『筒美京平 大ヒットメーカーの秘密』近田春夫(書評)
【2月10日 記】 筒美京平が亡くなったのが 2020年の秋。この本はその後に書かれて翌年の夏に出版された。筒美京平を近田春夫が語るという、歌謡曲ファン垂涎の組合せだ。
本の存在は知っていた。もっと早く買えば良かった。
この本は初めから終わりまで近田春夫と誰かの対談の形式になっているのだが、冒頭を読み始めてすぐに気になったのは、この近田春夫の対談相手は誰?ということ。
該博な知識と的確な分析力を持ち、近田春夫と伍して話せるこいつはタダモノではないと思った。その人が最後のほうで姿を表す。──この本全体の構成も務めている下井草秀だった。僕は知らなかったが、かなりいろんなものを手掛けてきた音楽系のライターだった。
第一部はその下井草と近田の対談で進む。上に書いたように、下井草は単なる聞き手ではない。だからうねるようにして議論が進んで行く。とても楽しい。
近田は京平さんのメロディの中に
今のJポップからは失われてしまったたぐいの女性性
を見出していたりする。
一方で、近田は平尾昌晃や中村泰士のような、「うんと若い頃にはビートの強い楽曲を書いていた」のに「齢を重ねるに従って、叙情に満ち溢れたシブいバラードに走ってしまう」作曲家たちを評して、
(平尾や中村は)アカデミックな意味で洋楽の構造に興味をいだいていたんじゃないわけ
と評する。必ずしも平尾や中村を悪しざまに捉えているわけでもないのだが、それは「少なくとも自分はアカデミックな意味で洋楽の構造に興味をいだいてきたぞ」という意味であり、もっと言えば京平さんもそうだったということだ。
だから、この本は僕が読んでも楽しいのだ。アカデミックな構造の根っこのところまで降りて語ってくれているから。
僕個人としては、本当はもっと楽譜を掲載したりして、
「一般的にはこのコードを持ってくるところだが、京平さんはこんなお洒落なコードを持ってきた」
とか、
「普通ならこの音を採るところだけれど、京平さんはそこに半音上の音を嵌めてきた」
とか、
「あの曲の元ネタは実は全米で大ヒットしたこの曲で、ほらここの部分とここの部分に共通性があるでしょ」
とか、そういう解説を読みたいのだが、この人はあまりそういうことは書かない。そういう書き方をすると一般の人には読んでもらえないことをよく知っているのだ。
だから、と言うか、しかし、と言うか、近田は楽譜を持ち出さないギリギリのところにまで踏み込んで、感覚的にもすごく納得の行く説明をしてくれる。だから楽しい。
それ以外にも、例えば小室哲哉を
サウンドをもって語られがちなんだけど、結局あの人は詞の人なんだよね。
と言ったり、京平さんのことを
あの人の音楽には、実は簡単に真似し得る「らしさ」がなかなか存在しない。なぜなら、筒美京平というのは、どこまで行っても一つのフィルターだから。
と言ったり、非常に独特な見方だけれど、見事に説得力がある。
そして第2部は京平さんの実弟である渡辺忠孝との対談で始まる。僕は京平さんの弟が音楽業界周辺にいたという程度には知っていたが、こんなに業績を挙げた大プロデューサだったとは知らなかった。
この対談がまためちゃくちゃ面白い。京平さんの私生活をそれこそ知り尽くしている実の弟ならではのエピソードが満載だ。
そして、その続きで「付録・渡辺忠孝が選ぶ10曲」が載っているのだが、この選曲センスがまた秀逸である。特に稲垣潤一の『夏のクラクション』を選んで「『ドラマティック・レイン』よりもこっちが好き」という感覚には僕も激しく同意する。かまやつひろしの『青春挽歌』を選んでいるのも、ものすごく嬉しかった。
さて、その後は京平さんの盟友であった作詞家の橋本淳と近田の対談、橋本淳・筒美京平の秘蔵っ子だった平山みきと近田との対談と続くのだが、ああ、こんな調子で書いていたらいつまで経っても終わらないので、この辺りにしておこう。
橋本が選ぶ10曲、平山が選ぶ10曲、最後に近田が選ぶ10曲、そして下井草が選ぶ10曲も掲載されている。
まさに堪能した。最後のほうになって近田はこんなことを書いている(括弧内は僕のつけた註記):
ひょっとしていわゆる音楽家としての「筒美京平論」のような硬い内容を望まれた向きには、この本はいささかベクトル違いだったかもしれない。ただこれまでほぼ語られることのなかった、渡辺栄吉(筒美京平の本名)その人の人物に迫るという意味では、御三方(渡辺忠孝、橋本淳、平山みき)の証言は貴重この上ないものであろう。それだけは取材者として断言しておきたい。自負がある。
確かにその通りだ。しかし、そんな風に書きながら、実はしっかりと音楽家としての筒美京平論を語ってくれている。これはそういう本である。
ひょっとしたら、コアなファンにしか分からないかもしれないけれど(笑)
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