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Friday, December 25, 2020

なかにし礼という巨木

【12月25日 記】 なかにし礼が亡くなった。特に好きな作詞家ではなかったが、改めて作品集を並べてみると、いい歌をたくさん残しているのに驚く。

いろんな音楽関係者が亡くなるたびに、ある種追悼の意味も込めていろんな文章を書いてきたので、今回もここに一編の文章を加えたいと思う。

「なかにし礼の代表作は何か?」と言われると、例えば阿久悠とか千家和也とか岩谷時子とか安井かずみみたいに、たちどころに何曲かが頭に浮かぶということはない(あくまで僕の場合だが)。

でも、それは代表曲がないのではない。ありすぎるのだ。そして、ものすごくバラエティに富んでいる。これが作詞家なかにし礼をひとつの作品に縛りつけてしまわない原因だと思う。

GS ではザ・テンプターズの『エメラルドの伝説』やザ・タイガースの『美しき愛の掟』、ひとり GS風のものとしては、黛ジュンの『恋のハレルヤ』や『天使の誘惑』、『夕月』など。

ムード歌謡っぽいところではロス・インディオスの『知りすぎたのね』、鶴岡雅義と東京ロマンチカの『君は心の妻だから』。

演歌では細川たかしの『北酒場』、北島三郎の『まつり』。

ザ・歌謡曲という感じのものではいしだあゆみの『あなたならどうする』や奥村チヨの『恋の奴隷』、小柳ルミ子の『京のにわか雨』、アイドル系では岩崎良美の『赤と黒』、キャンディーズの『哀愁のシンフォニー』、西城秀樹の『BLUE SKY』や TOKIO の『AMBITIOUS JAPAN』。

和製ポップス風のものにはとりわけ秀作が多く、ザ・ピーナッツ『恋のフーガ』、菅原洋一の『知りたくないの』、島倉千代子の『愛のさざなみ』、弘田三枝子の『人形の家』、朝丘雪路の『雨がやんだら』、坂本スミ子の『夜が明けて』、由紀さおりの『手紙』、アン・ルイスの『グッバイ・マイ・ラブ』。

さらに補作詞という形で、森進一の『港町ブルース』やザ・タイガースの『花の首飾り』、黛ジュンの『雲にのりたい』などがある。

訳詞/日本語詞としては、中にはギルバート・オサリバンの Alone Again (Naturally) を訳した九重佑三子の『また一人』みたいにベタベタにしちゃった(笑)ものもあるが、ペドロ&カプリシャスの『別れの朝』やハイ・ファイ・セットの『フィーリング』など、目を瞠るような労作も多い。

それ以外にもザ・ドリフターズの数々のレパートリーを担い、さらに前述の『知りすぎたのね』や黒沢年男の『時には娼婦のように』では作曲も手掛け、ともに大ヒットさせており、それらに加えて小説家として直木賞も受賞している。

やっぱり歌謡界の巨星である。いや、巨木と言ったほうがイメージ的には近いのかもしれない。深く根を張った、幹の太い、枝ぶりの大きな巨木である。

こうやって並べてみると、僕にとってとりわけ印象が強いのは『あなたならどうする』、『人形の家』、『フィーリング』辺りかな。

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