『不在』彩瀬まる(書評)
【12月26日 記】 今年の6月に初めて読んで、この作家が好きになった。とても巧い作家だと思う。
前に読んだ『やがて海へと届く』は幻想的な要素のある作品。今作にも少しそんな要素も織り込んであるが、テーマはむしろ日常にある。
成功した漫画家の主人公・明日香。両親の離婚で母親に引き取られ、長らく音信不通になっていた父が亡くなり、医者だった父の職場であり自宅でもあった洋館を相続することになる。
まだあまり売れていない役者で、年下のパートナーの冬馬にも手伝ってもらって、遺品の整理に取り掛かる。古い屋敷に残された父の生活の痕跡には自分には馴染みのないものがたくさんある。そして、時々2階に忍び込んで何かをしている男の子がいる。
自分ではなく勉学優秀だった兄を引き取った父に対して、自分は見捨てられたという思いに苛まれ、母の考え方にもときどき違和感を抱き、作品論を巡って出版社の編集者とも決裂し、やがて冬馬との関係にもヒビが入ってくる。
巻末に解説で村山由佳がこんなことを書いている:
こう言っては何だが、好感度の高い主人公ではない。大人になりきれず、自己中心的で居丈高な、いやな女である。
僕は「いやな女」と言うほどの嫌悪感は覚えなかったが、しかし、不完全な、欠点のある人間であることは確かだ。
その進み行きについて、村山が非常にうまく評している:
明日香が少しずつ決定的に間違ってゆく様子を、私たちはこぶしを握りしめながら見守ることしかできない。
そう、まさにそんな感じなのである。
彩瀬まるはこの本で、どこか欠点のある何人かの人物を描いている。主人公、父、母、後に父の家で同居していたと分かる女、そして、久しぶりに会った叔父。
欠点というものは誰にでもあるのだが、その特定の要素にうまく焦点を当てながら、焦点を当てる人間を次々に取り替えながら、話は進んで行く。
しかし、その誰に対しても憎しみを以て描いたりはしていない。我々はその不完全な人間たちにしっかり感情移入しながら、「ああ、そっちに行くと危ないのに」などと心配しながら見守るのである。
描かれているのはタイトル通りの「不在」である。不在とは単に何もないこと、誰もいないことではない。あるはずのところにないということ、以前はあったものがなくなっているということだ。
その不在は必ずしも悪いことではない。人は実在と不在の両方を抱えて生きて行くのだから。間違いを繰り返しながら、人は不在を生き抜く力を得るのである。
一見冷たいようで、そういう優しさに溢れた話である。ひとことで言い表せないものを、ストーリーを通じてじんわりと伝えてくる。とても巧い作家だと思う。
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