『みかづき』森絵都(書評)
【12月21日 記】 今年の9月に『風に舞いあがるビニールシート』で初めて森絵都を読んで、面白かったし巧い作家だと思ったので、2冊めに選んだのがこの本だ。
割合新しいもので、短編集ではなく、かつ Kindle化されていることを条件に適当に選んだので、迂闊にも中身についてはあまり知らなかった。
読み始めて驚いた、と言うか、読み進むに従ってさらに驚いたのだが、この小説はどこまでも教育を描き、教育論を語っている。この作家はこんなにも教育に興味のある人だったのか?という素直な驚き。『風に舞いあがるビニールシート』からは想像できなかった。
そして、さらに読み進むうちに気になったのは、この作家は一体今何歳だっけ?ということ。物語は戦後それほど時間が経っていない頃から家族4代に亘って書き綴られている。彼女が実際に生きて経験した時代はどこからなのだろう?
調べてみたら、1968年生まれの 52歳。つまり、この言わばサーガの最初の部分は、彼女の記憶によらず、いろんなことを調べて取材して書かれたものなのである。
最後まで読んで参考文献リストを見るにつけ、この作家がこの小説を書くに際して、どれだけの文献に当たり、どれだけの人と会って話したのかが想像がついた。
物語の最初に主人公っぽく登場するのは、大島吾郎という小学校の用務員。
この彼が、文部省の教育方針に敵意を抱くシングルマザー・赤坂千明と、その娘で小学生の蕗子、そして千明の母の頼子という3人の女たちに見込まれ、取り込まれて千明の夫となり、その頃はまだ数少なかった塾の共同経営者になるところから物語は始まる。
そして、ふたりの間にはさらに2人の娘・蘭と菜々美が誕生する。
幾分女にだらしない吾郎の性分と、教育観の違いから千明は段々吾郎を疎ましく思い始め、子どもたちのために離婚こそ避けたものの、家と塾から吾郎を追い出してしまう。
血は繋がっていないが吾郎を慕っている長女・蕗子は母に反目して小学校の教師となり、やがて家を出る。母に似て向こう意気の強い次女の蘭は、なんだかんだありながらも千明の塾を手伝うようになるが、やはり最後は家を出る。
そして、三女の菜々美は、家を出た父・吾郎を慕い、海外留学を果たす。
最後は蕗子の息子・一郎が主人公である。彼は自分の母や祖母とは違う形で、やはり子どもたちの教育を生涯の仕事としようとしていた。3人の女たちに取り込まれた吾郎が3人の娘に恵まれ、孫の一郎がその3人(母と叔母2人)に背中を押されて歩むという仕掛けが面白い。
この間、テーマは一貫して教育であり、物語が展開するのは塾を中心とする教育界であるのだが、しかし、これだけ多くの登場人物を並べて、作家が描こうとしているのはやはり人間なのである。
一人ひとりの人間の描写の積み重ねが、教育の抱える問題と、あるべき道の難しさを炙り出しているのである。
だからこそ、この小説は決して教科書臭い小説にはならずに、生きる人間のドラマになっている。教育について論じたいのであれば論文を書けば良い。作家が描くのはあくまで人間であるべきなのだ。
ただ、この小説は上にも書いたように4代にも亘る壮大な構成である。あまりに長いスパンを凝縮して1冊の本で描こうとするために、人物や状況の描写はあまり深くない。描写が薄いと言うより軽いのだ。
もしこの小説が、第9部まで来てまだ終わらない五木寛之の『青春の門』みたいな超大作になったなら、もっともっと重厚で読み応えのあるものになっただろうと思う。もちろん、そうなっていたら、僕は読まなかったと思うが(笑)
このスピード感が読者をドライブする感じがあるのも確かなのだ。最後の一文のなんと意味深く清々しいことか。
さあ、もう一冊読むか。次はどの森絵都を選べば良いのだろう。
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