『決壊』平野啓一郎(書評)
【3月24日 記】 デビュー以来しばらく敬遠していた平野啓一郎を、読んでみたら意外に面白かったので、ここ数年、少しずつ読み始めている。作品によって随分と振り幅のある作家だということが分かってきた。
これは上巻/下巻に跨る大著である。それにしても、読み始めはこの話がどんなところをどっちに向いて走って行くのか全く見えない。僕のように予備知識なく読み始めていると、どんなジャンルの小説なのかさえ分からない。
冒頭は沢野良介が法事のために、妻と幼い息子を連れて郷里の福岡に帰るところから始まる。
その新幹線の中で良介は何か違和感を感じるのだが、この違和感が何だったのか、多くの読者はどこかで種明かしがあると思って読み進むのだが、いつまで経ってもそれは解き明かされない。
むしろそれは読者が自分の頭で考えなければならないものを突きつけられているのだと、後になって気づくしかないのである。
しばらくすると、今度は良介の兄の崇の記述が始まる。崇は小さい頃から勉強ができスポーツも得意な、クラスの中心的な人物であり、やがて東大に進み、公務員になり、国会図書館に務めている。
結婚はしていないが、女性にもて、ステディに肉体関係を結んでいる女性が何人かいる。
この優秀な兄と、兄を愛する一方でコンプレックスを抱いている弟の話かと思って読み進んで行くと、あるところから、今度は学校で暗いからといじめに遭っている中学生・北崎友哉の話になる。
この3つがどう繋がるのかが分からない。
作家の文章は先を急がない。なんとなく重苦しい、と言うか、今はそうでもないのだけれどどこかで不吉なことが起こるのではないかというような気にさせる、とぐろを巻いた蛇のような描写が続く。
ちなみに、こういう風に遅い進行をして行く小説が、僕は嫌いではない。だが、上巻を読んでいる間は、この話は一体どこに向かっているのだろうと、ややもどかしい感じにもなってくる。
そして、この3つの筋が禍々しい事件の形をとって交わってくる。凄惨な殺人事件である。しかも、それは強盗の成り行きでもなく、怨恨の果てでもなく、相手は誰でも良かった無差別殺人であり、所謂サイコパス的な人物がからんでくる。
そして、悲劇的な事件をきっかけに、人間の思いの行き違いが、他人への不寛容の形をとって、そこかしこで爆発的に噴き出してくる。
読んでいてフィジカルにもメンタルにも痛みを感じる。とてもしんどい小説だ。気分が塞いでくる。
沢野崇は、そんな中にあって、ぎりぎりまでどんな逆境にも屈せず、思索的で、あくまで冷静できわめてロジカルである。そういう彼に反感を抱いてしまう人は少なからずいるのだろう。だが、僕はこういう冷静でロジカルな人間に強い好感を覚える。
それだけに読んでいるとどんどんしんどくなる。崇が受ける仕打ちが読者である自分にものしかかってくる。そして崇と同じように、これを理屈で乗り越えようとして、彼の思索を自分の中で反芻して、僕らの論理も決壊し、ますますしんどくなってっくる。
これはそういう痛々しい小説である。
そんな中に時々多くのページ数を割いて織り込まれている難解な国際政治論や芸術論の議論が、一見小説には不必要なものに思われるが、この部分があるからこそ、崇の苦悩が見えてくる。
暗澹たる気分に陥る。でも、人はたまにこういうものを読んで、考える時間を作るべきなのかもしれない。
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