『少年と犬』馳星周(書評)
【11月24日 記】 芥川賞/直木賞は元々は新人の登竜門であったはずだが、ここ何十年も「え?そんな人が今ごろ?」という人が受賞する賞になってしまった。馳星周もデビューは1996年、『不夜城』ですでにその年の直木賞候補になり、ベストセラーになったので名前は知っていた。
それからいくつか他の文学賞ももらって、今回漸くこの作品で7度目のノミネートを経て直木賞を受賞した。
僕は多分読むのは初めてなのだが、もっとハードボイルドっぽい、暗黒社会を書く作家だと思い込んでいたので、あまりの素直な作品に拍子抜けしてしまった。
タイトルの通り、犬と少年の話である。1匹の犬を経糸にしたオムニバス形式の、ロードムービー的な作品である。
どうやら東日本大震災で飼い主を失ったらしいシェパードと日本犬の雑種犬が、いろいろな人間と関わりながら、東北から九州まで旅をする話である。
面白いのは、犬の名前が一定していないこと。
首輪に本来の名前が書いてあり、情報を記したチップも埋められているので、この犬の本名が「多聞」であることは明らかなのだが、素直にその名で呼ぶ人は少なく、皆自分勝手に名前を付けて呼ぶのだ。
いかにも人間がやりそうなことではないか。そういうところが、この小説の数少ない技っぽい部分である。
そして、よく人が死ぬ。これもこの作家が昔から書いてきた土台の上にある何かなのではないだろうか。
孤独の匂い、死の匂いを嗅ぎ分けたからではないかと弥一は思う。
と、最後から2番めの章である「老人と犬」の登場人物である弥一は言っているが、いや、この犬はそれほど不吉な存在では決してない。でも、こういう記述に僕は何故か、今まで読んだこともない馳星周を感じてしまうのである。
悲しい出来事はいくつかあるが、結局最後まで読むと、これはとても良い話である。人生に悲しい出来事が起きることは誰も止めることはできない。そんな中で精一杯良い話を拾い上げたような感がある。
最後まで読んで、「あ、そういうことだったのか!」と驚くような仕掛けはほとんどない。とても素直な小説で、むしろよくこういうものを書く気になったなあと驚くのである。
いや、決して貶しているのではない。とても良い話なのである。うん、犬が出てくると、却々悪い話にはなりにくいのかもしれない。
犬はことほどさように人間にとって頼みになる存在だということなのかなと、そんなことを考えながら Kindle の電源を落とした。
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