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Thursday, July 22, 2021

映画『リスタート』

【7月22日 記】 映画『リスタート』を観てきた。品川ヒロシの長編映画監督デビュー作『ドロップ』を観たときに、「あ、こいつは結構才能あるかも」と思った。興行成績も悪くなかったはずだが、しかし、その後思ったほどの華々しい活躍がない。

これはやっぱり、品川が、相方の庄司智春のような皆に愛されるキャラではなく、ちょっとウザい系の奴だと思われているからなのかな、などと勝手な想像を僕はしていた。結局それ以降の作品は見逃しており、これが僕にとって 10年ぶりの品川作品となった。

やっぱり巧いなと思うのは、良い画があちこちにあるということ。最初のシーンの、卒業式を前にした高校生たちが木立の陰で雑談しているシーン。そこから広場みたいなところで主人公の未央(EMILY)が歌う引き画からのタイトル・ロール。とても美しい。

品川自身による脚本も良い。もらいゲロの話からもらいゲロのシーンへと繋ぐ辺りは漫才的な上手い構成だが、そういうことだけではなく、良い台詞がたくさんある。

恥ずかしいぐらいストレートに未央を鼓舞する大輝(SWAY)もいれば、何度も口ごもりながら一生懸命語る血の繋がらない父(中野英雄)もいる。キャラはよく描けている。

この映画は北海道の下川町の町おこし映画映画である。下川町と吉本興業が SDGs の連携協定を結んだことがきっかけらしい。しかし、下川町が充分な予算を拠出するでもなく、吉本興業が充分な出資をするでもなく、クラウドファンディングでお金を集めて撮ったとのこと。

品川ヒロシにとっては、だからこれは材料ありきの注文建築である。

現地にシナハンに行って「挫折して田舎に帰ってきた主人公」という設定を思いつき、たまたま見たテレビのバラエティに出ていた HONEBONE のボーカリスト・EMILY に目をつけて出演をオファーし、あとは当て書きみたいな感じもあったらしい。

初めに条件や制約があったからこそ、逆に変に悩まずに素直に自由に書けた、みたいな面もあったのではないだろうか。

未央は高校時代から東京に出てシンガーソングライターになると公言していた。ところが、結局なれたのは地下アイドルだった。

上京して 10年目、つきあっていたミュージシャンに結構ひどい棄てられ方をした上に、ネット上ではボロカスに叩かれ、おまけにストーカー気味のファンには殴られ、身も心も傷ついて故郷の下川町に帰ってくる。

そこでは家族(中野英雄、黒沢あすか、朝倉ゆり)だけではなく、高校の同級生たちも昔と同じように暖かく接してくれる。とは言え、いつまでも追い回す週刊誌記者(品田誠)もいれば、悪しざまに言う近所の住民もいる。そんな中で、未央は大輝に言われて歌うことを再開することによって、少しずつ立ち直って行く。

──そういう内容である。やや薄っぺらい(笑) ラストに向けての持って行き方はちょっと単純すぎやしないか?とさえ思う。

しかし、『ドロップ』のときもそうだったし、これが品川ヒロシの味なんだろうと思う。今回は品田誠が演じた週刊誌記者の野村を、100% の悪者にはせず、かと言って「最後には完全に改心した悪者」という描き方もせず、その辺りはとても良い塩梅だと思った。

EMILY は声量があり声に力を感じさせる。それがあるからこそ歌うシーンをクライマックスに持って来られたのだろう。

HONEBONE作詞・作曲の主題歌は、素直な曲で悪くはないが、詞も曲もやや青っぽい感じがして、なんだか僕が学生時代に書いていた曲に似ている気がした、というか、聴いていてあの頃書き溜めていた自分の作品を思い出してしまった。

良い画をたくさん押さえた撮影監督は Yohei Tateishi という人だが、僕は多分品川ヒロシは頭の中でかなりの画が見えていたのではないかなと推察する。改めて良い監督だと思った。

小杉竜一や西野亮廣、庄司智春ら友情出演的に出ている有名人もいるが、概ねは名前を聞いたこともない役者たちである。そんな中ではやっぱり中野英雄が光っていた。この父にしてあの子ありという感じである。

彼に同じ台詞を何度も何度も言わせたのは大変巧かった。この辺りは品川ヒロシ脚本の手腕だと思う。

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