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Thursday, January 13, 2022

『じっと手を見る』窪美澄(書評)

【1月13日 記】 あまりの巧さに驚いた。こんなに巧いのに直木賞候補止まりだったとは、直木賞のレベルがめちゃくちゃ高いか、審査員の目が曇っていたかのどちらかだ。

これまでこの作家のことを全く知らなかった。何が直接のきっかけでこの本を選んだのかは定かではない(恐らく誰かの書評か何かを読んだのだと思う)が、タナダユキが監督した映画を観て感銘を受けた『ふがいない僕は空を見た』の原作者だということが決め手になったのだと思う。

ああいう話を書く作家なら信頼できるのではないか、と。

主人公は富士山が見える街で介護士をしている日奈──だと思ったら、日奈の一人称で語られていた物語が、次の章では日奈の職場の同僚の海斗の一人称に変わる。

その次の章では海斗と同僚の畑中の関係が畑中の目線で語られる。畑中は夫と別れ、子供は夫に取られてしまった。最初の章で日奈と暮らしていた海斗は今は畑中とくっついている。

そして、次の章では最初の章の話に戻る。

東京から介護士の取材に来ていた宮澤を日奈が好きになってしまい、やがて体の関係ができ、それをきっかけに日奈が海斗と別れたいと言い出したところまでは最初に書かれていたとおりだが、今は別の街で暮らしている宮澤のところに日奈がおしかける形で同棲している。

宮澤自身は会社の共同経営者である妻とまだ離婚はしていない。ただ、会社が傾いて仕事が嫌になり、この街にひとり逃げてきてコピー機のセールスマンをしている。

そして、その次の章を語るのは宮澤…。

──という風に、語り手がリレー式に変わって行く。連作短編の醍醐味がそこにある。

話は全部繋がっている。が、視点が変われば見える風景も変わってくる。あまり像が鮮明でなかった登場人物が、次の章では良いところも悪いところもくっきりと浮かび上がってくる。そして、どの章でも、みんながそれぞれ悲しい思いをしている。どんよりとした悲しい思い。

そのことを、巻末の「解説」で、朝井リョウはこんな風に書いている:

様々な角度からある人物が語られれば語られるほど、その人物の欠落が深まって感じられるところがおもしろい。その人物を理解していくというよりも、人の悲しみや寄る辺なさやどうしようもなさは理解できないのだということを思い知っていく。

この小説に出てくるのはみんなある意味ダメな人たちだ。でも、作者は彼らにダメの烙印を押したりしない。悪しざまに描いたりしない。突き放しているかもしれないが、突き落としたりはしない。自分と同じような者たちとして、暖かい目で見守って、静かに筆を走らせて行く。

あちこちにはっとするような表現がたくさんある。

けれど、思うのだ。
やわらかく、ふるふるしたものが詰まっているのは女じゃなくて男のほうなんじゃないかと。

しばらく黙っていた先輩がその質問を私に投げたとき、私はもうはるか遠くにあるカヌーを見ながら、転覆しろ、転覆しろ、と心の中で願っていた。

私はしゃがんで、手のひらに乾いた砂を乗せてみた。あの街の、湖の岸辺の黒い土とはまったく違う。それはあまりに軽くて、清潔で、さらさらと指の間からこぼれてしまう。火葬場の人が最後にちりとりで集める、細かな骨の粉に似ていると思った。

けれど、なぜだか私には東京タワーが富士山のように思えた。あれがたぶん、東京の磁石だ。鮭が生まれた川に戻っていくように、宮澤さんは東京にもどっただけだ。

介護されるひとたちと、自分たちとの間にはずいぶんと距離があったはずなのに、数十年後には自分たちが介護される未来が必ずある。

すごいよ、この作家。悲しみを知っている。

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