« 映画『余命10年』 | Main | 【note】 CDラックは語る »

Sunday, March 06, 2022

映画『ウェスト・サイド・ストーリー』

【3月6日 記】 映画『ウェスト・サイド・ストーリー』を観てきた。

僕は『未知との遭遇』を、当時住んでいた大阪府豊中市内の映画館で初めて観たときのショックがいまだに忘れられない。

映画が良かったとか感動したとかいうレベルを遥かに通り越して、「自分と僅か10歳ぐらいしか違わない青年監督になんでこんなにすごいものが撮れるんだろう」という悔しさと敗北感に打ちひしがれて、阪急宝塚線の線路沿いの道をとぼとぼ歩いたことを今でも鮮明に思い出す。

そのスティーブン・スピルバーグが、あの時誰にも思いつかないようなぶっちぎりに独創的なフィルムを作ったスピルバーグが、今作りたいのはリメイクなのかい!?という思いが僕には強くあった。

それが老境に達した監督の心境なのかもしれないし、年齢から考えると恐らくスピルバーグは少年期に映画『ウェストサイド物語』を観て感銘を受けたのだろうと思うし、恐らくブロードウェイでミュージカルも観ているだろう。以来ずっとこの作品を撮りたいという思いがあったのかもしれない。

でも、僕はスピルバーグがこんな有名な作品のリメイクをしたということに少し失望して、観に行くかどうかを少し躊躇したぐらいだった。

◇ ◇ ◇

僕がミュージカルに一番求めるのはストーリーである。

おいおい、ちょっと待て、フツーはミュージカルに求めるのは音楽とダンスだろう?と言われるかもしれない。確かにミュージカルの最も大きな要素は音楽とダンスである。しかし、僕の経験では、舞台であっても映画であっても、あまりにもストーリーがつまらなくてげっそりすることが多いのだ。

大抵は逆境を乗り越えてありきたりなハッピーエンド──なんじゃ、そりゃ?という感じで、如何に歌や踊りが素晴らしくても一気に興醒めしてしまうのだ。

このウェストサイドストーリーは、僕も 1961年度版『ウェストサイド物語』を(テレビでだが)何度か観ているので、筋は知っている。ひどいストーリーではないかもしれない。でも、だからといってそれほど期待することなく、今回の映画を観に行った。

映画が始まると、取り壊し中のスラム街のビルの残骸をカメラは1カットの俯瞰でずーっと移動して行く。さすがに金がかかってるなと思っていたら、そこにジェッツの面々が3人、4人と集まって群れてきて、踊りながら練り歩く。

そのカメラワークの見事なこと! そうか、映画の場合には、音楽とダンスとストーリーの他にこれがあったんだ! カメラワーク! 下から、上から、寄って、引いて、動きながら、突然止めて──この豊かな画作りに僕は一撃にして魅了されてしまった。

1人、2人に焦点を当てたときの構図、そして、ものすごい大集団になったときの構図。激しいダンスを下から煽るのか、上から見下ろすのか。

カメラは今どこにある? 人間の目の高さより低い位置か高い位置か? 役者のすぐ近くか、それとも遠くから狙っているのか? クレーンに載っているのか、それともレールの上を走っているのか? そんなことを想像させる、まさに圧巻と言うべき動画が目の前に広がってくる。

どんな名曲であっても、どんなにカッコいい振り付けがついていても、どんなに歌が巧くても、コーラスのハーモニーが素敵でも、どんなに見事なダンスであっても、それだけではこれほどの魅力は出ない。それを切り取るカメラの、デザインされたマジックなのである。

とりわけダンスパーティでマリアとトニーが初めて出会うシーンでは、大勢が乱れて踊っている中に、マリアがこちらを見ている画とトニーがこちらを見ている画が切り替えされるのであるが、ともにアップではなく大勢の中のひとりとして映されているのに、その中でマリアはトニーに、トニーはマリアにひと目で惹かれているのがよーく分かる。

すごいな、と思った。

そして、マリアとトニーがプエルトリコ人街のボロ・アパートのバルコニー(?)で会い、マリアがこの映画の中で初めて歌う Tonight のシーンで、マリア役のレイチェル・ゼグラーのあまりの可愛さとあまりの美声の前に、僕は不覚にも落涙してしまった。

あとは推して知るべしである。

移民の問題、性暴力の問題など現代的なテーマもしっかり入っている。果たして 61年版ではどうだったのだろう? 同じ歌があり、同じようなシーンがあったはずだ。でも、今作のほうがテーマ性が鮮明な気がする。

そして、旧作がどれだけ意識的であったにせよ、はっきり言えるのはそれを見た僕の側にそんな問題を読み取る力なかったということだ。

無論「ジェット団」と「シャーク団」の対立はポーランド系とプエルトリコ系の対立なのだということは 61年度版においても知ってはいた。でも、それは映画についての薀蓄でしかなかった。それを社会問題として捉える成長が僕にはまだなかったのである。

例によって、僕は 61年度版の記憶がほとんどなかったので、Wiki で調べて読み直してみたら、当然のことながら、今回の映画が変えている部分もたくさんあり、大筋変えていない部分もたくさんあった。

これがスピルバーグなりのウェストサイド物語なのだ。圧倒的に素晴らしい仕上がりであったと思う。感動した。

|

« 映画『余命10年』 | Main | 【note】 CDラックは語る »

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



« 映画『余命10年』 | Main | 【note】 CDラックは語る »