映画『私をくいとめて』
【12月20日 記】 映画『私をくいとめて』を観てきた。
僕は大九明子監督がまだあまり売れていなかった頃から彼女の作品を観てきたが、そんな彼女が大ブレイクしたのが 2017年の『勝手にふるえてろ』であった。今作はあの時と同じ綿矢りさ原作だ(僕は彼女の小説は4冊読んでいるが、これは読んでいない)。
大九監督と綿矢りさはよほど相性が良いのだろう。綿矢ワールドの真髄をしっかり読み切って、今作も素晴らしい、前作を凌ぐ良い映画になっていた。なんか、監督と作品を祝福したいような晴れやかな気分である。
最初は“お一人様”に慣れすぎてしまったOL・みつ子(のん)が、取引先の営業マンであり偶然近所に住んでいた多田くん(林遣都)と出会い、恋をする物語かと思ったのだが、そんな一面的な話ではなかった。
もちろん前半で2人のなれそめを描いたので、それを回収するためもあって、最後はこの2人の話に戻っては来るが、この映画が描いているのはもっと深い、例えば他人と関わり合いながらどうやって生きていくか、みたいな問題なのである。
みつ子は自分の心の声に A (Answer の A)と名付け、いつも A と会話している。A の声は男性だ。最初に聞いた瞬間から、この特徴ある声質と喋り方は中村倫也だと分かる。最後のほうで、それまで声だけだった A が姿を表すシーンがあるのだが、これがまた驚かせてくれる(笑)
冒頭は多田くんがみつ子の家に夕飯をもらいに来るシーン。不思議な設定だ。映画の中では托鉢僧に喩えられている。30代で年上ということもあって気後れしているみつ子だが、A にズバリ「あなたは多田くんが好きなのだ」と言い当てられる。
それくらいのことは観客もすぐに察するのだが、一方、多田くんが無邪気に飯を食いたいだけなのか、それとも少しはみつ子に気があるのかが見えない。この辺は林遣都が本当に巧い。実年齢ではのんより上なのだが、絶妙な“年下感”を醸し出して煙に巻いてくれる。
でも、そこからみつ子が一人旅で温泉に行ったり、大の苦手の飛行機に乗って、学生時代の親友で結婚してローマにいる皐月(橋本愛)を訪ねる話などが入ってきて、多田くんの話はちょっと脇に置かれる。
温泉宿で男性の酔客の醜態に怒り、でも結局何もできなかった自分の不甲斐なさに涙を流すみつ子。ローマの家で話しているうちにお互いにうっすら涙を浮かべてしまうみつ子と皐月。この辺りの涙の意味、エピソードの意味、そしてそれが描かれる深みが何とも言えない。
職場でのかつての嫌な先輩や、セクハラ上司や、ちょっと好きだった中年の歯医者の話などが芋づる式に思い出されてきて取り乱すみつ子。飛行機が怖くて取り乱すみつ子。恋をして、また人と関わるのが怖くて取り乱すみつ子。
でも、それをやさしく受け止める A がいて、そして A に代わる人物が現れるのであれば A の役割も終りとなる。人間の弱さに対する温かみが溢れた、とても後味の良い作品だった。
いつものように足許や手先のアップが随所にある。大九監督ならではの言わば body language である。そして、片桐はいり、臼田あさ美、前野朋哉ら大九監督ゆかりの役者が脇を固め、良い芝居を見せてくれている。
それだけではなくて、洗濯機や雨や波といったさまざまな水の音や、下階に住む不可思議なホーミー男や、妊娠している皐月の姿に驚くみつ子(その背景の設定が脳裏に浮かんでくる)とか、築地本願寺を通り過ぎるときに向き直って礼拝する片桐はいりとか、みつ子が多田くんに東京タワーの話をしたら突然ビルの隙間から東京タワーが見えるとか、あちこちにニュアンスたっぷりのちょっとした設定や仕掛けがある。
これもここんとこの大九ワールドだ。
何と言うか、描かれている世界の言葉で言い表せない加減がめちゃくちゃリアルである。でも、なんか分かるのである。
監督や役者さんの思いがいっぱい詰まった、肌理の細かい編み物みたいな映像から我々観客が何を読み取れるのか、ひとりひとりの観客が試されてる、いや、作者/演者 vs. 観客で感性を競い合ってるみたいな、めちゃくちゃ exciting な映像体験だった。
最後に書いておくと、のんはやっぱりカリスマ的な女優である。ちなみに今回の役の設定は 31歳、実年齢は 27歳である。
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