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Saturday, January 22, 2022

映画『真夜中乙女戦争』

【1月22日 記】 映画『真夜中乙女戦争』を観てきた。二宮健監督。前々作『チワワちゃん』の映像センスが素晴らしかったから。前作『とんかつDJアゲ太郎』は見逃したので、今回は是非観ておきたかった。

客席には女の子たちがいっぱい。10代、20代に圧倒的な支持がある作家Fの小説が原作ということもあるのかもしれないが、ほとんどの子たちは主演を務めたキンプリの永瀬廉が目当てだろう。今回は舞台挨拶中継もあったことだし。

多くは女の子同士の2人連れで、見渡したところ男性の観客は僕を含めて4~5人というところだろう。

出だしから映像が面白い。大学の教室でカメラが“私”(永瀬廉)の背後から頭上を通って前に回ってくる。まるで永瀬が回転しているように見える。『インセプション』を思い出した。

大体新しいシーンの冒頭で、カメラの動きに面白い工夫がある。縦のものが横になったり、ぐるんと回ってみたり、逆光のシルエットだったり──こんな風に文字にしてしまうと、それのどこが面白いの?という感じになるが、観ていると結構意表を突かれて面白い。

“私”が透明アクリル板越しに“先輩”(池田エライザ)の面接を受けるシーンでは、永瀬の左肩越しに池田の正面からのアップを撮り、池田の顔の右横にはアクリル板に映った永瀬の顔が、表情が分かるぐらいにはっきり映っている。

概ねどのシーンでも被写界深度を極端に浅く取って、狙った人物より後ろのものは悉くぼけている。とりわけ“私”がスクリーンに映った“黒服”(柄本佑)の映像を観ているシーンでは、“私”の後頭部にピントを合せていて、スクリーン上でこちらを向いて喋っている柄本は完全にぼかしてあった。こんな撮り方をする映画も珍しい。

ただ、映像は面白いのだが、内容的には僕にはちょっと空回りした感があった。文章で描いた原作ではそんなことはなかったのかもしれないが、真夜中を愛し真夜中を憎み世界に戦争を仕掛ける黒服の動機にあまりにも現実感がないのだ。

いや、そもそも現実感のある人物ではないのかもしれない。それはそれで良い。でも、なんだか切実さが伝わって来ない。最後にあれだけの破壊をするのである。観ている者の感情をそこにもっとすんなり持って行ってほしかった気がする。

コロナ禍で何度か撮影が中断したとのことだ。それで何度も脚本を書き直したとのことで、終盤に却々意味深な設定が出てきて、ま、わざとらしくはあるが、メッセージ性はしっかり受け取れた。

舞台挨拶で永瀬、池田、柄本の3人が「二度三度観ると発見がある」みたいなことを言っていた。永瀬は「初回はぼんやり世界観を掴むだけで良い」とも言っていた。

確かに世界観を掴むのが難しい映画なのかもしれない。もう一度観たら印象が変わるのかもしれない。でも、期待が大きかった分、ちょっと残念だった。

隣に座っていた若い女性2人組はリモートの舞台挨拶だけ観て、映画が始まる前に退場して行った。すでに1回か2回は観たのだろう。永瀬廉のドアップをふんだんにあしらった、1200円もするパンフレットは、多分2人とも2冊ずつぐらい買ったんだろうな。

永瀬廉は無表情なシーンが多くて、少しかわいそうではあった。

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