映画『すばらしき世界』
【2月12日 記】 映画『すばらしき世界』を観てきた。西川朝子P、西川美和監督・脚本。そうか、西川朝子氏は今はバンダイナムコアーツにいるのか。それで製作委員会に同社が名前を連ねている(トップの位置に表記してあるので、多分幹事社なのだろう)。
すごい映画だった。冒頭は旭川刑務所。殺人罪で服役しており、もうすぐ出所できる三上(役所広司)。反省しているかと訊かれて素直に反省しているとは答えない。
出所してとりあえずは東京の身元引受人である庄司弁護士夫婦(橋爪功、梶芽衣子)の家に居候する。やがて三上はアパートを借り、庄司の勧めでまことに不本意ながら生活保護を受け、仕事を探し始めるが、おいそれと仕事はない。
そんな三上を取材しようとフリーのディレクターの津乃田(中野太賀)がやってくる。そそのかすように彼をその仕事につけたのは津乃田の元勤務していた局のプロデューサー・吉澤(長澤まさみ)である。
一方で、周りは三上を蔑み排除する人間ばかりかと言えばそうではない。庄司夫妻もそうだし、時として三上にきびしいことを言いながらいろいろと骨を折ってくれるケースワーカーの井口(北村有起哉)や近所のスーパーの店長・松本(六角精児)もいる。
が、短気で一本気な三上の性格も災いして、簡単に堅気の世界には馴染めない。
刑務所から出てきた殺人犯の話となれば、観ているほうは当然次の劇的な展開を期待する。例えば真人間になって真面目に暮らし始めたらみんなが受け入れてくれた、とか、逆に昔の癖が抜けずについつい暴力に走ってしまいまた堕ちるところまで堕ちてしまった、とか。
でも、この映画ではその何かが却々起こらないのである。真面目にやろうとは思う。でも、運転免許も失効しているし、前科者を雇う会社もない。かと言って、まだ昔のヤクザ仲間には連絡を取っていない。その何も起こらないところが三上にとっては耐えられないくらい辛いことなのだ。
その一方で、最初はおっかなびっくりだった津乃田が次第にある意味三上に惹かれて行く様が、観客を映画に引き込んで行く。
笠松則通のカメラワークがまた怖い。
- 冒頭の刑務所内の廊下を歩く三上と看守のピリピリした感じ。腕を大きく振って歩く三上の異様さ(これは教習所のシーンにもあった)。
- 津乃田がポータブルカメラで撮影した、三上に寄り過ぎたアップ。
- もっともらしいテレビ論を述べる吉澤を、向かいに座っている後ろ姿の三上と津乃田の間から撮り、ゆっくりゆっくり寄って行くところ。
- 三上がチンピラにカツを入れて、人のいないところに連れて行ったときの引きの構図(これはアパートの下階と焼肉屋の帰りの2シーンある)。
- 川岸で倒れた吉澤が立ち上がった津乃田にカメラを投げつけて罵倒するシーンでの、津乃田の視線のカメラ。
- そして、ラストの、三上のアパートの部屋から津乃田や井口や松本が出てきて、廊下を歩き、階段を降り、そこに庄司も続き、アパート前にへたり込んで青空を見上げるのに合わせてカメラがパンナップするまでの長回し。
一つひとつの画作りがきわめて印象的だ。
三上の就職が決まったときに、庄司夫妻も井口もみんなが口を揃えて「腹が立っても怒るな、受け流せ。みんなそうして生きている。生真面目すぎるのだ。辛抱しろ。逃げろ」と言う。
それは三上のような人間に言うには極めて適切なアドバイスではあるのだが、延々彼らの物言いを聞いていると、果たして生きるってそういうことで良いのかなと悲しくなってくる。
三上は言われたとおりに、必死で怒りと衝動を抑えて真面目に生きようとする。でも、果たして生きるってそういうことなのか? 本当にそれで良いのか? 我々のすばらしき世界はそういう世界なのか?
そんなことを考えさせてくれる、痛々しい映画だった。
主演の役所広司を含め、仲野太賀、北村有起哉、キムラ緑子ら、いつか西川美和監督の映画に出たいと思っていた出演者が多く集っている。この映画を見ればその理由が分かる。
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