騙されたと思って
【8月29日 記】 子供の頃、僕は食べ物の好き嫌いが激しかったのだが、そんな僕に「まあ、騙されたと思って食べてみ」と言う大人は多かった。僕はこれが嫌で仕方がなかった。
だって、騙されるのは屈辱ではないか。なのにまず騙されたと思ってからスタートするなんてまっぴら御免である。
まあ、子供だったから上記のような表現ではなかっただろうが、思ったのは概ねそんな感じのことである。
騙されたと思うのが嫌なのだから、騙されたと思って食べてみるなんてことは全くなかった。
そんなことを言われると、口に入れた瞬間に「おえっ、騙された!」と思って噛みかけの食物をべーっと吐き出している自分の姿が脳裏に浮かんだ。そうなるとまず食えない。
言葉の綾じゃないか、と大人たちは言うのかもしれないが、僕は本当に小さなときから、どうしてそんな変な勧誘表現があるのか不思議で不思議で仕方がなかった。
騙されたりはしない、と信じられるからこそ食べられるのではないか?
たとえ不味くても、それはこれを食べようと決断した自分の責任だから仕方がない──そう考えるからこそ食べられるのではないか。
「騙されたと思って」という表現は、「もし悪い結果が出たら、それは他人のせいにしておけば良いのだ」と言われているような気がしてならない。
それはなんだか薄汚い大人の知恵のように思えた。僕はそういう少年だった。
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