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Sunday, May 23, 2021

『Fukushima 50』

【5月23日 記】 都内の映画館もほとんど開いていないので、録画したまま長らく放ってあった『Fukushima 50』を観た。若松節朗監督。

よくもまあこんな映画を撮ったものだと思う。東日本大震災から福島原発事故に至る詳細を丁寧になぞって、現場の最前線で命をかけて2次災害防止に努めた男たちの熱いドラマである。

観客の中には現地の人や関係者もいるだろう。そういう人たちから「それは違う」の大合唱を受けないために(多少の非難は仕方がない)かなり綿密な取材をしただろうし、セットを含めできる限り忠実に再現したのだろうと思う。

津波や爆発などのシーンは、もちろん CG も多用しているのだろうが、これは却々大変だったと思う。

所長の渡辺謙、当直長の佐藤浩市をはじめ、適材適所のオールスター・キャストだった。主演の2人もさることながら、火野正平や平田満、石井正則らの脇役が良い味を出していたと思う。

そんなことを考えると、これが2020年キネマ旬報の第34位というのは、少し評価が低いようにも思える。

ただ、ここで描かれている首相は、氏名こそ一切語られていないが、誰でも菅直人のことだと分かる。佐野史郎が演じたこの首相がかなり悪意をもって徹底的に無能に描かれているのは、政治家としての菅直人をそれなりに評価している僕としては、少し残念に思う。

確かに“イラ菅”とあだ名される人物だけに、あのようにいきり立って現場を混乱させた面はあったのだろう。だが、映画の台詞にあったように、「60歳以上は全員死ね。俺も行く」という言葉は(本当にそう言ったかどうかは定かではないが)菅直人の本心であり、決意であったと思う。

東電の幹部がかなり無能であったという話もよく聞いた。恐らく概ねあんな感じであったのだろう。

だが、これはドキュメンタリではない。フィクションである。あのときはこうだったのだと全てを鵜呑みにするのは危険である。それはドキュメンタリを見る場合であってもやはり脳の片隅に置いて置かなければならないことだ。

そのことに言及した上で、非常に情報性に富んだ、よく練れた群像ドラマだったと、しっかり評価しておきたい。

エピローグにあった「2020年の東京オリンピックは復興五輪と位置づけられ、聖火リレーは福島からスタートする」というスーパーは、今見るとかなり痛々しい。

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