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Saturday, November 21, 2020

映画『おらおらでひとりいぐも』

【11月21日 記】 映画『おらおらでひとりいぐも』を観てきた。

そう言えば沖田修一監督は前作『モリのいる場所』も老人の話だったなあと思い出したのだが、今回についてはオファーを受けて起用されたとのことなので、必ずしも彼の問題意識がそういうところに向かっているということでもなさそうだ。

冒頭にいきなり地球の歴史みたいなCGアニメが出てきて、なんじゃこれは!と思ったのだが、これは主人公の日高桃子(田中裕子)が日々図書館に通って我流で研究しているテーマであり、言わば桃子の脳内の話でもあるのだが、もっと言えば、この映画全体が桃子の脳内の話であるとも言える。

原作は若竹千佐子による一昨年の芥川賞受賞作だ。

桃子(75歳)は夫とは死別、2人の子どもたちも独立して、今は一人暮らし。彼女がやることは、寝て起きて食べる以外では、腰に湿布を貼るのと、図書館に行くのと、医者に通うことぐらいである。

彼女が夜、ひとりで座っていると突然自分と同じチョッキを着た3人の男たち(濱田岳、青木崇高、宮藤官九郎)が現れる。3人とも口を揃えて「おらだばおめだ」と言う。つまり、この3人は桃子の分身なのである。

桃子の分身なのに全員男だし、しかも3人もいる。3人もいるのはきっと寂しいからだ。

原作ではこの分身は“柔毛突起”として描かれていたらしい(僕は読んでいないので詳細は分からない)が、それを擬人化して、さらに分割したのは監督のアイデアらしい。

このアイデアが映画全編を通じて見事に効いている。

この3人と口を利くときの桃子は田中裕子ではなく、彼女の若い時を演じた蒼井優の声である。そして、回想シーンで桃子の夫を演じているのが東出昌大だ。

さして大事件が起こるストーリーではない。ただ、人が老いて振り返ったときに現れるのは決して「概ね幸せな人生だった」というような単純なものではなく、そこにはものすごく細かい単位で後悔も羞恥も怒りもある。

桃子は親の言いなりにならない新しい時代の女を自認して岩手の実家を飛び出して東京に出てくる。そして、同じ岩手出身の周造と出会い結婚するが、結局その後は古い時代の主婦像を辿ってしまったという痛恨の思いが突然沸き起こってきて、自分の妄想の中で「大事なのは愛ではなくて自由だ!」と叫んだりする。

3人の分身たちはその都度桃子の周りに現れ、彼女を見守ったり、覗き見したり、茶化したり、諭したりする。

変化のない桃子の生活だが、たまに自動車リースのセールスマン(岡山天音)や、息子の同級生で今はお巡りさんになっているトヨ(黒田大輔)がやってきたり、近所に住んでいる娘(田畑智子)が孫を連れてやってきたりもする一方で、オレオレ詐欺の電話がかかったりするなど、良いことばかりではない。

図書館の澤田さん(鷲尾真知子)にどんな誘いを受けてもやってみようという気にもならない。脳内にいろんな声が聞こえ、いろんな過去が甦り、ひょっとして認知症の始まりではないかと不安にもなる。

そんなある日、彼女は弁当を作って、遠い山道を歩き、亡き夫の墓参りに行く。言わばこのシーンがクライマックスである。そういう静かな映画なのである。

3人の男たちが突然ジャズを演奏し始め、それに合わせて桃子が踊るシーン、3人の男たちや自分の祖母に後ろから囃し立てられて山道を歩くシーン、桃子が返却した書籍を澤田さんが必ず興味なさそうにパラパラとページを捲るシーン、雪が積もった道を病院に向かって歩く桃子の足音だけがザクッ、ザクッと響くシーン、そして突然現れたマンモスのシーンなど、印象に残る画が多い。

多分意図的にひとつひとつのカットを長くして(あまりカットを割らずに撮るというのがひとつ、カット変わりするまでの間を長めに取るというのがもうひとつ)、ゆっくり流れる時間の長さを表現していたのだと思う。

前述の雪道を病院に向かうシーンとか、ラストの桃子と孫娘の2ショットなどの、画面のサイズ感と言うか、カメラの引き具合がものすごく適切な感じがした。撮影は近藤龍人だ。

そこで描かれているのは言わば「寂寥」なのだが、監督が作詞してハナレグミが歌っているエンディング・テーマにある「寂しさで賑やか」というフレーズが言い得て妙である。

田中裕子は前作『ひとよ』のような壮絶感はなく、従って今作では“怪優”という感じでもないのだが、やっぱりべらぼうに巧い役者である。田中裕子なしにはこの作品は成立しなかっただろう。とても良い映画だった。

しかし、明かりが点いて客席から出口に向かう間に別々のグループの3人の観客の声が僕の耳に届いてしまった──「しんどかった」「難しかった」「意味わかんねえ」と。日本人の読解力と言うか感性と言うかは、いつの間にこんな風になってしまったのだろう。

そういうわけだから、この映画は何の賞も獲らないで終わるのかな、とも思う。賞を獲って不思議のない作品なのだが。

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