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Tuesday, November 03, 2020

『青春の門 漂流編』五木寛之(書評)

【11月3日 記】 映画『スターウォーズ』が全9部作であると知ったときに、果たして自分は最後の作品が完成するまで生きていてそれらを全部見届けることができるのだろうかと大いに心配した。

幸いにしてそれは達成した。しかし、奇しくも同じ第9部である『青春の門 漂流編』は、今回も終わらなかった。

終わらないだろうということは今作を読み始めてすぐに分かった。こんな壮大な話がおいそれと終われるはずがない。しかし、ここから先一体どうするのだろう?

果たして僕は『青春の門』を読破できるのか?

いや、五木寛之だって不老不死の仙人ではない。年齢を考えれば、彼のほうが僕より先に死ぬのが順当だ。第9部をこんな収拾のつかない形で終えて、果たして彼はこの物語を完結できるのか? そもそも完結する気があるのか?

読み始めていきなり唖然としたのは、第8部で伊吹信介とともにヨーロッパを目指したはずのアニョータが冒頭から物語の中にいないことだった。ある意味で、なんか五木寛之らしい話の進め方だと思った。

そう、信介はここまで何度もいろんな人と別れ、そして何度となく追憶し、時には再会してきたのだ。そういう別れはこれまでにもいくつもあった。アニョータとはどうなるのか? 彼女は第10部以降にまた現れるのか?

なんであれ、今作での信介は、ドクトルと呼ばれる日本人医師とタチアナという看護師のカップルに拾われて、負傷した足の治療とリハビリをしながら、この2人からロシア語と歴史についてさまざななことを学んで行く。

その一方で、それと並行する形で、日本にいる織江の周辺が描かれる。第8部に出てきた山岸守という若いマネージャー、そして、事務所の川口会長、レコード界の大物である通称「演歌の竜」こと高円寺らの、歌謡曲周りの章が、ロシアの信介の章と交互に綴られて行く。

信介は国際政治のどす黒い部分の真っ只中にいる。そして、歌謡界の話だと思われていた織江周辺の話が最後にそこに繋がってくる。描かれる世界は今までにもまして大きくなっている。が、今回はそこで終わりだ。

信介はタチアナに惹かれる部分もありながら、彼の心の中にはやっぱり牧織江がいる。「もう恋人とは思っていない」と自ら述べてはいるが、しかし、彼の心の中には依然として織江がいる。

そして、山岸も織江のことが好きで、織江も山岸に心を許しているのだが、織江が好きなのはやはり「信介しゃん」なのである。

この2人はどうしてももう一度巡り合わなければならない。その萌芽はもう見えている。

五木寛之には何が何でもそこまで描ききるまで書き続けてほしい。僕も読み終えないと死んでも死にきれない気がする。

この無謀で胸躍る青春はいつまで続くのだろう?

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