複数アカウントの功罪、と言うか不思議
【9月26日 記】 若い人は大概 twitter のアカウントを複数持って使い分けているという。本アカと裏アカ、それ以外にも全くの別人格になりきったアカウントなどを持っていたりするのだそうである。
一方で、就活中の学生の裏アカを見つけ出して、そこで社会生活上不適切な主張をしていたり、あるいは自分の違法行為を吹聴していたりしないか調べる会社があって、少なからぬ企業がその会社を使って学生を選別しているとの記事を先日読んだ。
そもそもガードが甘いから裏アカの正体を突き止められてしまう、みたいなことが書いてあったが、それ以前に今自分がどのアカウントでつぶやいているのかを勘違いして自ら露呈してしまうケースもあるだろう。そういうことは twitter の黎明期からあったことだ。
僕は複数のアカウントは持っていない。ひとつしかないアカウントは会社のキャラのアカウントなので、プライベート用のアカウントがもうひとつあっても良い気はするが、しかし、現実には仕事のことも私生活の話もずっとひとつのアカウントでつぶやいている。
何故複数のアカウントを持たないかと言えば、それはひとえに僕が旧いタイプのユーザだということでしかない。もうちょっと理由っぽく書いたとしても、単に面倒くさいということでしかないのだが、でも、まあ、さらにもうちょっと体裁よく書くなら、僕は複数のアカウントに分けて自分を分割したくないのである。
これは仕事関係のアカウント、これは趣味の鉄道模型のアカウント、これはアイドルを追っかけるためのアカウント、これは記録のためのアカウント、などという風にきれいに整理したアカウント管理をしている人もいるらしい。
でも、僕としては「分けてどうする?」という気がする。僕は自分を分割するのではなく、統合したいのである。
仕事をしていくつかの趣味を持っていろんなことをやるひとりの人間として、ひとり/ひとつのアカウントに統合したいのである。と言うか、自分という存在はそもそも切り分けられるものではないし、仕事と私生活もきっちり分けられるはずがないと思っている。だから複数のアカウントは持たない。
例えば、「自分の好きなアイドルのことをつぶやくときに、そのアイドルに全く興味のない人に読ませるのは申し訳ないから、フォロワーにはそのアイドルのファンしかいない専用アカウントでつぶやく」などと言う若い人もいるようだが、えらい気の使い方やね、と驚くばかりである。
興味がなければ読まないから、そんなこと放っておけば良いのに、と旧いタイプのユーザは思ってしまう。
じゃあ、表のアカウントでつぶやくのは具合が悪いようなことはどうしているのか?と問われると、言うまでもないが、具合が悪いようなことはつぶやかないのである。
僕にしてみれば、裏アカを作って危険を犯してまでつぶやく意味が分からない。若い人にはくれぐれも調査会社に暴露されて就職をフイにしないようにと忠告してあげたいところである。
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