『ザリガニの鳴くところ』ディーリア・オーエンズ(書評)
【4月16日 記】 アメリカのベストセラーだと言うので、読み始めた。しかし、ザリガニって鳴くのかね?と訝りながら。
なんと言うか、とてもよく書けたお話で驚いた。これが著者にとって初めての小説だとはとても思えない。
話は2つのラインで展開される。ひとつは 1969年にノース・カロライナ州の湿地で死体が発見されたチェイス・アンドルーズの殺人事件。
少年たちが普段から登ってはいけないと言われている湿地の火の見櫓に行って死体を見つけ、警察に通報する。やがて保安官と副保安官がやってきて捜査を始める。
もうひとつはその誰も住まない湿地の中のボロボロの家にひとりで住んでいる少女カイアの話で、母親がカイアを捨てて家を出て行く 1952年の記述から始まる。
カイアの家では父親が酔っ払って暴力を振るうのに愛想をつかせた兄や姉たちがまず順番に家を出て行き、夫の暴力にとうとうこれ以上耐えられなくなった母が出て行き、一人だけ残っていた一番歳の近い兄ジョディも去って行き、そのあと父親もある日出かけたまま帰って来なかった。
カイアはその時まだ小学校に上がるか上がらないかという年齢で、読み書きは全くできないし、お金の勘定もできないどころか 29 より大きな数字を言えず、まともにできる料理もない。そんな彼女がひとりボロ屋に残されて、生きて行かねばならないのである。
ただ、彼女は湿地の動植物については誰よりも詳しく、卓越した観察眼と丁寧な筆致で膨大な動植物の見事な標本図を作り上げて行く(これは後に出版されることになる)。
街の役人に無理やり小学校に入れられるが、すぐにいじめに遭って逃げ出し、以来学校には行っていない。そんな彼女を時々見かける釣り人たちは彼女を「湿地の少女」と呼んで異端視するようになる。
そういう構造だから、読み始めてすぐに、これはカイアがチェイス殺しの犯人に仕立て上げられるか、あるいは彼女が実際にチェイスを殺してしまう羽目になったのかのどちらかなのだろうと想像がつく。
チェイスはアメリカンフットボールの花形選手で名うてのプレイボーイであり、きれいな女とヤルためには何だってするようなゲス野郎なのだが、街の人たちのほとんどはカイアに対して強烈な偏見を持っていて、そんな女だからチェイスを殺したに違いないと思い込む。
でも、そんな中で彼女に救いの手を差し伸べる人間は何人かいて、例えばそれは近所に住む少し年上の少年テイトであり、彼はカイアに時間をかけて読み書きを教えてやる。
テイトはいきなりカイアの前に現れて話しかけるのではなく、まずはプレゼントとして珍しい鳥の羽を切り株に置いておく──この幼い2人の恋物語の始まりはとてもロマンティックである。
そして、カイアが舟のガソリンを買いに行く燃料店の黒人夫婦ジャンピンとメイベルも、彼女に物心両面で力になってやる。
そういう風に2つに分断された人たちという設定があまりに見事なので、読んでいてどんどんカイアに感情移入してしまう。
野生動物学者である著者はバークリー・コーヴという架空の村の湿地の自然を瑞々しく描いてみせる。たくさんの貝や、カモメをはじめとする多くの鳥、ホタルやカマキリなどの虫たち、そして数多くの植物、潮の満ち引き、月の満ち欠け…。
そして作者はそこに数多くの詩を挿入する。自然と詩──この2つが合わさることによって、文章はとても美しいものになっている。
しかし、描かれる環境が美しければ美しいほど、読者はそこに不安を感じてしまう。──カイアがもっとひどい目に遭うのではないかという不吉な予感。
僕は読みながら何度も、お願いだからこれ以上カイアを不幸にしないでくれと祈った。
そして、バラバラに始まった2つの記述が、カイアが警察に逮捕されてからひとつになって、事件の解決/法の審判へとなだれ込んで行く。裁判シーンも含めて、この終盤の畳み掛けは本当に見事である。途中で本を閉じることができず、一気に読み終わった。
読み終わってからしばらく後に振り返って考えてみると、ミステリ仕立てにしたこの小説には、一部辻褄の合わないところや説明の足りない部分がいくつかある。
だが、そんなことはどうでも良いのである。とても読後感の良い小説である。
この物語のミソは、肌の色や目の色など、人種の違いによる差別ではなく、ホワイト・トラッシュ(貧乏白人)と呼ばれる白人に対して、もう少し暮らし向きの上の白人たちが拭い難い偏見と嫌悪感を持っているという構造だと思う。
そういうことはあらゆるところで起きるのである。人は簡単に分断されてしまう。そして、カイアのような純粋な心を持ってただ自然を愛しているというだけの存在が、心ならずも血祭りにあげられる。
僕はザリガニの鳴くところになんか行ったことがない。でも、実際にそこに行って、自分の目で見て、自分の耳でザリガニが鳴くのかどうか確かめてみるまでは、ザリガニは鳴いたりしないよなんて言わないでおこうと思った。
これはそういう小説である。だが、薬臭い教訓を押しつけてくる小説ではない。それは基本的に人と人の愛情の物語になっている。そこが素晴らしいところである。
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