朝の通勤時間に新聞を読まなくなった理由
昔は、朝起きてまず新聞を読んだ。新聞でニュースを拾いニュースを知った。家で読み切れなければ通勤途上で読んだ。僕の場合は家で一般紙を読み、駅売りの日経新聞を車中で読んだ。
新聞以外だと朝のテレビだった。だが、そこを過ぎてしまうと、昼休みのテレビ、夕刊、夜のテレビ──以上が全てだった。夜のテレビなどと言っても、夜の間ずっとテレビはニュースを流しているわけではない。
そんなふうにニュースに接する機会が限られていたから、皆一生懸命出勤前に、あるいは出勤途上で新聞を読み耽ったのだと思う。
それが今ではスマホで、ソーシャル・ネットワークで、新しいニュースがぴゅんぴゅん飛んでくる。そして、ここが肝心なのだが、ちょっと古いニュースも読めるのである。
テレビは常に最新のニュースを伝えようとするので、我々は今の状況以外はあまり分からない。もちろん大事件・大事故・大災害などの報道特番では振り返り映像が繰り返し流れるが、それほど大きな事件でない場合は発端や少し前の状況などが分からない。
でも、今ならネット上を検索すれば、そもそのその事件がどういう経緯で起きたのか、3時間前にはどういう状況だったのか、といったことが読めるのである。
テレビとは逆に新聞は、新聞が刷られた後で起きたことは暫くの間何も伝えようがなかった。我々はそれをテレビで補った。だが、テレビがゴールデンタイムに長い時間ニュースを流すのはよほど大きな事件事故の場合のみである。
それが今は、大きな事件も、中くらいの話題も、ネット上にごろごろ転がっていて、それがぴゅんぴゅん飛んでくる。
だから、我々は必死で新聞を読む必要がなくなったのだと思う。
通勤途上で Kindle で小説を読みながら、ふとそんなことに気づいた。
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