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Sunday, May 30, 2021

テレビ買い換え記 ~その3~

【5月30日 記】 新しいテレビが配達されてきた。SONY、4K、有機EL。合わせて、ディスクが全く読み書きできなくなっていた Blu-ray/ハードディスク・レコーダも買い換えた。

ちなみに前もって HDMIケーブルと Amazon Fire Stick は、4K対応の最新のものに買い換えておいた。

今まで見ていた 2010年製のテレビと比べて圧倒的にきれい。そして音は前の機器の 100倍きれいで臨場感があるし、人の声もクリアで聴き取りやすい。外付け HDD(これも新たに買い足しておいた)に直接録画できるのも嬉しい。

そして、TVer も Amazon Prime も Abema TV も YouTube も、何の問題もなくきれいに再生される。

しかし、大昔のテレビ映画などが放送されていると、画面が粗くて、ちょっとこれは見ていられない感じ。ま、それは受像機側ではなく送信側のテレビ局の問題だから仕方がない。

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Saturday, May 29, 2021

映画『茜色に焼かれる』

【5月29日 記】 映画『茜色に焼かれる』を観てきた。いやぁ、石井裕也はやっぱりすごいわ。よくもまあこんな脚本を書き、こんな映画を撮った。

冒頭、ちゃらちゃらした感じで自転車に乗って横断歩道を渡っていた田中陽一(オダギリジョー)が、アクセルとブレーキを踏み違えた老人にはねられて即死するのだが、いきなりここで車と人の動きを説明するためにアニメーションが出てくる。これには驚いた。

そこら辺の監督なら、そんなとこにアニメなんぞ使わずに実写で描きたいだろう。当然肝心なところはちゃんと実写を撮っているので、このシーンはアニメがなければ構成できないものではない。後のシーンでこのアニメがもう一度出て来はするが、それほどの必然性もない。

何故わざわざアニメなんだろう?と訝りながら、でも、そこが面白い。

そういう意味では、映画のファーストカットはテロップ「田中良子は芝居が得意だ」だ。変な始まり方だと思ったが、映画が進むにつれてこの言葉がどんどん深いものになって行く。、

さて、物語は田中良子(尾野真千子)が、7年前に夫を轢き殺しながら、アルツハイマー型認知症を患っていたからなのか、逮捕されることさえなかった元高級官僚・有島(享年92)の葬儀に出席しようとして、遺族に追い返されるシーンから始まる。

良子は「有島さんの顔を見てみたかっただけ」と言うが、有島の息子(鶴見辰吾)や顧問弁護士の成原(嶋田久作)にとっては、それは悪質な嫌がらせにしか思えない。いや、良子の息子の純平(和田庵)でさえ理解できないと言う。

ここはひょっとしたら、田中良子という人物がときどき理解しがたい行動をするちょっと変わった女性であるということを印象づけるためのシーンだったのかもしれないが、でも、僕は一瞬にして「ああ、なんか、その気持分かる!」と思ってしまって、そこからどんどん映画にのめり込んだ。

この映画は、監督自身もそんなことを書いているが、「意味不明のルールに縛られて翻弄される人たちの苦しみと怒り」みたいな捉え方、書き方をよくされている。が、僕はルールということにはそれほど意識が行かず、むしろ「分からないことを認める」映画である気がした。

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Thursday, May 27, 2021

恋以外の歌

【5月27日 記】 大雑把に言って平成以降、ヒット曲に占める恋の歌の割合がかなり高くなってきたように思う。Recordplayer1149385_640

『万葉集』や『百人一首』を引き合いに出すまでもなく、大昔から恋が歌にうたわれてきたのは事実だ。1962年の畠山みどりのヒット曲にも『恋は神代の昔から』というのがあるくらいである(笑)

恋は多くの人が経験するものだし、精神的な高揚感が非常に高い経験だから、自然と歌になるのは分かる。

特に聴いている人たちは、「君が好きだ 君は可愛い もう君のことしか考えられない」などと歌われると、自分がそう言われているような気になって酔うのだろう(男女が逆の場合も然り)。

でも、そればかりというのもどうだろうとも思う。

僕は同じ恋の歌であっても、ただただ「好きだ好きだ」あるいは逆に「こんなに愛しているのに私を棄てるのね」みたいな歌ではなく、例えば、「あんなに好きだった僕の気持ちが離れて行く」ことの切なさを歌うような歌が好きだ。

──これはオフコースの『秋の気配』(1977年、詞・曲:小田和正)を念頭に置いて書いた。

あるいは、詩人の血の『きれいだネ』(1990年、詞:辻睦詞/曲:渡辺善太郎)みたいに、「君は喋らなきゃきれいだね」と、揶揄してるのかと思ったら、「君の髪も好き、足も好き でも、馬鹿」というえげつない一節で終わる歌も大好きだ。

つまり、僕はパタン化を嫌い、パタン化を外れた歌を好むのかもしれない。そういう意味でも巷に恋の歌ばかりが溢れるのは面白くないのである。

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Monday, May 24, 2021

『献灯使』多和田葉子(書評)

【5月24日 記】 多和田葉子は今まで3冊読んだが、その都度、書評を書くのが難しかった。だって、よく解らないのである。だけど、クリアには解らないことを潔しとしないのであれば、最初から多和田葉子なんか読んではいけない。

なんだかよく解らないのに、忘れてしまうぐらい長らく読まないでいると、また急に不思議に惹かれるのである。

これは近未来の日本の話である。でも、大厄災に見舞われた後、日本は今の日本とは全く違う国になっている。

まず、鎖国している。外来語は基本的に禁止。インターネットもなくはがきのやり取りをしている。自動車は走っていない。役所も警察も民間企業になっている。

変わっているのは人間を取り巻く環境だけではない。少子高齢化が進み、若者と老人が逆になってしまい、老人は100歳を過ぎても健康で毎朝ジョギングし、あらゆる家事を片付け、子どもたちを養い、逆に子どもたちは文字通り足腰立たなくなって車椅子で移動したりしている。

それどころか老人たちはもはや死ぬこともできなくなり、そんな大勢の老人たちが、今とは逆に子どもたちを介護している。

この小説の主人公で108歳の義郎も、ひとりでは着替えもできず、二足歩行さえできなくなった曾孫・無名の世話に暇がない。

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Sunday, May 23, 2021

『Fukushima 50』

【5月23日 記】 都内の映画館もほとんど開いていないので、録画したまま長らく放ってあった『Fukushima 50』を観た。若松節朗監督。

よくもまあこんな映画を撮ったものだと思う。東日本大震災から福島原発事故に至る詳細を丁寧になぞって、現場の最前線で命をかけて2次災害防止に努めた男たちの熱いドラマである。

観客の中には現地の人や関係者もいるだろう。そういう人たちから「それは違う」の大合唱を受けないために(多少の非難は仕方がない)かなり綿密な取材をしただろうし、セットを含めできる限り忠実に再現したのだろうと思う。

津波や爆発などのシーンは、もちろん CG も多用しているのだろうが、これは却々大変だったと思う。

所長の渡辺謙、当直長の佐藤浩市をはじめ、適材適所のオールスター・キャストだった。主演の2人もさることながら、火野正平や平田満、石井正則らの脇役が良い味を出していたと思う。

そんなことを考えると、これが2020年キネマ旬報の第34位というのは、少し評価が低いようにも思える。

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Saturday, May 22, 2021

映画『くれなずめ』

【5月22日 記】 映画『くれなずめ』を観てきた。松居大悟監督・脚本。

なんとも男臭い映画である。いや、masculine という意味ではない。前田敦子や飯豊まりえも出るには出ているのだが、上映中のほとんどの時間、画面は6人の男性(あるいはそのうちの何人か)で埋め尽くされる。

その6人とは欽一(高良健吾)、明石(若葉竜也)、ソース(浜野謙太)、大成(藤原季節)、ネジ(目次立樹)、そして吉尾(成田凌)。高校の帰宅部仲間で一緒に文化祭でコントをやったのがきっかけで、卒業後も時々集まっている。

高校時代からの関係だから、そこには偽悪的な少年性を、いやむしろバカバカしいほどの幼児性を引っ張ってきているような部分もある。

欽一と明石はその後もコメディ中心の劇団で活動している。欽一が座付きで明石が役者だ。彼らの公演はよく仲間が集まるきっかけになる。

大成はネクタイを締めたサラリーマン、ネジは対照的にブルーカラー、ソースは唯一の既婚者で子持ち、そして吉尾は仙台に住んでいるのだが、この映画が始まった時点では、実はもう吉尾はいないのである。

そのことは最後まで引っ張ってサプライズ的に見せるのではなく、映画のかなり早い段階で仄めかされている。いや、小出しではあるが、仄めかすと言うにはあまりに明示的な形で観客に情報提供される。

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Friday, May 21, 2021

行き違い、挿し違いと感性

【5月21日 記】 先日、テレワークでリモート会議中に、妻がプリンタで印刷を始めた。そのことに自体に何か不満があるわけではないのだが、問題は僕が座っている背後すぐのところにプリンタがあるということ。

その会議中、僕が発言する機会は普段ほとんどないのだが、折悪しく、次は自分が発言する番だと思ってマイクをオンにしたちょっと後に妻が印刷を始めたのだ。

で、僕がマイクをオンにしたときに喋っていた人が思いの外長く喋ったので、僕はオンにしたことを失念してしまっており、結局プリンタの印刷音が出席者全員の PC に、結構長い間届いたはずだ。

僕のヘッドセットのマイクが果たして背後の音をどれくらい拾ったのかは見当がつかないが、誰からも指摘や苦情が出なかったので、まあ、大したことはなかったのかなとは思う。

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Tuesday, May 18, 2021

テレビ買い換え記 ~その2~

【5月18日 記】 新しいテレビを買って(まだ届いてないけど)、じゃあ周辺機器はどうするかと考え始めて改めて思ったけれど、昔のテレビって本当に stand-alone のどうしようもない機器だったのだ。

だって、Wi-Fi も Bluetooth も付いてなかったんだから。いや、それどころか USB の端子もなかった。

テレビは、言うならば、電気炊飯器や電気洗濯機の仲間だったわけだ。それが地デジ化でデータ放送が始まってようやく有線ではなく無線LAN のアダプタを接続するための USB の口ができ、それでようやく“家電”(=家庭用電化製品)からデジタル機器に脱皮し始めたわけだ。

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Sunday, May 16, 2021

テレビ買い換え記

【5月16日 記】 テレビを買った。と言っても配達してくれるのは2週間先なのだが、お金は払った(そういうわけで、写真はまだアップロードできないので、テキトーなやつを上げておく)。Lcd2059995_1280

僕の周辺では、職業がら 4K 放送開始間もないころに買い換えた人が多かったが、4K で見たい番組も多分暫くないし、と思って買い控えてきた。オリンピック前にはと思っていたのだが、オリンピック自体が延びたので、随分出遅れてしまった。

しかし、ひょっとするとオリンピックは中止かもしれない。そう考えてやっぱり買い換えるのをやめる人もきっといるんだろうな、と思いながら、そんなことを言っているといつまでたっても買えないし、今使っているテレビも10年を超えたので、ここらで買うことにした。

初めての 4Kチューナ付き、初めての有機ELである。

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Saturday, May 15, 2021

ブロックチェーン考

【5月15日 記】 先日、日本マーケティング協会主催のブロックチェーン、NFT のセミナーを受講した。

ブロックチェーンと聞くと、いまだに「あ、ビットコインね、仮想通貨でしょ? 危ないやつね」みたいな理解をしている人もいるが、もうそういう次元は超えていて、さまざまな分野で利用され始めている。だいたい今は放送では仮想通貨という言葉は使わずに、暗号資産と言っている。

で、いろいろと勉強すればするほど、この日のセミナーも聴けば聴くほど、これを放っておく手はないと思う。

そんなブロックチェーンの研究をウチの会社でやっている奴はいるんだろうか?と前々から不安に思っていたのだが、ますますその思いが募ってきて、facebook に「ウチの会社、ブロックチェーンとか NFT とかの研究してる奴、どこかしらに誰かいるよね?」と書いたら、少なくとも2人はいるらしい。

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Wednesday, May 12, 2021

The stone has come back

【5月11日 記】 今まで3回書いてきた尿路結石の経過。前回の検診では石が消えてしまったので、今日はいきなり CT を撮られた。すると石はそこにいた。

前は2~3cm しか動いていないと言われたのだが、随分下まで降りてきているそうだ。

実は前回の診察から今日までの間に、左腰が痛いことが2度あった。激痛ではない。最初に石が動いたときの痛みに似ている。そして心なしか痛い箇所が少しずつ下方に行っている気がしたので、これは石が動いたのではないかなと思っていたのである。

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Sunday, May 09, 2021

『スパイの妻』

【5月8日 記】 というわけで、巣篭もり録画再生の2本目は『スパイの妻』。

僕はこの映画を映画館で観なかった。それは、ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞を受賞したとは言うものの、僕の周囲の反応が良くなかったからだ。

でも、それだけならば観に行ったかもしれない。引っかかったのは、「黒沢清らしくない」との声を数多く聞いたからである。そう言われると、長年の黒沢清ファンとしては腰が引けてしまう。

そして、実際に観てみて、確かにそうだと思った。

いや、別に退屈で面白くいない映画だとは言わない。しかし、それにしても、なんで急にこんな時代劇を撮ろうと思ったのだろう? チャンバラではないにせよ、1940年の神戸が舞台となると、昭和の世ならともかく、今では完全に時代劇の部類である。

歴史ものが悪いとは言わない。でも、僕は今の日本、今の世界の底に沈殿している恐怖や不安や違和感を描く黒沢清が観たいのである。歴史ものは他の監督が撮るだろう。

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Saturday, May 08, 2021

『his』

【5月8日 記】 都内で一般的な映画を上映しているのはアップリンク渋谷とユーロスペースと、池袋シネマ・ロサとポレポレ東中野ぐらいになってしまったので、録り溜めていたビデオを観ることにして、今泉力哉監督の『his』を観た。

順番としては『mellow』と『街の上で』の間に制作された 2020年の作品。これで僕は『パンとバスと2度目のハツコイ』以降『あの頃。』まで7本の今泉作品を観たことになる。

知らなかったのだが、これはメ~テレで放送された深夜ドラマ『his〜恋するつもりなんてなかった〜』の13年後を描いた作品なのだそうで、全5話のうちの3話を今泉力哉が演出している。ただし、出演者は今回の映画とは異なっている。

脚本はいずれもアサダアツシである。

元々は放送作家としてたくさんのバラエティを手掛けてきた人だが、近年ではドラマの脚本も物している。僕がこれまでに観たのは映画『裁判長!ここは懲役4年でどうすか』やテレビドラマ『マジで航海してます。』など。

この脚本が良い。はなはだ下世話な発想で恐縮だが、この人はゲイなんだろうか? 自分の経験に全く基づかないでこういう話が書けたとしたら、それはそれでまたすごいと思うが…。

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Tuesday, May 04, 2021

映画『FUNNY BUNNY』

【5月4日 記】 映画『FUNNY BUNNY』を観てきた。大好きな飯塚健監督・脚本・編集。元が舞台だったと言うから当然なのだけれど、とても演劇的な映画。とりわけ台詞回しが演劇的。

最初のほうに「想像力があれば世界を変えられる」みたいな台詞があったが、まさに想像力が横溢した設定と展開である。

閉館間際の区立図書館をバニーの着ぐるみ頭部をかぶった 25歳の剣持聡(中川大志)と 24歳の漆原聡(岡山天音)が襲撃する。司書の服部(関めぐみ)と利用客の新見(レイニ)を結束テープで縛り上げて。

目的は“絶対に誰にも借りられない本”を探すこと。

ちなみに僕はこの「られる」を可能の意味に取っていたのだが、そうではなくて受け身の助動詞だった。つまり、「誰にも借りることができない本」ではなく「誰かに借りられたりすることがない本」だ。その裏には剣持の高校時代の同級生・田所(ゆうたろう)の死が絡んでいる。

しかし、図書館には遠藤(森田想)という利用客がもうひとりいたこともあって、剣持らの計画は頓挫。でも、彼らの話を聞いて他の3人も協力することになる。この辺りの展開は面白い。

冒頭の、剣持と漆原が図書館まで乗ったタクシーのくたびれた運転手(菅原大吉)とのやり取りから始まって、仄かにユーモラスな会話を折り込みながら人間の心の結構深いところまで触れてくる手法は『REPLAY & DESTROY』の線だなあと途中で気がついた。

ただ、こちらは人の生き死にが絡むだけに少しく重い。

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Monday, May 03, 2021

旅行に行けない黄金週間

【5月3日 記】 2年続けて緊急事態宣言下のゴールデン・ウィークである。では、去年は一体どうやって過ごしていたのだろう?Gw

僕の場合は所謂「10年日記」(僕が実際使っているのは「100年日記」だが)を書いているので、昨年の今日、一昨年の今日に何をしていたかはたちどころに分かる。

それで改めて読んでみると、去年と今年でほとんど差がない。笑えてくるぐらいに差がない。

基本、家にいる。近所に買い物には行く。散歩に行く。ひとりでも行くしふたりでも行く。ふたりで行く場合はかなり長い距離を歩いたりもする。
あとは録画しておいたビデオを見たり、いろんなサイトに上げる原稿を書いたり、ウクレレを弾いたり、ヨガをやったり…。

それほど大きなストレスはない。

ただ、これが30年前だったら大きなストレスがあっただろうなと思う。それは、年末年始と GW が、長めの休みを取って旅行に行ける唯一のタイミングだったからだ。

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Saturday, May 01, 2021

「さん」付けの怪

【5月1日 note から転載】

スピッツ呼び捨て事件

女優で歌手の上白石萌歌がテレビ出演したときに、スピッツを呼び捨てにしたことで物議を醸したと、後から知って驚いた。

僕が読んだのはこの記事である。

上白石萌歌の「スピッツ」呼び捨て発言が波紋…丁寧すぎる「さん付け」はむしろ失礼?

結局、そもそもスピッツのメンバーたち自身が「さん」付けで呼ばれることを快く思っていないということもあり、スピッツの大ファンである上白石萌歌はそのことも踏まえて「さん」を付けずに呼んだのだと擁護する人も出てきて、なんとなく終息したようだ。

しかし、なんであれ、グループ名に「さん」を付けないのは失礼であると思う人がいること自体に僕は驚いたし、しかも、「さん」を付けない人を悪し様に言ったりする人がいることにも仰天した。

この記事の著者・小泉カツミも書いているが、じゃあ、ビートルズさんとかローリングストーンズさんとか言うのか?と考えると、それはちょっと妙な感じがする。「俺の好きなバンドはキッスさんだ」とか言うのか(笑)

確かにそこにも書いてあるように、僕らも仕事中に「電通さんに」とか「日テレさんは」とか言うことはある。しかし、それは目の前に電通や日テレの人がいる場合であり、社内の打ち合わせでは当然「電通に」「日テレは」と呼び捨てである。

ただし、その考えで行くと、上白石萌歌のテレビ出演の際にはスピッツが目の前にいたらしいから、自分で言っておきながら辻褄が合わず、基準がよく分からなくなってしまう。

個人名への「さん」付けについては後述するが、例えば、僕が今書いているこの文章においては、表記のゆらぎを排除するために全て「さん」抜きで書いているが、上白石萌歌と小泉カツミは「さん」付けであっても違和感はない気がする。

また、小泉カツミの文章の表題には「さん付けはむしろ失礼?」という表現があるが、その考えにも今イチ同意できない。

付けないのが失礼であるということに賛同しないように、付けたら失礼であるという理屈もすんなりとは腑に落ちない。

スピッツのように嫌がる人がいる場合はやめたほうが良いというのが主旨であるとしたら、記事でいろいろなグループを取り上げるときには、いちいち彼らの所属事務所に「さん」をつけてほしいかほしくないかを打診して、それぞれに書き分けなければならなくなる。それはあり得ないだろう。

メール黎明期の敬称論争

グループに「さん」を付けるか付けないかという問題からは少し外れるが、このような敬称をめぐる論争は実は大昔にもあった。

若い人は知る由もないが、世の中に電子メールというもの(今でこそメールと言えば eメールのことだが、当時は単純にメールと言えば郵便物のことだった)が出てきたころの話だ。

ある人たちが、メールの宛先欄に書いた名前には必ず「様」を付けておかないと失礼だと言い出したのだ。僕はその考えには全く同意できなかった。

そもそもメールの宛先欄はメールを送った相手に対する情報ではなく、メールを届けるシステム上のサーバやルータに対する指示(及びメールを書いた本人の確認用)である。

そこに「様」をつける必要など全くないはずだ。「様」はメール本文の冒頭に「○○様」という形で付けておけばそれで良いのである。

だいいち、自分が最初の発信人である場合なら良いが、複数人宛のメールに対して「全員返信」や「転送」をする場合はどうするのか? 最初の発信人が宛先欄に「様」を付けていなければ、それはそのまま返信や転送のメールに引き継がれる。それをいちいち書き換えろと言うのか?

そのことからも分かるように、メールの宛先欄はメーラーがアドレス帳/連絡先や、あるいは送られてきたメールから自動的にコピペしてくるものなのである。もしもそこに自動的に「様」を付けたいのであれば、元のアドレス帳/連絡先に記入する時点から「様」を付けなければならない。

──自分の住所録にいちいち「様」付けで書いてる奴なんているか?

そういう考えから、僕は「様」を付けないのは失礼だとする考え方に激しく抵抗して、相手がどんなに偉い人であろうと、平身低頭するべきお詫びのメールであろうと、決して宛先欄に敬称は書かなかった(もちろん本文中には書いたが)。

幸いにして、最近ではそういう主張をする人はあまり見かけなくはなったが…。

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