恋以外の歌
【5月27日 記】 大雑把に言って平成以降、ヒット曲に占める恋の歌の割合がかなり高くなってきたように思う。
『万葉集』や『百人一首』を引き合いに出すまでもなく、大昔から恋が歌にうたわれてきたのは事実だ。1962年の畠山みどりのヒット曲にも『恋は神代の昔から』というのがあるくらいである(笑)
恋は多くの人が経験するものだし、精神的な高揚感が非常に高い経験だから、自然と歌になるのは分かる。
特に聴いている人たちは、「君が好きだ 君は可愛い もう君のことしか考えられない」などと歌われると、自分がそう言われているような気になって酔うのだろう(男女が逆の場合も然り)。
でも、そればかりというのもどうだろうとも思う。
僕は同じ恋の歌であっても、ただただ「好きだ好きだ」あるいは逆に「こんなに愛しているのに私を棄てるのね」みたいな歌ではなく、例えば、「あんなに好きだった僕の気持ちが離れて行く」ことの切なさを歌うような歌が好きだ。
──これはオフコースの『秋の気配』(1977年、詞・曲:小田和正)を念頭に置いて書いた。
あるいは、詩人の血の『きれいだネ』(1990年、詞:辻睦詞/曲:渡辺善太郎)みたいに、「君は喋らなきゃきれいだね」と、揶揄してるのかと思ったら、「君の髪も好き、足も好き でも、馬鹿」というえげつない一節で終わる歌も大好きだ。
つまり、僕はパタン化を嫌い、パタン化を外れた歌を好むのかもしれない。そういう意味でも巷に恋の歌ばかりが溢れるのは面白くないのである。
戦後間もない頃には、まあ、恋のことなんて考えている余裕もなかったのかもしれないが、恋以外の歌がたくさんヒットした。『リンゴの歌』(1946年)とか『憧れのハワイ航路』(1948年)とか『買物ブギ』(1950年)とか…。
その後も『王将』(1961年)とか『高校三年生』(1963年)とか『こんにちは赤ちゃん』(1963年)とか『あゝ上野駅』(1964年)とか『新聞少年』(1965年)とか、非・恋愛の歌が、それも大ヒット曲が、ここにはごく一部しか挙げていないが、枚挙に暇がないほどたくさんあった。
いずれも時代環境を反映したもので、例えば『あゝ上野駅』なんてのは東北からの集団就職を歌ったものだ。
この曲を聴いて思い出すのは、吉田拓郎の『制服』(1973年)で、詞を書いた岡本おさみは自分が東京駅で見かけた、この時代にまだそんな物が残っていたのかという感じの、集団就職で上京した女学生のことを歌った。
そう、このころ、1970年代ぐらいまではまだ非・恋愛の歌がたくさんあったのだ。その一端を担っていたのは上記のような70年代フォーク、あるいはその系譜を引くフォーク/ニューミュージック系のソングライターたちだった。
深層心理の詩人と言われた井上陽水は「昼寝をすると夜中に眠れないのはどういうわけだ」(『東へ西へ』、1972年)と、誰もそんなこと歌にしようと思わないような詮ないことを歌い、若者の自殺が増えていることよりも「問題は今日の雨 傘がない」(『傘がない』1972年)と歌って一部で物議を醸したかと思えば、今度は「探しものはなんですか」(『夢の中へ』1974年)と歌って大ヒットになった。
まあ、思いつくまま書いているのでかなりの偏りが出てしまっていると思うが、探せばもっともっと非・恋愛の大ヒット曲が出てくると思う。少なくとも1980年代ごろまではヒットソングのテーマにはかなりの幅があったのである。
それがどうして昨今はこんなにも恋の歌ばかりになってしまったのだろう。そして、同じ恋の歌でも型に嵌まっていて、具体性に欠ける詞が多いのは何故だろうと思う。
僕はこのブログにもいろいろな名曲集的な記事、
を書いているが、そのうちにもうちょっと緻密に過去のヒット曲を洗って、「非・恋愛の名曲集」、あるいは「好きだとか振られたとか一辺倒でない恋愛名曲集」みたいな一文をここに加えたいと思っている。
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