『JR上野公園口』柳美里(書評)
【11月14日 記】 柳美里の小説は随分昔に1冊だけ読んだように思うのだが、それが何だったか思い出せない。あるいは読んだような気がしているだけで実際は読まなかったのかもしれない。
上野恩賜公園で暮らしているホームレスの話で、どこまで読んでもこれは呪詛だった。
主人公は東北の生まれで、結婚してすぐに出稼ぎで東京に出て、以来、家には年に数回しか帰らない生活を続けていた。それでもそれは家族を養うための労働であって、決して辛いものではなかった。
ところが、息子が突然死んでしまい、妻も死んでしまい、彼は抜け殻のようになってしまい、再び東京に出て、いつの間にかホームレスになっていた。
そんな彼の生涯が、上で僕が書いたような整理された形ではなく、断片的に描かれている。話はあちこちに飛び、関心は次々に移り、今の話と昔の想い出が混濁する。
これを読んでいると、まるで小説ではなく、ホームレス本人が語った話をドキュメンタリとして読んでいるような気になってくる。
実際柳美里は彼らに何度も密着して取材したとのことで、だからまるでドキュメンタリみたいによく書けているということなのだが、それだけに彼らの饐えた匂いや、ちょっと酸っぱい残飯の味や、雨に濡れて体にまとわりつくボロ着の感覚まで伝わってくるような感じがある。
そして、そこには天皇制に対する暗然とした批判があり、国家権力に対する嫌悪感も底のほうに渦巻いているように読める。
いや、主人公はそんなことを思いもしないし、口にもしない。むしろ天皇陛下行幸の折りには、思わず「天皇陛下万歳」と叫んでしまうような人物なのである。
そして、そんな人物の、その人の良さが報われない感じが、如何にも呪詛なのである。
彼は言う:
死が、自分が死ぬのが怖いのではない。いつ終わるかわからない人生を行きていることが怖かった。
読み始めてすぐに察しが付くのだが、彼が今どういう状態なのかということを知ってから先は、なおさら読者の気分は重苦しくなる。息が詰まる。
さらに、最後には悲惨な東日本大震災の津波も描かれて、ますます呪詛の様相が強くなる。
でも、最後まで読むと、この作家が何をしたかったのかということはぼんやりと分かってくる。それは「単行本版 あとがき」に、作者が明確に書いているが、それをここに引用して、これから読む人に先に提示するのは好ましくないのでやめておく。
読むのはかなりしんどいけれど、作家の意図はしっかりと見える。だから、読後感が一途に悪くなったりはしないのだろう。
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