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Wednesday, October 14, 2020

有馬三恵子さんのこと(筒美京平さんに part2)

【10月14日 追記】 10/12 に「筒美京平さんへ」というタイトルで短い文章を書き、僕の好きな 10曲を、その日限りのものとして選んでみた。

みんな趣味はいろいろだから京平さんの好きな作品を挙げろと言われたらかなりのバラツキが出るだろうし、僕は僕で定番の曲は意図的に少なくした面もあるのだが、それでもかなり多くの筒美京平ファンの人が「あれ?そうだとしても、なんでアレが入っていないんだ?」と思ったはずである。

そう、それは南沙織のレパートリーである。僕も最初は選ぼうとしたのである。だが、結局選ばなかった。

どれを選んでも筒美京平の作品と言うよりも有馬三恵子の作品という感じがしたからである。

10/12 に挙げた曲を改めて眺めてみると、自分が選んだ 10曲でありながら、そこにクレジットされている作詞家たちのすごさに今一度圧倒される。

筒美京平と言えばまず思い出す作詞家は橋本淳だろう。若いファンなら松本隆を思い出す人もいるだろう。そこに加えて北山修がいて、安井かずみがいて、秋元康もいて、なんと川内康範などという大御所もいる。

それらの作詞家はいずれも、筒美京平との組合せががっちりとハマって見事な共同作品を作り上げているように見える。

だが、有馬=筒美作品だけはどうしても「有馬三恵子の作品」の印象がくっきり立ってしまって、筒美京平がやや後方に退く感があるのである。

もうちょっと穿った見方をすれば、筒美京平は有馬三恵子と組むときは、有馬三恵子の詞の魅力が最大限になるように、まるで詞をプレゼンする裏方のように曲を作っている気がするのだ。

今さら書くまでもないことだが、南沙織はデビュー曲の『17歳』から 15thシングルの『想い出通り』まで、16枚目の『人恋しくて』で初めて『春うらら』の中里綴=田山雅充コンビ作品を選ぶまで、カバー曲である『カリフォルニアの青い空』を除く全ての楽曲が有馬=筒美作品である。

僕も最初はその中から『哀愁のページ』か『ひとかけらの純情』か『傷つく世代』か『潮風のメロディ』か、その辺から1曲を選ぼうとした。だけど、どの曲も有馬三恵子のイメージが強すぎて、今日選ぶ曲としては、これは違うなと思ったのである。

改めて有馬三恵子の言葉の浸透力を思い知った気がした。

ちなみに、筒美京平さんにしても有馬三恵子さんにしても、僕は 1970年代の初頭から、ずっと憧れ、尊敬し、崇拝してきた作家たちである。

ちなみに有馬三恵子さんも昨年の4月に亡くなっている。

人はいつかは死んでしまう。だが、優れた作品は何年経っても色褪せることはない。

続編はここ

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