『雲』エリック・マコーマック(書評)
【11月9日 記】 全然知らない作家だった。読んだのは柴田元幸が訳していたからだ。
一時期、柴田の訳した小説を片っ端から読んでいた時期があったが、そのうちに自分の好みと少し離れてきた感じがあって、少し縁遠くなった。
何故この本を読んでみようと思ったのかは思い出せないのだが、恐らく誰かが書いた書評か解説文を読んだのだと思う。柴田元幸との久しぶりの再会となった。
この本を読み始めて、僕の乏しい読書経験に照らしてすぐに近いものを感じたのはエドガー・アラン・ポーだった。ゴシックな文体。ポーほど不吉でもなく、悲惨な破滅に襲われるわけでもないのだが、物語全体を覆っている落ち着かない感じがよく似ている。
ある種、幻想的な小説である。でも、例えばラヴクラフトほどおどろおどろしくないし、怪奇的ではない。だから、むしろポーだと思った。
でも、いずれにしても、今にもラヴクラフト的な怪奇的なことが、あるいはポーが描くような恐ろしい結末がやってくるのではないかという不安に襲われる。ポーの小説よりもずっとずっと長いので、その不安もいたずらに長引かされる。
主人公の揚水機会社社長が出張先のメキシコで急な雨に襲われ、雨宿りに入った古本屋で一冊の分厚い本に目が行く。そこには19世紀に、スコットランドのある町に現れたという不思議な「黒曜石雲」についての記述があった。
それだけなら驚かないのだが、そこに書かれていた地名ダンケアンは、実は自分が若い頃に短期間滞在していた町であり、傷心の思いを抱いて逃げるように出てきた町だったからだ。主人公はその本を店主の言い値で買って自宅に持ち帰る。
そこから、話は一旦主人公が幼少期を過ごしたグラスゴー近郊のスラム街の話になり、そしてやがて仕事を求めてダンケアンに赴く場面へと移り、そこで恋をして恋に破れる。
しかし、そこから話は転々として却々進まない。主人公は臨時雇いの船乗りとなってイギリスを脱出し、船上で知り合った医者と未開の土地の診療施設に務めることになり、次はカナダの揚水機会社の経営者と知り合い、そこで働き、やがてその娘と結婚し…。
一体黒曜石雲の話はどこで繋がるのだ?
単にそこに却々行き着かないというだけではなく、その途中に起きるいろんなことが、それだけで一編の小説を構成できるのではないかと思うような、空恐ろしい、背中がゾワッとするような感じなのだ。
いや、恐ろしいと言うほどのことではない、大したことではないのかもしれないのだが、どうも引っかかる言動とか、心のなかで大きくなってくるのを押えられない疑惑とか、そんなものが静かに語られるのである。
そこで決定的な何か、つまり、殺人とか天災とかが起きるのではない。どこまでも落ち着かない、不安をおさめられないような感じが引き伸ばされていくのである。あたかも、人生ってそんなもんでしょ?と言っているかのように。
最後まで読むと、読み終わった瞬間は、あれ?と思う。やや、尻切れトンボ感がある。でも、読み終わった後さらにジワジワ来る。作家にここでペンを置かれてしまうと、なおさら怖いのである。
柴田元幸が書いたあとがきを読むと、この作家に対する興味がさらに湧いてくる。柴田元幸が好きで好きでたまらない作家と言う意味合いが分かってくる。
怪奇小説とか幻想小説とか、そういうありきたりの分類では括れない。世界にはいろんな作家がいるものだ。こんな書き方でこんな怖さを書ける作家がいることに驚いた。
どんな怖さなのか、僕の表現力では十全に語れない。読んでもらうしかない。
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