『転職2.0』村上臣(書評)
【4月29日 記】 転職を考えて読んだわけではない。僕はすでに終わった世代だし。
僕は村上さんと名刺交換をしている(向こうは憶えていないかもしれないけれど)。そういうこともあって、興味を持って読んでみた。
読むとなるほどと納得する。いちいち納得する。その一方で、僕らの世代にはとてもついて行けない感もある。
転職1.0 の時代には人生で1回きりの転職の成功を考えていれば良かった。つまり、転職=目的であったわけだが、転職2.0 の今は転職は単に手段となり、人生で何度かの転職を繰り返して自己の市場価値の最大化を目指すべきだ、と。
もう、本の最初のパートから唸ってしまった。僕らの時代は転職0.0 だったわけだ。
昭和の時代には、せっかく入った良い会社を辞めてしまうような奴は“何をやっても続かないダメな奴”であり、負け犬の烙印を押されてそれで終わりだった。
そんな中で生きてきた僕らからすれば、隔世の感がある。しかし、だからといってこの本に違和感を感じるかと言えばそうではない。本来そうあるべきだったのだ。
僕らの若い頃は意図的なパワハラを受け、それにどれだけこらえきれるかを試され、その試験に合格した者だけがようやく一人前として認めてもらえた。
パワハラに耐えるというのは、文字通り全てを我慢するということとは限らない。正面から(ただし、あまり嫌悪感を持たれずに)正論で論破するのもアリだし、上手にいなしたりかわしたりして行くというのもアリだ。
単に乗り越えられるか乗り越えられないかだけではなく、僕らはどんな風に対処するのかも見られていた。逆ギレするのが最低で、潰れてしまうのがその次にまずかった。
部下をいじめて楽しむという向きもあったのは確かだが、部下が自分で工夫してつまらない無理難題を弾き飛ばして行くための練習であったのも事実である。そういうことで鍛えられ、成長したのも間違いない。
でも、著者はもう我慢しながら働く時代は終わったと言う。その通りだ。昔のようなねじくれた面倒くさいやり方に従う必要なんかないのだ。
「株式会社自分」の「総資産」を最大化することを考えろと言われると、一方で、そんな(自分勝手とは言わないが)自分本位な奴ばっかりになったら、一体誰が会社を改革して行くんだろう?と思わないでもない。
でも、考え方を変えれば、これからは 5年や 10年しかいない社員がちゃんと会社を改革して行けるような会社にして行かなくてはいけない、ということなんだろうと思う。
終身雇用も年功序列もすでに崩れ始めている。
「実力があれば若い社員でも管理職になる時代だ」という理解は大間違いで、「年上の人材をマネージするスキルがある人が管理職になる(その人自身が何歳かは関係がない)」というのが正解なのだ。
とにかく自分のキャリアを自分で意識して作り上げて行く必要性が謳われている。昔は自分のキャリアを自分で決めるのではなく、会社が勝手に決めていた、という記述を読んで、ああ、それは僕のことだ、と思った。
僕のことはいい。僕の時代のやり方を継承しろなんて言うのは頭がおかしい。
これからの会社はそんな風に(それに合わせて)変わって行かないと、何しろ転職2.0 の社員が働いているわけだから、やっていけないのだ──と、僕は転職する労働者の観点ではなく、彼らを受け入れる会社の観点で読んだ。
みんなが我慢しなくなれば、組織は健全化し、より風通しがよくなるというポジティブスパイラルに入っていくのです。
その通りだ。
この本は巻末に付録までつけて、転職について非常に事細かにアドバイスした転職のノウハウ本である。しかし、それと同時に、会社の健全化を提言した本でもあるのだ。僕はそんな風に読んだ。
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