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Saturday, April 03, 2021

映画『僕が跳びはねる理由』

【4月3日 記】 映画『僕が跳びはねる理由』を観てきた。自閉症を扱ったドキュメンタリだ。仕事上の関心もあって観たいと言う妻に僕がつきあったのではあるが、ものすごく興味深く観た。

発達障害のひとつとされる自閉症スペクトラム障害(ASD)だが、日本語にすると「発達」とか「自閉」とかいう言葉が間違ったイメージを呼び起こしてしまう。一般的に disorder を「障害(障碍)」と訳してしまっているのも如何なものかと思う。

ちなみに自閉症に当たる英語は austism(これが ASD の A だ。形容詞は autistic)で、この映画の中でも何度も耳にする単語である。

この映画は、自閉症者の東田直樹が 13歳の時に書いたエッセイ『自閉症の僕が跳びはねる理由』を、自ら自閉症の息子を持つ英国のベストセラー作家デイヴィッド・ミッチェルとその妻ケイコ・ヨシダが英訳した The Reason I Jump が元になっている。

これを映画化したのは、この映画にも出演している自閉症者ジョスの両親であるジェレミー・ディアとスティーヴィー・リーである。

この映画には原作本の著者デイヴィッド・ミッチェルと、6人の自閉症者が出てくる。インドのアムリット、英国のジョス、アメリカの黒人男性ベンと白人女性エマ(2人は友人関係にある)、シエラレオネのジェスティナ、そして、全体を繋ぐイメージ的に使われているのが、まだ幼いジム・フジワラである。

映像的に特徴的だったのは、物事を目にした時に全体よりも部分のほうが先に入ってくるという自閉症者特有の見え方に即して、ディーテールの強烈なアップが多用されていることだ。

彼らはごく小さなディーテールから、自分の記憶の中にあるそれに近いものを呼び出し、そこから少しずつゆっくりと全体を構成して行く。雨の音を聞いたり窓の外を見たりしてから、雨が降っているのだと理解するまでとても長い時間を要するのだそうだ。

そして、いろんなものに対するこだわりや、音に対する過敏さもしっかりカメラに収められている。自分の意思や考えていることとは無関係に、勝手に言葉が口から飛び出してくることもあるのだそうだ。

我々の記憶は1本の線のように過去から現在まで順に繋がっているが、彼らの場合には記憶は点のようなもので、突然何の脈略もなく何年も前の記憶が、しかもその時の感情を伴って甦ってくるのだそうだ。

そんなときに彼らはパニックを起こしたりする。

そして、他人と話そうとすると、順番に言葉が消えて行く、とも言っている。

そんなわけで、突然跳びはねたりもし、他人とコミュニケーションが取れない彼らは、大昔は悪魔が取り憑いたものだと思われていた。

そして、20世紀に入ってからも単なる知恵遅れとして処理されてきたが、でも、東田直樹がこの本を書いたということからも分かるし、ベンやエマが文字盤を使って驚くほどまともな文章を書く姿を見てもそれが間違いだということは明らかである。

アムリットが描く絵画の豊かな表現力を見ても、それははっきり分かる。

彼らが同じ言葉を繰り返して言ったり、同じ行動を何度もやるのを見て、我々はついつい薄気味悪く思ってしまうのだが、繰り返しや反復行動は彼らを落ち着かせ、あるいは楽しくさせるのだそうだ。

ともかく、知らないことばかりだった。そして、同じく今回初めて知ったのは「発達障害」の彼らに対して、我々のことは「定型発達」と呼ぶらしいということ。そう言われてみると、なんだ我々はただ型に嵌まった発達の仕方をしてきただけではないかと、なんだか力が抜けてくる。

「しかし、それにしても生きて行くのは心底大変だろうな」と思う一方で、「なんだ、そんなに我々と違うわけでもないんだ」とも思う。

ジム・フジワラ少年のブリッジ的な使い方が功を奏しており、映像的にも大変印象的な作品だった。

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