映画『あのこは貴族』
【3月13日 記】 映画『あのこは貴族』を観てきた。ノーマークの映画だったのだが、周囲の評判がかなり良かったので。で、実際観てみて、あまりの出来の良さに驚いた。
どこがどうなのだと言われると困るのだが、岨手由貴子監督の頭の中にはしっかりと映画文法が詰まっている感じがした。卓越した感性も、しっかりとした表現力と技法の上に乗っからないと伝わらないだろう。
山内マリコの小説が映画化されるのは、『アズミ・ハルコは行方不明』(2016年、松居大悟監督)、『ここは退屈迎えに来て』(2018年、廣木隆一監督)に続く3本目。僕は彼女の小説を読んだことはないが、映画は2本とも観ていて、どちらもとても良かった。
冒頭は 2016年(だったかな?)の元日、タクシーの中の榛原華子(門脇麦)。家族で会食する都内のホテル(あの扉は椿山荘かな?)に向かっている。浮かない顔をしているのは、今日家族に紹介するはずだった婚約者と今日別れてしまったから。
華子はどうやらとても「ええとこの子」、ハイソサエティな感じ、深窓の令嬢と呼ぶべき金満家の娘。後のシーンで家は松濤にあることが分かる。田園調布なんかじゃない。松濤である。そしてお買い物は日本橋である。
榛原家は医者一族。開業医の父(佐戸井けん太)と母、長姉の香津子(石橋けい)と次姉の麻友子(篠原ゆき子)、香津子の夫(山中崇)と子連れで出戻った麻友子の息子、そして祖母の京子(銀粉蝶)がホテルの一室に集って高そうな料理を食べている。
この場面での会話劇が、脚本が良いのか演出が良いのか、とにかくリアリティがあってそれぞれの人物の特徴も際立って素晴らしいのである。のっけから引き込まれてしまった。
その席で、「別れたのであれば、医者と見合いをしないか」という話になるのだが、華子はそれに全く抵抗することもなく受け入れる。
で、後日見合いをした医者が、これがなんともイケてない。キョドってるというやつだ。
その後、結婚を焦った華子がいろんなところで会う男性たちが、これまたさまざまなタイプなのだがいずれも見事にイケてない。彼らは全て後に登場する弁護士・青木幸一郎(高良健吾)の引き立て役として機能している。
幸一郎の家は政治家一家である。慶応幼稚舎から慶応大学、大学院は東大。叔父は代議士。榛原家よりもさらに1ランク上の、由緒正しき大金持ちである。
華子は幸一郎に一目惚れして、幸一郎も自分の妻にふさわしい女性として彼女を受け入れ、ほどなく2人は婚約する。
この話が1本の筋。もう1本は、華子と対象的に、富山の田舎から猛勉強して慶応大学に合格した時岡美紀(水原希子)の話。父親の再就職が決まらず、家計が苦しくなって、結局彼女は退学してキャバクラで働き始める。
そして、ある日同学年だった幸一郎と再会して、関係を持つようになる。華子が美紀の存在を知るのは、華子が幸一郎にプロポーズされた日に、置きっぱなしになっていた幸一郎のスマホに届いた「私の充電器持って行ってない?」という美紀からの LINE だった。
ひょんなことから接点があってこの2人を引き合わせたのは、華子の学生時代からの親友でバイオリニストの相良逸子(石橋静河)。逸子は美紀に単刀直入に「青木幸一郎さんは婚約しているのをご存知ですか?」と言って華子を紹介する。
しかし、そこで修羅場になるわけではない。作者は逸子に語らせている。「日本って女を分断する価値観が普通にまかり通ってるじゃないですか。(中略)私、そういうのイヤなんです」。華子は取り乱すこともなく、美紀に「お雛様展」のチケットをプレゼントする。
──これがこの映画のテーマであり、メッセージなのだ。
美紀が親友の里英(山下リオ)と2人乗りの自転車で内幸町から美紀の自宅(東京タワーが見えるマンションだ)まで走るシーンがとても美しい。
それを踏まえたかのような形で、その後別の自転車の2人乗りのシーンが出てくる。今度は乗っているのは見知らぬ2人の若い女性で、橋を渡っている華子が1つ向こうの端を逆方向に走っている2人を見ていたら、彼女たちが手を振ってくる。これも素敵なシーン。
どのシーンも、東京の町がきれいに切り取られている。撮影は『寝ても覚めても』の佐々木靖之。
見ている途中で、門脇麦と水原希子の配役を逆にする手もあったかなと思ったのだが、すぐに、いや、この配役でないとこの味は出ないだろうと思い直した。
田舎から出てきた娘のほうが一生懸命都会的になろうとするのだ(もちろん失敗する娘たちもたくさんいるのだが)。その一方で松濤のお嬢様は決してそんなことは意識していない。ただ、小さい頃から身についている上品さを体現しているだけなのだ。
その一方で、ジャムを指で舐めながら話す華子(一回舐めた指をまた瓶に入れていたので、あれは間違いなくカビが生えると思う)や、テーブルの装飾品のマカロンをつまみ食いする逸子などにも逆にリアリティがある。
終わり間近のところで、時間と場面が大きく飛ばされ、新たな展開になる。分かりにくいと言えば分かりにくいのだが、この省略がとても気持ちが良い。巧いなあと思った。素晴らしいなあと思った。
とても素敵な映画だった。
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