『ある男』平野啓一郎(書評)
【1月17日 記】 前にも書いたが、僕は平野啓一郎に関しては、彼が京大在学中に書いて芥川賞を獲った『日蝕』を読み、そのあまりにペダンティックな文体に辟易して、以来一切読まなかった。
ところが、2018年に『ドーン』を読んで、あまりの面白さに驚いたのと、僕が20年近く平野啓一郎に対して勝手に抱いてきたイメージとのギャップの大きさにもう一度驚いたのである。
そこにはもはや、ちょっと鼻につく文学青年はいなかった。何と言うか、もう“うだうだ書いている”感じがまるでなかったのである。
それで機会があったら他の作品も読んでみようと思っていたのだが、次の作品を選ぶのに2年半以上もかかってしまった(笑)
さて、今回はまた違っていた。『ドーン』のような、近未来SF的な舞台仕立てはない。現代の日本で生きる弁護士の話だ。
冒頭は少しややこしい作りにしていて、小説家である書き手がとあるバーである男と会う。男がそこで自分の結構辛かった過去について語るのを小説家は親身になって聞く。
でも、小説家が彼について書こうと思ったのはその話を聞いたからではなく、その後彼が、実は今の話は全部嘘で、本当は自分は弁護士なのだが、他人になりすまして話をしていたと告白したことが発端だった。
さて、小説ではまずその弁護士の話が始まるのかと思ったら、今度は宮崎で夫の大祐と死に別れた谷口里枝の話になる。彼女にとっては2度目の夫。そして、彼女にとっては3度目の家族の死──父親、前夫との間に生まれた息子、そして再婚した夫。
里枝は幼くして息子を亡くしたのをきっかけに前夫との間がうまく行かなくなり、離婚して長男を引き取って実家の宮崎に帰り、家業の文房具店で働いていた。そして、店にスケッチブックを買いに来た谷口大祐と出会う。
彼はどこからかこの地に流れてきて、今は林業に従事している。
多くを語らず、巧くはないが実直そうな絵を描いている大祐に好意を抱き始めていた里枝は、ある日大祐から「友だちになってほしい」と言われ、そこから二人の交際が始まり、やがて結婚し、女の子が生まれたが、ある日突然、大祐は事故で死んでしまう。
大祐は自分の親兄弟を憎んでおり生前は一切連絡を取りたがらなかったが、さすがに肉親の訃報であるからと、里枝が大祐の兄の恭一に連絡を取ったところ、とんでもないことが判明した。谷口大祐と名乗っていた自分の夫は、実は谷口大祐とは全くの別人だったのだ。
そこから主人公の弁護士・城戸が登場する。彼は里枝の離婚調停を担当した経緯があって彼女から相談され、城戸も何かを感ずるところがあって、大した儲けにもならない謎解き/人探しに乗り出す。
が、これはサスペンス小説ではない。つまり、じゃあ実際は彼は誰だったのかという謎を、読者を焦らせながら作家が解き明かして行くような小説ではないのだ。確かにそういう体裁にはなっているが、そういう小説ではないのだ。
元も子もないような雑なまとめ方をしてしまうと、そこで書かれているのは、「なぜ人は自分ではない他人になりたがるのか」というようなことだ。そして、終盤に著者がいみじくも書いているように、「一体、愛に過去は必要なのだろうか?」というようなことなのである。
主人公の城戸とその家族を中心に、数多くの登場人物を描きながら、話は広い範囲に亘っていろいろな分野に参照する。──ギリシャ神話、トルストイ、在日朝鮮・韓国人、死刑廃止論、芥川龍之介…。
この辺の広がりはあるいはデビュー当時の平野の衒学性に通じるものなのかもしれないが、もはや彼は「どう表現するか」に拘泥するのではなく「何を表現するか」に足場を見つけている気がする。
ものすごく重厚で重層的で、かつ、読めば読むほど緻密な構成の小説である。小説の細部の設定や描写が全て、底のほうで静かに繋がっているのである。この構築の力に僕は舌を巻いた。
読後感は極めて深い。今度は前のように時間を措かず、次の平野作品を読むことになると思う。
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