映画『猫は逃げた』
【3月19日 記】 映画『猫は逃げた』を観てきた。『愛なのに』の記事にも書いたように、城定秀夫と今泉力哉のコラボ企画"L/R15"の第2弾である。で、今回は前回と逆で、脚本が基本的に城定秀夫、監督が今泉力哉。
両作に直接の繋がりはないが、共通の登場人物はいる。
『愛なのに』で主人公の瀬戸康史の大学の同級生・町田広重だった毎熊克哉(『猫は逃げた』でも同じ役名)と、瀬戸康史の古本屋の前を歩く猫(前作では名前なし、今作ではカンタ)である。
猫のほうは芸名をオセロと言うベテラン俳優で、最近では CX『ミステリと言う勿れ』第5話、6話で放火犯の井原香音人(早乙女太一)の飼い猫の役を演じている。
今作もパンフレットには2人の監督のインタビューが載っていて、読むと大変面白い。
城定は今作の脚本を今泉力哉に「寄せた」と言っている。なるほど確かに、城定秀夫という人はそういう器用な人なんだろうなと思う。城定はこう言っている:
僕はそんなに決まった作風みたいのがなくて、今泉さんはもう今泉ワールドがはっきりあるんで
うーん、確かにそんな感じ。
で、じゃあ、この映画はそんなに今泉ワールドかと言うと、いつもほどではないと僕は感じた。やっぱり、良い意味でも悪い意味でも、城定秀夫が今泉力哉に寄せて書いた本なのである。
映画は冒頭、妻の亜子(山本奈衣瑠)との離婚届に捺印している広重のシーンから始まる。離婚自体については揉めていない。それほどの憎悪もなければ金銭をめぐる争いもない。ただ、飼っている猫のカンタをどちらが引き取るかの一点だけが合意できない。
何故そんなに猫にこだわるかと言えば、後のシーンに出てくるが、それは捨て猫だったカンタを拾ったことが、この2人の背中を押して結婚に至らしめるきっかけになったからだ。それぞれが悩んでいた時期だっただけに、お互いに思い入れがある。
亜子はもっぱら世話をしてきたのは自分だからと言い、広重はそのことについては一言も話し合ってないじゃないかと言う。よくある噛み合わない議論だ。ところが、そこでカンタが失踪してしまう。おかげで離婚話もしばらく頓挫だ。
結婚関係を精算しようとしている2人にはすでに決まった相手がいる。
広重には勤務している週刊誌の出版社の同僚であるカメラウーマンの真実子(手島美優)がいて、これが離婚話の発端でもあった。そして、夫の浮気を知った漫画家の亜子は編集者の松山(井之脇海)と関係を持ち始める。
台所での広重、亜子、カンタの3ショットなど、今泉力哉らしい構図は時々あるが、1カットではなく2人の人物を縦に並べて切り返し、切り返し撮っているようなシーンも今回は少なくない。台詞についても、いつもの今泉力哉ほどのバツの悪さが現れていないような気がする。
ストーリーは結構複雑に編み込んであり、素直に面白い。メインのストーリーだけではなく、例えば足がつるエピソードなど、周辺の作りも非常にうまく機能している。これは城定テーストなんだろうなと思う。
ここまで読んでもらって、ひょっとしたら多少貶しているように見えたかもしれないが、決してそういうつもりはない。これが城定と今泉の化学反応でできた新種の化合物なんだと思う。そういう愉しみ方をした。
で、ネタバレになるので書かないが、いろいろあって、最後にその4人が一堂に会しての修羅場となる。場所は広重と亜子の家。仕事用のデスクの前でチェアに座った亜子。ソファに真実子、松山、広重。そして、ここからがカメラを据えた怒涛の1シーン1カットの4ショットである。
まさに、これが今泉ワールド。なんという長いカットか! 役者たちのメリハリが効いてくる。ダメな人間らしさが浮き上がってくる。でも、それを悪し様には描いていない。途中で松山が意味もなく立ち上がって座るという、この辺の演出もめちゃくちゃ面白い。
そして、最後の河原での4ショットが、パンフレットの対談でインタビュアーをしていた映画評論家の森直人によると、
全てが浄化されていくようなラストは、もうまったく城定秀夫の世界
なのだそうだ。僕は城定秀夫作品はほとんど観ていないので、そういう話を聞くととても興味が湧く。
ただ、この作品はこの作品で面白かったが、両作を比べると僕はやっぱり『愛なのに』のほうが面白かったし、好きだ。
それは多分、①むしろ脚本のほうが演出よりも今泉らしさが出るということと、②基本的に僕は今泉力哉のファンなのだということなのだろうと、自分では分析している。
でも、こういう企画は今後もどんどんやってほしい。
Comments