映画『鳩の撃退法』
【9月4日 記】 映画『鳩の撃退法』を観てきた。いつものように監督で選んだのではなく、原作を読んで面白かったから。そして、今年になってから読んだのでまだ本の記憶が薄れておらず、今のうちに観たかったから。
これだけ長くて複雑な話を2時間の映画にまとめるのは結構な冒険である。しかし、この映画はあっぱれと言うしかないぐらい、小説のあちこちを見事に切り貼りしていた。
多くの部分を削ぎ落とし、ちょこちょこと設定をいじって、それでも全体の印象が小説からかけ離れることなく、しっかりと独立した物語になっていた。驚きである。
特に、原作のややトリッキーな書き出しを棄てて、原作では下巻の途中からしか出てこない出版社編集者の鳥飼(土屋太鳳)を冒頭から出し、その時点からの津田(藤原竜也)の回想であり想像であり執筆である形にしたことによって、ものすごく分かりやすくなった。
津田がいる場面にもうひとり津田が出てきて回想したり解説したりするというのもなかなかのアイデアだった。後半、鳥飼が富山(原作ではどこの街なのかは書かれていないが)に飛ぶ設定は原作にはなかった。これもうまい端折り方だ。
もちろん2時間に押し込めたことよって失われたものは少なくない。その点をいくつか順番に述べると、
まずは非常に登場人物の多い複雑な物語なので、これを2時間にしてこんな速いテンポ(津田の早口)で進めてしまうとついて行けない客も多いのではないかと心配になった。原作を読んでいないとちょっとしんどいところもあったのではないだろうか?
それから、元直木賞作家でありながら今はデリヘル嬢の送り迎えで生計を立てている津田の女性関係が、最初の不動産屋・慎改を除いてほぼ全て省かれている。これは2時間という枠を考えると、構成上は大正解だとは思う。
しかし、津田の女ったらしの面、とりわけ必ずしも好色ということでもなく、むしろ生きて暮らしていくために女ったらしをやっているような、それだけに嫌らしい面が描かれていないのは非常に残念ではある。
そして、原作者の佐藤正午があえて明示的に書いていないことを、数多く台詞で断定的に説明してしまっていた。これは佐藤が主人公・津田に言わせているように TMI、つまり too much information、「語りすぎ」である。
でも、映画ではこのくらいにしておかないと解らない客が続発するんだろうなとは思う。また、原作通りに映画化すると、「伏線が回収しきれていない」などと宣う客も出てくるのだろう。
ただ、言うまでもないが、物語で一番大事なことは伏線を回収することではないのだ。書きすぎないことこそがこの原作小説の真骨頂であり、佐藤正午を佐藤正午たらしめている部分でもあるので、そこを明示的に語らせるしかなかったタカハタ秀太監督(脚本も藤井清美と共同)には同情する。
その忸怩たる部分もあって、映画にも「TMI、つまり too much information だ」という台詞を残したのではないかと思うのは考えすぎだろうか?
ただ、以上のようなことを踏まえても、原作を読んだ者からすれば、よくまあこんなに上手くまとめたもんだと感心するしかない出来であり、原作を知らない人が観ても、途中ついて行くのがしんどいところがあるかもしれないが、決して観客の気を逸らせない労作になっているのではないかと思う。
ひとりひとりの役者を見ると、僕が原作を読んでちょっとイメージが違うなという人はたくさんいた。しかし、映画全体としては何の違和感もないし、総体として描き過ぎの感もない(むしろこれでもよく解らなかった観客もいるだろうが、それで良いのである)。
とてもよくまとまった良い映画だったと思う。
藤原竜也はインタビューに答えてこう言っている:
台本を読んで演じていると「どうぞ、あなたの解釈をみせてください」ってテストされているみたいな気分になるんです。
観客もそうなのだと、僕は常々思っている。
Comments