マニアの王道
【9月17日 記】 Pokémon GO をやっていると本当に人間の多様性に気づかされる──というような記事をちょうど2年前に書いた。
このときは会社の同僚のことを念頭に置いて書いたのだが、その後ネット上に攻略法などを書いているセミプロみたいな人の文章を読んでなおも驚いた。世の中には本当にいろいろな指向性の人がいるものである。
だが、今日書こうとしているのは、そういう極端な人(ったって何も書いてないのでどこが極端なのか全く説得力がないだろうがw)の話ではなく、妻のことである。
妻は Pokémon GO をやらない。ゲームの類は全くやらないわけではないが、やるものはかなり限られているし、そもそもあまりいろんなものを自分の iPhone にインストールしたがらない。
しかし、彼女は時々気紛れに Pokémon GO をやる──僕の iPhone で。
しかし、彼女は僕のように何かを蒐集する癖は全くない。どこにもない。ただ好きなポケモンを獲る。嫌いなポケモンは一切取らない。「気持ちの悪い」ポケモンや「怖い」(どこが怖いのか僕には今イチ解らないのだが)ポケモンは僕に残しておいてくれる。
そして、彼女はポケモンを獲ることもさることながら、ポケ・ステーションを回すのが好きだ。クルクルッと回してボールや道具がたくさん出てくると、「たくさんくれた!」と喜ぶ。四六時中回している。回せるものは全部回しにかかる。
あと、バトルも割と好き。ただ、自分では一切やらずに僕にやらせて見ているのが好き。
で、僕のポケモンのコレクションを見て、こんなにたくさんいるのにバトルに使えるのはごく一部なのはもったいない、などと言う。これには仰天した。つまりはやっぱり彼女も(自分では全くしないくせに)バトル至上主義者であり、その上に効率主義者ってことか?
前にも書いたが僕は蒐集家であり、網羅主義者である。それがマニアの王道だと思うのだが…。
そう、僕はそもそもみんながマニアであるかのような勘違いをしてしまうし、みんなが王道を行くものだと勘違いしてしまいがちなのだ。The Moonriders の『マニアの受難』とは逆の方向なのだが、いずれもマニアが嵌りがちな陥穽ではないかと思う。
その歪んだものの見方を正してくれるのが Pokémon GO なのだ。──と言うと、ちょっと大げさか? でも、僕は時々他人のやり方を知って、まさそのぐらいの衝撃を受ける。
ところで、前回の記事では「ポケモンGO」と書いていたが、「é」の出し方を完璧に憶えたので、今回は嬉しくて「Pokémon GO」と書いている。こういうこだわりも王道だと思うのだが…。
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