最初から少し怖い。
そして、街路樹や森の木々。そう、フィンランドは森の国だ。僕らが行ったのは秋の終わりだったけれど、この映画では木々がもう少し長い日照を浴びることができる季節なのだろう。
この家は4人家族。
理想的な家庭を演じ、その動画をネットで流すことに血道を上げている母(ソフィア・ヘイッキラ)、優しく家庭的だが妻には何も言えない父(ヤニ・ヴォラネン)、母の期待を一身に背負って体操の大会出場を目指しているティンヤ、そして甘えん坊の弟マティアス(オイヴァ・オッリラ)。
一家団欒の最中に家に飛び込んできて暴れまわっていろんなものを壊したカラスを、母は布の上から首をひねって「生ゴミ」にしてしまう。ところが、その鳥が死んでいなかったようで夜中に騒いでいるのを聞いたティンヤが森の中で発見し、石で何回も殴って楽にしてやる。
もう、冒頭からかなり恐ろしい。
フィンランドでは狩猟する人が非常に多いと聞く。だから、獣を殺すことは我々日本人よりも日常的なことなのかもしれない。だが、ここで描かれているのはもう少しおぞましい感じである。
そして、死んだカラスの横で卵を見つけて、ティンヤはそれを部屋に持ち帰り、ベッドで温め、最後には孵してしまう。
拾ってきた卵が、卵のままだんだん大きくなるとか、母親が思春期の娘に自分の浮気を誇らしげに告白するとか、ちょっと理屈では考えにくいシーンがいくつかあるが、これは元々理屈では考えられないことが起きる物語なのだから、それはそれで良い。
むしろ逆に、卵がどんどん大きくなって、そして、あれが生まれてきて、アッリと名付けて、アッリはあんな汚らしいものを食べて、どんどんあんな感じに変化してきて──という奇想天外な展開をよくぞまあ考えついたものだと感心する。
物語は何かの呪いのようで恐ろしい。常軌を逸してしまった母の言動も怖いが、それよりもその母の期待を裏切るまいと必死になっているティンヤの姿はもっとじわっと怖い。
そして、何もないシーンでゆっくりゆっくり動くカメラが怖い。クリーチャーが非常によくできている。特に目と口。CG に頼らずクリーチャーで勝負したのは正解だろう。パンフにも書いてあったが、クローネンバーグ的な粘液質の世界。
この映画は、ひたすら単純なホラーと考えて観るのも良いだろう。ともかく怖いのだ。あるいは、ここに込められているかもしれないいろんな意味を必死で読み取りながら観るのも良いだろう。
寝室での物音を聞きつけて現れた父親が、最初は「何があった? どうしたんだ?」と詰め寄るのだが、娘のベッドのシーツの端に血がついているのに気づいて(本当はアッリがあれの首を食いちぎった跡なのだが)、初潮なのかと思って(そんな台詞は一切ないのだが)すごすごと去って行くシーンがものすごく意味深だ。
そう、そんな風にメタファーに読み取れるところがたくさんある。女の子の体と心。ティンヤとアッリがシンクロしてしまう辺りもどう解釈するか。
しかし、上に書いたように、そんなことは一切考えずに、ただただ夏の肝試し風に観るのも良いだろうと僕は思う。
そして、あのラスト。あの後、あの一家はどうしたんだろう、と気になって気になって仕方がない。巧い終わり方だった。
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