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Friday, April 08, 2022

WOWOW『TOKYO VICE』#1(そこそこネタバレあり)

【4月8日 記】 昨夜、WOWOW がハリウッドと共同制作したドラマ『TOKYO VICE』の#1「新聞記者」を WOWOWオンデマンドで観た。放送は 4/24 スタートの全6話らしいが、初回だけ先行配信したのだ。

監督は『インサイダー』、『コラテラル』、『フォードvsフェラーリ』などのマイケル・マン(僕は一作も観たことがない)。舞台は東京。主演はスピルバーグの『ウェスト・サイド・ストーリー』で主役のトニーを演じたアンセル・エルゴート。

ジェイク(アンセル・エルゴート)と片桐(渡辺謙)の2人が、ヤクザが待ち構える高級ホテル(多分ロケ地は帝国ホテルだ)のレストランの VIPルームに向かうところからドラマは始まる。

この時点では、この2人がどういう関係なのか明かされていないのだが、後にジェイクは新聞記者、片桐は刑事だということが分かる。ここでジェイクはヤクザから今お前が書こうとしている記事を書くなと脅される。

そして、そのあと話は2年前に飛び、ジェイクの人となりが語られる。

ジェイクは日本文化に興味を抱いて来日し、上智大学で学び、合気道の道場にも通い、小さな居酒屋の2階に下宿している。そして、明晰な頭脳と卓越した日本語読み書き能力で難関の入社試験を突破して、明調新聞の記者となる。

しかし、もうこの辺りからなんだかおかしい。ここで描かれている日本は、いかにもアメリカ人にありがちな、大和(やまと)も中華もインドもごっちゃ混ぜの東洋エキゾチシズムであり、理解しそこねた日本なのである。

そもそも時代が分からない。携帯電話が出てくればガラケーなのかスマホなのかで想像がつくのだが、それもない。ひょっとしたら携帯なんてまだどこにもなかった時代なのかと思ってしまう。

確かに出てくる固定電話がめちゃくちゃ古い。そう言えば昔あんなのを使ってたなという留守録機能が売りの電話とか、一般家庭にはなかったけど事務所にはあったかもしれない、ダイヤルの代わりに押しボタンがついた電話とか。

ジェイクが弁当を買う店はコンビニではなく昔のよろず屋的な食料品店だし、ジェイクの下宿ももろ昭和だし、今のノートパソコンの数倍の厚みのある嵩高いワープロで文章を打っているし…。

それで、番組ホームページで調べたら「1990年代」と書いてあるからびっくりである。いくらなんでもそれはないんじゃない?

確かに1990年代前半であれば、まだパソコンも携帯もそれほど普及はしていない。しかし、このドラマの中には物質的にも精神的にも、昭和前期みたいなものがありすぎるのである。

外国人であるジェイクはどこに行っても爪弾きにされるし、新聞社の上司の莫(豊原功補)は自分の部屋から大声で「おい、ガイジン」って呼ぶし。あんなことやると今なら一発アウトだし、1990年代でもわりとやばかったぞ。

新聞社の役員面接で役員が「わが社で働いた外国人は今までひとりもいない」と言っていたが、1990年代初頭に僕が住んでいたマンションには金髪碧眼の日経新聞記者が住んでいたぞ。

まあ、その辺はまだ良いとして、「警察が正式に発表したこと以外記事に書くな」などと言う新聞記者がどこにいる? それはいくらなんでもひどい。『菊と刀』以降一度も修正していない日本像ではないか?

確かに僕も、同調圧力が強すぎる日本社会にうんざりすることがあるし、とかく自分の所属する組織の論理だけで物事を進めようとするのを目の当たりにすると「日本はこれでも法治国家なのか?」と思うこともある。

しかし、どうよ。ジェイクが日本酒の一升瓶2本を持って行ったら、警察官が非公表の資料のコピーをくれたり、いくらなんでも日本社会を馬鹿にしてんのかっ!と、最初は笑けながら観ていたのが、だんだん腹が立ってくる。

大体、壁に照明で「おっぱい」というひらがなを映し出した舞台の上で、ビキニを着ておっぱいを見せずに女たちが踊っている飲み屋って、どこの風俗営業店ですか!(笑)

これって、そもそもそういうツッコミを入れながら観させる番組ならそれでも良いのだけれど、多分違うでしょ? マイケル・マンは真剣に撮っているんでしょ? ならばこれはひとえにアメリカ人に日本のことを誤解させる材料ではないか?

渡辺謙、伊藤英明、菊地凛子ら、日本の俳優たちは何も言わなかったのだろうか?

かつて、役所広司はイニャリトゥ監督の『バベル』で、役所が娘の菊池凛子を車で送っていったときに、車から降りた菊地凛子に「愛してる」という台詞があったが、「日本人の父親は絶対にそんなこと言わない」と主張して、台詞を「気をつけて」に変えてもらったというエピソードがある。

渡辺謙もハリウッド版の『ゴジラ』で、監督からは Gidzilla! と言えと言われた台詞を、いくら英語ができる役であっても日本人なら「ゴジラ!」と言うのだと押し通したと聞いた。

そういう余地は全くなかったのかな?

とは言いながらも、話はブン屋魂とヤクザの無法のぶつかり合いの様相を呈しており、初回導入部としては、まあ、面白いと言えば面白い。

アンセル・エルゴートの日本語がひどいと結構ぶち壊しになるところだが、これもまあ、最小限しか日本語を話させていないとは言え、なかなかよく練習して上手である。

しかし、うーん、どうしようかな、と少しだけ迷ったが、やっぱりこのシリーズ、観るのはやめようかな、というのが結論である(笑)

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