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Thursday, April 29, 2021

『転職2.0』村上臣(書評)

【4月29日 記】 転職を考えて読んだわけではない。僕はすでに終わった世代だし。

僕は村上さんと名刺交換をしている(向こうは憶えていないかもしれないけれど)。そういうこともあって、興味を持って読んでみた。

読むとなるほどと納得する。いちいち納得する。その一方で、僕らの世代にはとてもついて行けない感もある。

転職1.0 の時代には人生で1回きりの転職の成功を考えていれば良かった。つまり、転職=目的であったわけだが、転職2.0 の今は転職は単に手段となり、人生で何度かの転職を繰り返して自己の市場価値の最大化を目指すべきだ、と。

もう、本の最初のパートから唸ってしまった。僕らの時代は転職0.0 だったわけだ。

昭和の時代には、せっかく入った良い会社を辞めてしまうような奴は“何をやっても続かないダメな奴”であり、負け犬の烙印を押されてそれで終わりだった。

そんな中で生きてきた僕らからすれば、隔世の感がある。しかし、だからといってこの本に違和感を感じるかと言えばそうではない。本来そうあるべきだったのだ。

僕らの若い頃は意図的なパワハラを受け、それにどれだけこらえきれるかを試され、その試験に合格した者だけがようやく一人前として認めてもらえた。

パワハラに耐えるというのは、文字通り全てを我慢するということとは限らない。正面から(ただし、あまり嫌悪感を持たれずに)正論で論破するのもアリだし、上手にいなしたりかわしたりして行くというのもアリだ。

単に乗り越えられるか乗り越えられないかだけではなく、僕らはどんな風に対処するのかも見られていた。逆ギレするのが最低で、潰れてしまうのがその次にまずかった。

部下をいじめて楽しむという向きもあったのは確かだが、部下が自分で工夫してつまらない無理難題を弾き飛ばして行くための練習であったのも事実である。そういうことで鍛えられ、成長したのも間違いない。

でも、著者はもう我慢しながら働く時代は終わったと言う。その通りだ。昔のようなねじくれた面倒くさいやり方に従う必要なんかないのだ。

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Wednesday, April 28, 2021

NHK BS 『わが心の大滝詠一』

【4月28日 記】 NHK BS から録画しておいた『わが心の大滝詠一』を観た。大瀧詠一ゆかりのミュージシャンをバックに、彼の作品を何人かの歌手が歌うのと短めのインタビューによる構成。ナレーターは爆笑問題の田中裕二。

インタビュー部分には松本隆や萩原健太による、やや長めの追憶や解説もある。

『さらばシベリア鉄道』の録音中に「この歌は女声のほうが向いている」ということになって太田裕美が起用されたとか、ロンバケの作詞を頼まれた松本隆が、実の妹が急死してとても歌詞が書ける状態ではなくなって、大瀧に断りを入れたら「書けるようになるまで待つよ」と言われたとか、すでに知っているエピソードもたくさんあった。

それにしても、鈴木茂も萩原健太もすっかりおじいさんになってしまったなあ、と少し驚いた。

トップとラストは大瀧詠一自身のボーカル・トラックに演奏をかぶせた。小泉今日子とは“デュエット”もやった。

同じように年をとっても、小泉今日子も薬師丸ひろ子も、僕は若い頃からのファンだし、今でも素敵だなと思う。

他に歌ったのは氷川きよし、BEGIN、小林旭、横山剣、TARAKO、鈴木雅之…、思い出した順番に書いているのだが、誰かを忘れているかもしれない。

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Sunday, April 25, 2021

コード理論ふたたび

【4月25日 記】 先日、Play Log File on my Walkman #141 で尾崎亜美の『マイ・ピュア・レディ』について書いたときに、久しぶりにコード分析みたいなことをやったら、これが楽しくて楽しくて仕方がない。

きれいなコード進行だなと思って調べてみたら、G のキーに E♭が使ってある。記号で言うなら♭VI である。

ナニソレ、どういう発想で、どこからそんなコード持ってきたの?と思ったのだが、これは G の同主調、つまり、同じく G を主音とした短調のキー(Gm)からの借り物なのである。つまり、E♭は、キーG ではノンダイアトニックコードだが、キーGm ではダイアトニックコード(VI)なのである。

そういう関係で、このコードは借りて来られるのである。これは♭VI だけではない。♭III も ♭VII もまた同主調マイナーではダイアトニックコードであり、同様に使えるのである。

しかし、♭II7 が V7 の代用コードになるのははっきり憶えていたが、♭III、♭VI、♭VII が使えるなんてことは、多分何かで一度は読んでいるはずだがすっかり忘れていた。

さて、ここで使われている♭VI は半音下降して V7 に接続することが多く、『マイ・ピュア・レディ』でもその通りになっている(ただし、この曲では D7 ではなく Dsus4 になっている)わけだが、その前に F9 と Em を置いて4音の下降クリシェを作っているところが巧い。

キーG で F9 というのも、これまたどこから持ってきたの?というノンダイアトニックコードだ。

コード理論的には本来 Am7 ぐらいを充てておくのが無難で、それを変形した(第5音を半音下げた) Am7-5 もアリかな、という感じなのだが、その Am7-5 の下に F 音を加えると F9 になるという、これまた手品みたいな形だ。

そんなことを吟味すればするほど深い。

そして、そんなことを楽しむには良い時代になったのだ。

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Saturday, April 24, 2021

映画『るろうに剣心 最終章 THE FINAL』

【4月24日 記】 映画『るろうに剣心 最終章 THE FINAL』を観てきた。

ここまで3作観てきたからには、最後の2作を見逃す手はない。と言うよりも、なんでここまで3作観てきたかと言えば、それは面白いからでござるよ。従って、今作も見る。

と言っても、僕のことだから、例によって過去3作のことはほとんど何も憶えていない。

でも、憶えていなくたってさしたる支障はない。今作も、今までの3作を全く観ていなくても大丈夫。今回は要は剣心(佐藤健)に家族や仲間を殺された刺客たちが復讐にやってくるというだけの話だ(その割にはやたらと人数が多いし、大仕掛けだがw)

事前に頭に叩き込んでおくべきことは2つだけ。

ひとつめは、劇中で剣心は3通りの呼び方をされるということ──緋村、剣心、抜刀斎。

それから、もう2度と人を殺さないと誓っている剣心の刀は「逆刃刀」と言われる代物で、峰と刃が逆になっていて、構えると自分のほうに刃があるということ。

そんなもんで戦うわけだから、いくら斬って斬って斬り倒しても、相手は打撲こそ受けても全く切れてはおらず、従って死なない。そんな刀で何百人と戦うわけだから、こりゃ正気の沙汰ではないということ。

で、このシリーズを通じて一番面白い、一番胸躍る、一番注目すべき点は何と言っても殺陣である。

殺陣ったって、単なるチャンバラではない。斬り合う合間に殴る、蹴る、押え込む、投げ飛ばすなどのカンフーみたいな攻撃が互いに挟まっていて、しかも、人の動きが他の映画ではありえないほど速くて広範囲に及ぶ。

全速力で走るかと思ったら急に止まって折り返したり、身を屈めて滑り込んだり、ジャンプしたり。壁を駆け上がる、屋根に飛び乗るなんてのは序の口で、これまたこの映画の売りなのだが、壁伝いに横に走る。

一箇所で互いに正眼の構えで静かに向き合うのではなく、猛スピードでトリッキーに動きまくる殺陣をカメラで追うのだから大変である。1カットに何動作入っているのか想像がつかない。横方向にはどこまでも続く感じがあるし、奥行きもめちゃくちゃ深い。

打撃を受けた人間が襖や障子を突き破って3つ隣の部屋までぶっ飛んで行ったり、四乃森蒼紫(伊勢谷友介)と敵が斬り合いをしている奥から巻町操(土屋太鳳)が刀の間をかいくぐって前に抜けてきて画面手前の敵を斬ったり、もう、ものすごいシーンてんこ盛り。

もちろん CG や VFX もあるだろうし、当然ワイヤーアクションも使っているだろうが、これ、演じるほうも撮るほうも並大抵ではない。

これだけ大規模なセットを建てて、それがまたボロボロに粉々に壊れる。大学の剣道部のエキストラだけでも一体何校に声をかけたのだろうか。

かくして平面のスクリーンは無限の空間となり、クラクラするような時間経過を加えて四次元になる。

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Thursday, April 22, 2021

『賭ケグルイ 絶体絶命ロシアンルーレット』完成披露イベント(試写会)

【4月22日 記】 映画『賭ケグルイ 絶体絶命ロシアンルーレット』の完成披露イベントに行ってきた。舞台挨拶と試写会。

お客さんがほとんど若い女性なのに驚いた。取材陣と関係者を除いたら、観客席は95%ぐらいが女性。そうか、この作品は女性に支えられているのだということを目の当たりにした。

もちろん、それは出演者のひとりであり、今日も舞台に立ったジャニーズWESTの藤井流星の人気のせいなのかもしれないけれど。

さて、この作品も実写版としては TV版Season1, Season2、映画版に続いて4作目である。今回もまた思いっきり賭ケグルってくれていると言うか、遊びまくってくれていると言うか(笑)

浜辺美波も言っていた。Season2 を撮り始めるときには若干の不安もあったけれど、ここまで来るともう楽しくて楽しくて、と。

この現実離れしたケレン味と言うか、歌舞伎ぶりと言うか、そういうところがこの作品のミソだから、設定やスジ運びに白けたり、オーバーな演技に引いてしまったら負けである。

とは言え、今回はタイトルにもあるようにモノホンのリボルバーを使ったロシアンルーレットが出てくるわけで、高校で博打が横行しているだけでかなりぶっ飛んだ設定なのに、いくらなんでも賭けに負けたら銃弾に撃たれて死んでしまうというのは…とは思う。

しかし、ことこの作品についてはそういう考えは禁物なのである(笑) いかにエキセントリックにぶっ飛べるかを、演者もスタッフも観客も一緒になって楽しむ作品なのである。

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Tuesday, April 20, 2021

Play Log File on my Walkman #141

【4月20日 記】 僕の SONY Walkman でランダム再生しているプレイログ。今年2回目の披露は今回も5曲:

  1. ビター・スウィート(ORIGINAL LOVE)
  2. 人魚(NOKKO)
  3. マイ・ピュア・レディ(尾崎亜美)
  4. Here Is Happiness(Sandii)
  5. 恋の元素記号(Grandfathers)

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Monday, April 19, 2021

古川琴音、萩原みのり、中田青渚

【4月19日 追記】 NHK BSプレミアムの『流行感冒』で観た古川琴音がいいなと思っていたら、映画『街の上で』にも出ていて、これもとても良くて、調べてみたらなんと、僕は彼女の出演映画を観るのは『街の上で』が4本目で驚いた。

そのうち『チワワちゃん』は何となく思い出した。自分の書いたレビューでもちゃんと名前を挙げている。しかし、2年前に観た『十二人の死にたい子どもたち』と、今年になってから観た『花束みたいな恋をした』ははっきり思い出せない。

そもそも、映画を観ても小説を読んでも、ほとんどのことをきれいさっぱり忘れてしまう僕のことだから、脇役の女優の名前を憶えていなくても全然不思議ではない。

でも、その一方で、そんなに出ていたのか、そんなに観ていたのか、という驚きはある。名前は忘れていても顔は憶えているというようなことがあっても良さそうなものだが、それもないのである。

ちなみに同じく『街の上で』に出ていた萩原みのりは、名前を見て、あ、いま毎回観ている深夜ドラマ『RISKY』の主演の娘か、と気づいて、これも気になったので調べてみたら、なんと僕は『街の上で』を含めて6本も観ている。

彼女もまた『花束みたいな恋をした』に出ていたらしいのだが、全く記憶に留まっていない。小さな役だったのかもしれないが、それ以前に女性は髪型やメイクで随分印象が変わるということもあるにはあるだろう。

今回もショートの『街の上で』とロングヘアーの『RISKY』が同じ女優だとは、名前を見るまでは気づかなかったから。

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Sunday, April 18, 2021

今泉力哉監督と twitter

【4月18日 追記】 今泉力哉は好きな映画監督のひとりである。他にも好きな映画監督はたくさんいるのだが、とりわけ今泉監督について言えるのは、僕が彼にずっと惹かれるのは彼がやっている twitter のせいだということだ。

いや、twitter をやっている映画監督は他にも大勢いるし、何人か(10人ではきかないと思う)の映画監督を僕はフォローしている。ただ、そんな中で今泉力哉は圧倒的につぶやき数が多いのである。そして、エゴサーチも神経質なくらいしていて、そのリツートも多い。

自分の映画が公開になって、観て感動した人がいろいろつぶやき始めると、今泉監督本人によるリツートで、僕のタイムラインのかなりの面積が埋まってしまったりもする。

一方で、自分に対する批判や攻撃にものすごく悩んでいる姿も見せる。単に責められて落ち込んでいるのではなく、そういう見方しかできず、そういう責め方をしてしまう人の存在を憂えて、嘆き、もがき苦しんでいる。

こいつは多分ものすごく面倒くさい奴だと思う(笑) なにしろ悩みが絶えないのである。それを全部 tweet に吐き出している。

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Saturday, April 17, 2021

映画『街の上で』

【4月17日 記】 映画『街の上で』を観てきた。今泉力哉監督。今回は漫画家の大橋裕之が共同脚本に名を連ねたオリジナル作品である。本来は去年 5/7公開のはずがコロナで延びていた。

下北沢で古着屋を営む青(若葉竜也)、青の彼女で映画の冒頭で彼と別れることになる雪(穂志もえか)、近所の古本屋の店員・田辺さん(古川琴音)、大学で映画制作をしている町子(萩原みのり)、その映画のスタッフのイハ(中田青渚)、近所のスナックのマスター(小竹原晋)、近所のカフェのマスター(芹澤興人)、そしてすでに死んでしまっているので登場はしないが古本屋の店主カワナベさんらを描いた群像劇。

何がすごいって、途中までは全編エチュードではないかと思うくらいの、「なんじゃ、この映画は!」と叫びたくなるほどの、如何にもありそうな会話劇。カメラを固定して役者と役者のデスマッチみたいな長回し。

特に夜中にイハの部屋で青とイハが延々と語る超絶長回しシーンのなんとリアルなこと! ここで中田青渚が1箇所台詞を噛んで言い直したことによって、逆にこれらが全て書かれた台詞であったことが分かって驚いたぐらいだ。

同じ会話劇でも、(こんな大御所を引き合いに出して申し訳ないが)橋田壽賀子なんかの会話劇はひたすら筋を転がすための会話。今泉監督の会話はただリアルなだけ。おかげで筋が全然進まない(笑)

でも、僕らの会話って、実はこんな感じではないか。

負け惜しみの屁理屈だったり、単なる夢想だったり、売り言葉に買い言葉だったり、油断して口走ってしまう悪い冗談だったり…。何も進めたりはしないのだ。だが、そこにはその人の人間性が表れ、その人の置かれている環境が透けて見えたりもする。

まあ、言うならば橋田壽賀子の会話は説明のために横に押し出して行く会話。今泉監督の会話は深く穴を掘って行く会話。でも、穴を掘っていると湧水があったり、鉱脈にぶつかったりする。それで、自然と筋が転がって行く。

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Friday, April 16, 2021

『ザリガニの鳴くところ』ディーリア・オーエンズ(書評)

【4月16日 記】 アメリカのベストセラーだと言うので、読み始めた。しかし、ザリガニって鳴くのかね?と訝りながら。

なんと言うか、とてもよく書けたお話で驚いた。これが著者にとって初めての小説だとはとても思えない。

話は2つのラインで展開される。ひとつは 1969年にノース・カロライナ州の湿地で死体が発見されたチェイス・アンドルーズの殺人事件。

少年たちが普段から登ってはいけないと言われている湿地の火の見櫓に行って死体を見つけ、警察に通報する。やがて保安官と副保安官がやってきて捜査を始める。

もうひとつはその誰も住まない湿地の中のボロボロの家にひとりで住んでいる少女カイアの話で、母親がカイアを捨てて家を出て行く 1952年の記述から始まる。

カイアの家では父親が酔っ払って暴力を振るうのに愛想をつかせた兄や姉たちがまず順番に家を出て行き、夫の暴力にとうとうこれ以上耐えられなくなった母が出て行き、一人だけ残っていた一番歳の近い兄ジョディも去って行き、そのあと父親もある日出かけたまま帰って来なかった。

カイアはその時まだ小学校に上がるか上がらないかという年齢で、読み書きは全くできないし、お金の勘定もできないどころか 29 より大きな数字を言えず、まともにできる料理もない。そんな彼女がひとりボロ屋に残されて、生きて行かねばならないのである。

ただ、彼女は湿地の動植物については誰よりも詳しく、卓越した観察眼と丁寧な筆致で膨大な動植物の見事な標本図を作り上げて行く(これは後に出版されることになる)。

街の役人に無理やり小学校に入れられるが、すぐにいじめに遭って逃げ出し、以来学校には行っていない。そんな彼女を時々見かける釣り人たちは彼女を「湿地の少女」と呼んで異端視するようになる。

そういう構造だから、読み始めてすぐに、これはカイアがチェイス殺しの犯人に仕立て上げられるか、あるいは彼女が実際にチェイスを殺してしまう羽目になったのかのどちらかなのだろうと想像がつく。

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Tuesday, April 13, 2021

映画『BLUE ブルー』

【4月13日 記】 映画『BLUE ブルー』を観てきた。

吉田恵輔の監督作品は2作目の『机のなかみ』以降全部観てきたが、ここのところの彼の映画では、ラブコメだと思って観ているとある時点から突然スプラッタ・ホラーに一変したりする面白さ/怖さがある。

今回もそれを期待して観に行ったのだが、しかし、今回は最初から最後までボクシング映画だった。

何故こんな映画を撮ったのだろうと不思議に思ったのだが、終わってからパンフを読んで分かった。吉田監督は中学2年からずっとボクシングをやっているのだそうだ。アマチュアとは言え30年も続けている正真正銘のボクサーである。そして、かなりのボクシング・マニアでもある。

今回、脚本・監督だけではなく殺陣指導も自ら行い、ボクシングのシーンは全てのコンテを自分で書いたと言う。それほどの人だから、ボクシングのシーンは極めてリアルである。

でも、この映画は、劣勢に立っていた挑戦者が努力と根性で逆転勝利するような物語ではない。

試合が終わってロッキーがどうなったのか心配で、ロッキーの名を叫びながらごった返す観客の中をエイドリアンが逆走して行き、彼女の帽子が脱げて、それが真上からのカメラで点景になる──というような終わり方をする映画でもない。

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Monday, April 12, 2021

NHK BSP 『流行感冒』

【4月12日 記】 NHK BSプレミアムで放送した『流行感冒』を録画して観た。めちゃくちゃ面白かった。1919年に発表された志賀直哉の同名の小説を原作としている。

時代設定はその前年の1918年(大正7年)の秋、スペイン風邪の流行に右往左往する人々の暮らしを描いた作品である。写実の名手と言われる志賀直哉のことであるから、恐らく本当にこんな感じだったのだろう。

さて、何が面白いって、どれもこれも昨今の日本の状況と同じなのである。

作家先生(本木雅弘)は、初めての子供を生まれてすぐになくしていることもあって、西洋で猛威を振るい日本にも上陸してきた流行感冒(スペイン風邪)が大事な娘に伝染るのではないかと気が気でない。

今年の村の運動会は中止にすべきであると村長に直談判に行く。ところが、村長と校長を交えて話した結果、準備してきたものは変えられないという理由で強行される。これ、村の運動会とは規模が違うが、根幹をなす理屈は東京オリンピックと同じではないか?

憤る先生は、運動会を楽しみにしていた娘の佐江子には絶対に行ってはならぬと言う。

とは言え、自分は仕事の都合で路面電車に乗って都心に出る。帰りには行きつけの飲み屋でちょっと一杯。でも、さっき聞いたばかりの「さ湯を飲むと流行感冒にはかからないらしい」という言説を信じて、一杯目は白湯を注文して主人(石橋蓮司)を驚かす。

今の人たちの振る舞いととてもよく似てはいないか?

飲み屋の主人は「先生、人間死ぬときは死ぬんだから」などと鷹揚だが、だんだん感冒が流行りだした頃になると、咳をしながら入ってきた客を有無を言わせず追い返してしまうようになる。

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Sunday, April 11, 2021

作家主義

【4月11日 記】 僕は映画を概ね監督で選んで観ている。Film1668918_640

それがごく一般的なことなのだと長らく思い込んでいたのだが、しかし、世の中には監督で選ばないどころか、誰が監督なのか全く知らないまま映画を見始めて、見終わってからも確認しない人がいる。

僕はそれが不思議で不思議で仕方がなかった。

しかし、それも仕方がないことだと気づいた。年に数本しか映画を観ない人には監督の情報が蓄積されないのだ。年に何十本か観て初めて、それぞれの監督の特徴や癖や志向性などが見えてきて、次に映画を選ぶときの材料になるのである。

それが証拠に僕は、邦画は監督で選んでいるが、外画はそうではない。外国映画はあまり観ないので、作品を選ぶための監督の情報を持ち合わせていないのである。

とは言え、もう少し洋画を観ていた時代には何人か好きな監督もいて(例えば、ウディ・アレン、テリー・ギリアム、デビッド・クローネンバーグ、エミール・クストリッツァ、ギレルモ・デル・トロなど)、そのうちの何人かはいまだに追いかけていたりもする。

小さい頃からずっとテレビを観ていて、ドラマの出来が脚本家の力量に大きく左右されるということはすぐに分かった。でも、それだけではなく、プロデューサーが誰なのかということも非常に大きな要素であることを、僕は中学時代に発見したのだ。

それは、当時プロデューサーという仕事が具体的に何をする人なのかは全く知らなかったが、「プロデューサー 久世光彦」と書いてあるドラマは全部面白いぞ!みたいな発見だった。

それが僕がテレビの仕事に興味を抱いた最初ではなかったかと思う。

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Saturday, April 10, 2021

企業のアプリについて思う

【4月10日 記】 どいつもこいつもアプリを入れろと言ってくる。

やれ、アプリをダウンロードすると○○円分のポイントが貰えるとか、やれ、当選の確率が2倍になるとか。

どうして企業はアプリをインストールしてほしいのだろうか? 僕は2つの意味で不思議で仕方がない。

  1. 企業にとって、アプリをインストールしてもらうことが売上増大に繋がるのだろうか?
  2. ユーザにとってインストールすることにどんなメリットがあると、企業は想定しているのだろうか?

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Thursday, April 08, 2021

The stone is gone

【4月6日 追記】 尿管の石の話の続き:

約1か月置いて泌尿器科に。例によって検尿があり、レントゲン撮影があり、そして診察室へ。

ところが石はいなくなっていたのである。なんだか宮本輝の『春の夢』のラストを思い出した(笑)

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Monday, April 05, 2021

NHK『星とレモンの部屋』

【4月5日 記】 NHK から録画しておいたドラマ『星とレモンの部屋』を観た。

どこからどんな情報を得てこれを録画しようと決めたのか、実はもう全く憶えていないのだが、放送から2週間以上経って観てみたら、これがあまりに面白くて、あまりによくできていて、慌ててネットで調べてみた。

この作品は日本放送作家協会主催の第44回創作テレビドラマ大賞に選出された佃良太による脚本を、NHK がテレビドラマ化したものだった。

佃良太という人がどういう経歴の持ち主なのかは分からないが、写真を見る限りはまだ若い人で、「シナリオ・センター」の8週間講座終了生だそうだ。映像化されるのはこのドラマが初めてなのだろう。

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Sunday, April 04, 2021

映画『ノマドランド』

【4月4日 記】 映画『ノマドランド』を観てきた。

ドキュメンタリみたいな映画だ。いや、新奇な情報が多いから、ついついドキュメンタリ的な見方をしてしまうのだ。

いやいや、これは本当にドキュメンタリみたいな映画でもあるのだ。主演のフランシス・マクドーマンドとデビッド・ストラザーン以外は全員本物のノマドで、彼らには台詞ではなく自分の言葉で自分のことを語らせ、それを映画的に構成したと言う。

それにしてもあまりにアメリカ的な映画だ。アメリカ的な新奇な情報に溢れた映画だ。一緒に見に行った妻が、「会社が潰れて社宅を追い出されたって、すぐにノマドになれるのは日本では清水国明ぐらいのもんでしょ」と笑っていたが、言いたいことは解る。

あまりにも広大な土地がある。まさに荒涼とした、バイソンしか歩いていないような道を改造バンで走る。何の物陰もないところで女性がパンツを下ろしておしっこをしても誰にも見つからない。

日本では車を駐めるところがまずないだろう。ものすごい山の中なら駐められるだろうが、ものすごい山の中では暮して行けない。

従業員が駐車場に車を駐めっぱなしにして、しかもそこで寝起きすることを許す会社が日本にあるだろうか?

年取ってから旅に出る人がどれだけいるだろうか? 自分で車を改造する高齢者がどれだけいるだろうか? 旅先で出会ったノマドに「やあ」と声をかけて気軽にタバコを恵んでもらったりできる人がどれだけいるだろうか?

みんないろんなきっかけから、多くは悲しい体験のあとにノマドの生活に入っているのだが、この放浪生活を、彼らは「アメリカの伝統」だと胸を張って言うのである。

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Saturday, April 03, 2021

映画『僕が跳びはねる理由』

【4月3日 記】 映画『僕が跳びはねる理由』を観てきた。自閉症を扱ったドキュメンタリだ。仕事上の関心もあって観たいと言う妻に僕がつきあったのではあるが、ものすごく興味深く観た。

発達障害のひとつとされる自閉症スペクトラム障害(ASD)だが、日本語にすると「発達」とか「自閉」とかいう言葉が間違ったイメージを呼び起こしてしまう。一般的に disorder を「障害(障碍)」と訳してしまっているのも如何なものかと思う。

ちなみに自閉症に当たる英語は austism(これが ASD の A だ。形容詞は autistic)で、この映画の中でも何度も耳にする単語である。

この映画は、自閉症者の東田直樹が 13歳の時に書いたエッセイ『自閉症の僕が跳びはねる理由』を、自ら自閉症の息子を持つ英国のベストセラー作家デイヴィッド・ミッチェルとその妻ケイコ・ヨシダが英訳した The Reason I Jump が元になっている。

これを映画化したのは、この映画にも出演している自閉症者ジョスの両親であるジェレミー・ディアとスティーヴィー・リーである。

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Friday, April 02, 2021

天気

【4月2日 記】  所謂「10年日記」の類(僕が今使っているのは「100年日記」だが)をつけるようになって、毎日の天気を記録するようになった。

人生で最初に天気を記録したのは、多分小学生時代の夏休みの宿題の絵日記か何かだったと思う。当時は天気予報の表記に倣って「晴れのち曇り」とか「曇り時々雨」とか書いていたように思うが、大人になっていざ天気を記録しようとすると、それほど生易しいものではないことに気づいた。

何しろ一日24時間もあるのだ。その間中天気は決して一定ではないのだ。もちろん一日中快晴とか朝から晩までずっと雨の日もあるにはあるが、そんな日は明らかに少数派である。

「晴れのち曇りのち晴れのち曇りのち晴れ」であれば「晴れ時々曇り」と言い換えることもできるかもしれないが、実際には「曇りのち晴れのち曇り一時雨で夜には少し晴れ間も出てきた」だったりするわけで、天気予報のように2要素以内で述べ切ることは至難の業だ。

そう考えると、天気を予報している人たちは何といい加減な仕事をしてるんだろう、という気にもなってくる(まあ、もちろん、そんなに細かく天気を言い当てることは無理なのではあるが)。

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